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第20話 修羅を超えて2

「綾人」  綾人は、手のひらの桜の花びらを眺めて、思い出に浸ろうとしていた。これからどうすればいいのかがわからず、途方に暮れている気持ちを誤魔化そうとしていた。その綾人の目の前に、ふと気がつくと、いつの間にタカトが立っていた。 「タカト……?」  処刑台を免れてからの出来事が色々と突然過ぎて、綾人は目の前にタカトがいる現実に頭がついていかない。まだ何かの夢を見させられているのだろうかと思い、体が強張るのを感じた。 「綾人、大丈夫だよ。もう悪いことは終わったんだ。桜の花びらを拾っただろ? それは俺と綾人の縁を繋げる花びらなんだよ。さくら様が水町さんに残してくれたんだ」  そう言って、その手のひらの花びらを指でなぞった。その温もりは間違いなくタカトのもので、それを感じると、綾人の胸はじわりと温かくなっていった。 ——本当にタカトだ……。  そう実感すると、途端に心が軽くなった。タカトが与える癒しの力は、綾人には何にも変え難い。 「俺とタカトの縁を結んだのか?」  綾人がタカトにそう問うと、タカトは大きく包み込むような笑顔を返した。そして、綾人の手をその大きく温かい手で包み込んで誘導し、花びらごと軽く握り込ませた。 「そう。綾人が俺の目を治してくれた後に、水町さんがその桜の花びらを使って俺たちの縁を結んでくれたんだ。それまでは、貴人様とヤトさんの縁で俺たちは繋がっていたから。新しく、俺たちの縁を結んだ。だから、こっちに戻って来れるような選択が出来るように、最初からサポートされてたんだよ」  綾人が握った手のひらを開くと、もうそこには花びらは無かった。ただ、手のひらにはふんわりと暖かい空気が漂っていた。その空気は、僅かに桜の香りがした。 「水町が……あいつは本当にいいやつだな」 「ね、綾人が出会ったみんな、いいやつばっかりだね」 「うん」  綾人は目をあげてタカトを見た。井上邸で突然の別れを経験した後、会いたくて仕方がないと何度も思った相手が、今目の前にいる。そのことがじわじわと実感として染み渡っていく。 「タカトは全てを知った上で、俺がちゃんと辿り着けるように導いてくれてたんだな」 「うん。ごめんね、何も言えなくて。言うと罪の清算にならない気がして、控えてたんだ」  タカトはそう言いながら綾人を見て、その頬を両手で包み込んだ。触れて、そこにいることを確認しながら、安堵のため息を吐く。 「綾人なら大丈夫だろうって、信じてた。でも、やっぱり怖かったよ」  そして、いつの間にかアーモンドアイの消えた綾人の額に、軽く口付けをする。その唇は、綾人を抱きしめる腕は、小さく震えていた。 「黙ってないといけないのも、辛いよな。ありがとう、俺のこと信じてくれて。本当に、ありがとうな」  生きて再び会えた喜びが、体を震わせる。そこから先は言葉にならなくて、二人はただ抱き合って泣いた。泣いている間に、桜の香りが広がっていった。その香りは、だんだん強くなっているようだ。 「なあ、タカト。これ、水町が早く帰って来いって言ってるんじゃねえか?」  綾人が怯えながらそう言うと、タカトはカラカラと楽しそうに声を上げて笑った。 「言ってそうだな! ……よし、じゃあ帰ろう。俺たちの家に」  そう言うと、今度はいつものようにふわりと笑い、綾人の手をぎゅっと握りしめた。 「うん、帰ろう」  綾人は共に縁を結んだ相手の手を、感慨深い思いを抱きながら、強く握り返した。  綾人とタカトは、いつの間にかオレンジとブルーグレーの交差する、いつもの夕暮れの駅前通りに立っていた。行き交う人々は、仕事帰りや学校帰りに、夕飯の準備のために急いでスーパーへと向かっている。綾人は、この時間は安売りになるから混むんだという事を、初めてタカトと一緒に鍋を食べた時に知った。 「綾人、スーパー寄って帰ろうよ。何食べたい?」  繋いだ手を子供のように振りながら、タカトは無邪気に尋ねてきた。綾人の答えは、もちろん決まっている。 「鶏の水炊き、締めはうどんでお願いします」  タカトはそれを聞いてふわりと笑うと「了解」と優しく答えた。 「今日は、色んな意味で仕切り直しだの日だね」  そう言って、綾人の金色の髪を手で梳いた。   「なんかちょっと信じられないよな。こんな普通の生活をしてもいいなんて」 「本当だよね。あまりに色々ありすぎたから」  そう言って、二人は顔を見合わせて笑った。  出会う前は、人生に生きがいや幸せを見出すことが出来なかった二人。そして、出会ってからは、すでに別れることが決まっているという辛い日々を送った。それが、強い気持ちを持ち続け、困難へと立ち向かったことで、これからはずっと一緒にいられるという未来を勝ち取った。  二人にとっては、普通の日々が初めてのことになる。  今から生き霊を探す作戦会議をするわけでもない、罪の清算という苦行をするわけでもない。ただ、愛する人と一緒に暮らして、普通の生活をすればいい。そのことを幸せだと思える有り難みを噛み締めた。 「タカトがいなかったら、絶対戻って来れなかった。ありがとうな、励ましてくれて」  そう言って微笑む綾人は、夕陽に照らされてキラキラと輝いていた。輝く金髪と、その中にある美しい笑顔。それは、タカトが何度でも恋に落ちることが出来る、愛しいものだ。 ——あ……、あの日の綾人に似てる。  高校入学式の苦い思い出は、今ここで幸せな記憶へと塗り替えられていく。タカトは綾人を抱きしめると、その温もりを感じて涙を流した。綾人はタカトを抱きしめ返すと、幸を噛み締めるように微笑んだ。 「ずっと一緒だ」  日が暮れていく。これから夜を経て、またあの太陽が昇る朝にも、ずっと二人で一緒にいられるようになった。それがこの先、命が尽きる日まで続く。 「行こうか」  タカトと綾人は、互いに欲しかったものをようやく手に入れた。それは何よりも生きることに意味をもたらす。これからの人生を共に歩んで行くことができるという喜びを噛み締めて、二人は足早に帰途へとついた。 <終>

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