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第1話 多分これが恋

多分これが恋  彼との出会いは友人の破局パーティーだった。  付き合って9年同棲7年の恋人たちは、お互いへの感情区分がただの情に成り果てた事に気がついたのだという。お互いを知る友人知人と疎遠になることも気まずくなる事も嫌だといのが総意で、ならば一層の事全員を巻き込んで派手に別れましょう、となったのがそのパーティーの趣旨だったらしい。  それぞれにドレスと着物でめかし込んだ彼女たちは美しさをスポットライトに変え「高校で出会って友情から恋に変わるのに4年をかけた。そこから愛に変わればよかったのに、最後はもう意地みたいに一緒にいただけ」と仲睦まじいけれど恋人というよりは人生を共に歩いた旅人のような距離の2人がさも晴れやかに昔を振り返り酒を飲み「ここからまた友情を育むわ」と笑っていた。  貸し切られたレストラン、飲めや歌えの賑やかさの中、それぞれがそれぞれに彼女たちの思い出話に花を咲かせているのを、元恋人たちは大笑いして膝を叩いては相槌を打った。そのちょうど後ろから彼が現れた。  息を呑むほどの澄んだ空気感にまさに息を止めて、目があって一瞬で恋に落ちた。  それまで脈打つ自分の鼓動なんて気にもしなかった、のに。  心臓は自分の意思関係なしに高鳴りあまりのことに胸を押さえたまま慌てて周りを見渡した。この音が、彼女たちの第一歩を彩るBGMの邪魔をしているかもしれないなんて、そんな心配が頭をよぎる程の大きさだったからだ。  彼が彼女たち2人をゆっくりと抱きしめ「幸せを願うよ」と微笑んだのに目を逸らし手にしていたグラスに口をつけた。手が震えていた。  横目で彼だけに視線をやった。前裾が斜めになったクラシックカットのオブリークスーツに身を包んだその人は、両腕をそれぞれに彼女たちの腰を抱く。映画のワンシーンの様な華やかさと妙な緊張をはらんだその一瞬あと、3人が僕を見た。飲みこもうとしていたワインが喉に詰まり咽せる。慌てて手の甲で押さえ彼に背を向ける。向けたまま、一歩も動けなかった。彼の頭の先からつま先まで知れず視線をやった後で、目があった虹彩の黒の輝きが脳裏に焼きついていた。  さぞ挙動不審だったに違い。 「あき」  真紅の色無地に派手な帯をつけたパーティーの主人公のひとりに名前を呼ばれ、仕方なしになんでもないような素振りで振り返る。  彼と、しっかりと目があった。 「こちら、このお店のオーナーの」  新たな道をゆく主人公のもうひとりがそんな僕に気がついて片眉を上げたのがわかった。「どうしたの」正面に揺れる空よりも青いドレスを飾るスパンコールが照明でキラキラと輝く。ゆっくりと首を振って「なんでもない」と答えたものの勘のいい友人には多分お見通しだろう。 「堂島 遙(どうじま はる)です」  明らかなる風狂に動じる素振りもなく紡がれた低音と、差し出された長い指と割に小さな手の平を前にまた息が止まる。所作の一つ一つがゆったりとしていて、纏う雰囲気が落ち着いていた。そのいちいちに心臓が乱舞する。  差し出された手を握り返しもせずに固まる不審者に気がついた友人から名前を呼ばれ同時に肩を強めに叩かれやっと我に返り、長い指の先だけに触れて会釈をすると、ふたつの大きな乾いた笑いが聞こえてきた。 「はるさん、このぼんやりさんは近藤 秋(こんどう あき)。美大時代の同級で今は壁に絵を描いてる」  普段はもうちょっとちゃんとしてるんだけど、付け加えられた台詞に彼が微笑んだ。細い黒縁フレームの眼鏡の奥で柔らかに細められた目にまた心臓がひとつ躍った。 「あきくんのあきは春夏秋冬の秋?」  耳心地のいい最低音域を響かせる声に無条件反射のように頷くと、彼は更に深く笑みを浮かべて「いい名前だね。もしかして夏生まれ?」と僅かに首を傾げた。  踊るだけだった心臓がこの時確実に止まった。 「はるさん、正解! どうしてわかったの?」  友人がすごいと手を打って彼に訪ねる。  彼は、ははと約め笑い「秋近し、は夏の季語だから」とはにかむ。 「ちなみに俺のはるは遙か彼方の遙だよ」  照れ笑い、なのか目の縁がわずかに朱に染まったその瞬間に、止まった心臓が彼にだけ呼応し始めた。  