2 / 2
キスは大人になってから
「岡田さん、プレゼントされるなら、何が嬉しいですか?」
「ん? 何かくれるのか?」
社食でのランチタイム、不自然なほど不意に発された質問に冗談でそう返したら、笹森は何故か頬を染めた。
「い、いえ、違います。姉が旦那さんにバレンタインのプレゼントを選ぶのに、男性なら何を喜ぶのかなって相談されたから……」
しどろもどろに言い訳しながら、その声は尻切れトンボに小さくなる。その『男性』に、お前は入っていないのか? そう訊いてみたくなったが、あまりにも笹森が狼狽してるから、小さく笑ってやめてやった。
「そうだな。夫婦ならシャレもきくだろうから、ウケ狙いなら可愛いキャラクターのパンツとか」
俺は、今まで貰ったものの中で、インパクトのあったプレゼントを思い浮かべる。
「あー、ピアスを貰ったこともあったけど、ありゃ駄目だ。アクセサリーや服は、個人の好みだからな。どんなに高くても、気に入らねぇこともある」
「なるほど!」
笹森はメモしかねない勢いで、前のめりに聞いている。
「香水は……その、旦那さん、いつも良い香りがするんですけど、香水なんかはどうでしょう?」
「ああ。それもな」
俺はしたり顔で諭してみせる。
「香水をつける奴ってのは、たいていブランドが決まってて、こだわってる奴が多い。自分の好みを押し付ける結果になるから、NGだ」
「そうなんですか……難しいですね」
顎に拳を当て考え込む笹森に、俺は名案を思い付いた。
「煙草吸ってっか?」
「え?」
「その、旦那さん」
「ああ、はい」
「だったら、ライターとか嬉しいかもな。もう特別なものを持ってるんじゃなかったら」
笹森のはしばみ色の瞳が輝く。
「持ってない筈です。いつも百円ライターだから」
「じゃあ、候補だな。何万もするブランドもんのライターもあるけど、こればっかりは値段じゃない。俺だったら、何の変哲もないジッポが嬉しいかもな」
「ありがとうございます! 参考になります!」
* * *
そう交わしたのが、二月五日。そして今日は、十四日。バレンタインデーだ。
「あ、あの!」
会社から一緒に地下鉄の最寄り駅まで帰る道すがら、常ならず押し黙っていた笹森が、意を決したように声を上げる。近道でいつも通る大きな自然公園の中で、闇夜に梢がザワザワと騒いでた。
「どうした?」
「こ、これ。岡田さんには、いつもお世話になってるから」
なるほど、そう来たか。バレンタインにプレゼントは渡すけど、あくまで「お世話になってるから」で済ませる。恋愛に免疫のない笹森が、きっと懸命に考えて取った行動なのだろう。
「おう、ありがとよ。開けて良いか?」
「はい!」
俺はごく簡素にラッピングされた袋を開ける。簡素なのは、いつか俺が「プレゼントの包装が凝ってると、開ける前に面倒で挫ける」と言ったのをしっかり覚えてるからなんだろう。可愛い奴だ。中からは、やはりと言うべきかジッポが出てきた。真っ赤なリップマークがデザインされた、高過ぎない手頃そうなものだった。
「お。センスあるな、笹森。俺の好きなデザインだ」
「良かった」
緊張していた笹森の肩が、ホッと落ちて顔がほころぶ。俺は、片手で持って親指で押し上げ、蓋を開けて音を確かめる。蓋付きのライターは、この開けるときの音が肝だという者も居るくらいだ。何万円もするライターには敵わないが、思っていたよりも良い音がした。俺は数回、蓋を開閉してその音を味わう。笹森が嬉しそうに言い募った。
「あの、調べたらその『音』がひとつひとつ違うんだって載っていて、一番良い音のするものを探したんです」
「マジか。音も込みで気に入った。サンキューな、笹森。……早速、ちょっと寄っても良いか?」
顔を向けた先は、喫煙所。ベンチに囲まれたスペースに、灰皿が置かれている。
「あ、はい。是非使ってください」
大股に喫煙所に入ると、コンパスの違う笹森が、少し遅れて着いてくる。
「ほら」
「えっ?」
振り返って、月明かりを反射する銀色の輝きを放ると、笹森は上手に両手で受けとめた。だが顔は、怪訝そうだ。俺はポケットから煙草を取り出して、角を叩いて一本を咥える。その口角が、自然と上がった。
「えーと……?」
ライターを握って途方に暮れる笹森を、俺は軽く手招いた。
「来いよ。火。点けてくれ」
「俺が?」
「ああ。俺はすぐなくすから、百円ライターなんだ。お前が持ってれば、大丈夫だろ」
笹森は隣に来て、ジッポを点けて差し出した。こいつはそう簡単には消えないが、笹森は煙草を吸わないからか、風よけに掌をかざして。俺も無言で、火に屈み込む。これまでにないほどふたりの距離が近付いて、火を持つ笹森の指は微かに震えてた。薄闇に明るい光点が灯り、俺は煙がかからないように顔を逸らす。わざと逸らしたまま、ぽつりと言った。
「お前が居ねぇと、煙草が吸えなくて困るな。いつでも煙草が吸えるように、お前にゃいつもそばに居て欲しい。……駄目か?」
「えっ……え……そ、それって」
お前の目一杯動揺した気配が伝わってくる。きっと頬は、真っ赤に上気してることだろう。俺は駄目押しに、一服してからもうひとこと言い放った。
「どういう意味だか、分からないか? プライベートでもパートナーになろうって意味だ。それとも、今日はバレンタインデーだから、ホワイトデーまで待った方が良いか?」
「い、いえ、あの、その……」
振り返ると、馬鹿丁寧に両手で持って、まだ火を点していた笹森のライターの蓋を閉め、おまけにその手に手を重ねる。小柄な笹森に覆い被さるように屈み込み、顎を取った。
「告白しねぇのか?」
「えっ」
「バレンタインだろ。プレゼントだけでお預けか? じゃあ、俺から言うぞ。好きだ、笹森。付き合ってくれ」
笹森は、無言で俺を見上げて固まってる。行動はイエスなのに、言葉が出てこないらしい。ゆっくりと顔を近付けていくと、瞼がギュッと瞑られた。俺はそんな笹森が可愛くて、思わず笑ってしまう。キスを待ってる笹森には悪いが、その子どものような純粋さには、まだ触れられないと思った。
「あっ」
「ふはは。続きは、大人になってからな!」
欲しかった果実が、手の届くところにある。でもその実はまだ青く、少し硬い。愛情という肥料をたっぷり与えて、もう少し熟してから食べた方が美味いだろう。そう確信して、俺は笹森の鼻の頭を舐めたのだった。灰皿に煙草を潰してから、再び帰り道を辿り出す。
「ちょ! 岡田さん! 俺がまだ子どもだってことですか!?」
ムキになって小走りで追いかけてくる笹森の肩をさらうように抱き竦め、耳元で囁く。
「そうだ。ここからは、二十五禁だ。お前の二十五歳の誕生日に、解禁だからな。想像を逞しくして待ってろ」
耳に直接低音を吹き込むと、笹森の肩がビクビクと跳ねる。良い感度だ。ひとくちで食べてしまいたいのを我慢して身を離し、右手を差し出す。
「ほらよ」
「ん?」
「手。繋ごうぜ」
「は……はい」
しずしずと握られた手を、指を絡めてグッと握る。そんな触れ合いにも息を詰める感度の良さに気付かないふりをして、俺は愛情という肥料をたくさん笹森に与えるのだった。
「新人研修で、お前を一番前の席に見付けたとき、しまったと思ったな。勝負ネクタイしてくるんだったって……」
まずは、昔語りからだ。笹森の二十五歳の誕生日を十日後に控えた、月の綺麗な夜だった。
End.
ともだちにシェアしよう!