あきのおばあちゃまが俳人なのよ。とか、はるさんの名前も素敵ね。とか、そんな声は完全にBGMに変わり果て、彼が僕を呼ぶ瞬間だけが意味を持った。  それが、3年前の、恋のはじまりだった。 「あきらかに恋に落ちる音がしたわね、あの時」 「キラキラキラシャラララーーーーンンって感じ?」 「違うわ。チュドーーーーーーーーンン! どっかーーーーーーーん! バーーーーーーン! よ」  背後で、あの日盛大なるお別れ会を開いた友人二人が豪快に笑っているのを無視して、壁と向かい合う。駅前から少し離れた商店街の中に出来る小さなカフェの壁一面に天使を描くのが今回の仕事で、提示された作業時間の短さに根を上げたところ手伝いに名を挙げてくれたのが後ろの2人だった。あの日の煌びやかさはどこへやら、黒のツナギに黒のTシャツ、一人は長い髪を一つに括り、もう一人はツーブロックに刈り上げた髪の長い部分を業務用クリップで止めているなんとも有難い状況だ。  彼女たちはあの日の宣言通り月日をかけて友情を育み、今では親友然として、お互いが言うところの“ちょうどいい距離”を保っている。今では二人ともにパートナーがいて、穏やかに日々を過ごしているらしいことが話の端々から伝わってきて、一友人としてなんとも言えず喜びを感じている。 「あきが面食いなんだって改めて気がついたわよね」 「そうそう。はるさん顔面強いもん」 「はるさんは全身強いわよ」 「あ、そうだった!」  塗料の色を合わせながら、かしましく人の恋路を語る友人たちはあの日から今日まで、このネタで盛り上がるのが恒例で、黙って聞き流すのが一番だと言うことを、この3年で身をもって知った。 「でも、はるさん完全にノンケだからねぇ」 「しかも女切れたことないのよ、あの人。エグいぐらいモテるの。遊びでいいから、って近づいてくる人間の多いこと多いこと」 「一応、恋人がいるときは操立ててるけど」 「その恋人と長く続かないから、次から次へと湧いてくんのよ」 「まぁ、はるさんだからね、わかるけど」 「確かに、わかるわ。ビアンでもわかる。あの人はモテる」 「しかも自覚もあるからね。うまーくかわしつつ上手に付き合ってるからたちが悪いのよ」 「あきのことも多分気がついてるよね」 「そりゃぁね、なんたってあきの態度がね」 「ちゅどーーーーーーん、だもんね」  あはははは! と本人を前にして言いたい放題のふたりに思わず抗議の言葉が出そうになるも、筆を握り込むことでグッと堪える。ここで一言でも発したら今日の負けが確定する。 「でもさ、はるさん本当に長続きしないよね。恋人と」 「そう! すーぐ別れる! しかもはるさんが振られる側!」  「めちゃくちゃ穏やかだし、恋人の事もすごく大事にするし」 「そうそう! のに!」 「まぁ、でもそうね。あの人極度の出不精だし。デートで外に出るのが億劫だって毎回家で映画見てたらね、流石に嫌よね」 「前の彼女健気にスーパーでもいいからって言ったらしいけど、はるさん「僕はいいかな。ひとりで行っておいで」って返したらしいわ」 「それも一回や二回じゃないって言うんだから私なら泣く」 「彼女の誕生日は漏れなくうっかり忘れちゃうし」 「それうっかりじゃなくて覚える気がないのよ、端から」 「記念日は重んじないし」 「相手が変わりすぎてどこが記念日かなんて把握しきれないのね」 「そりゃ彼女は「私のこと本当に好き?」ってなるわ」  ある程度相手の意見も尊重しないとね、と盛り上がるふたりに気がつかれないようにそっと息を吐く。散々な言われようの遙さんが今頃くしゃみをしていないかきにしたところで作業着の内ポケットに入れたスマホがなった。口に筆を加えそれに手を伸ばす。明かりの付いた画面にある文面を読み、腰掛けていた脚立から降りようと足場に脚をかけるとかしまし娘たちがこちらを見た。 「何? 何かいる?」  筆変える? 大ぶりのそれを手にした友人が首を傾げるのに頭を振ってみせ、加えていた筆をホルダーに戻す。 「遙さんがコーヒー差し入れてくれるって。もうすぐ着くみたいだから、気分転換兼ねて外出てくる」 「え? はるさん来るの?」 「中には入らないって。コーヒー届けたら帰るって言ってるからちょっとだけ外で話す」  え、とふたりは目を見合わせてから再度こちらに顔を向けた。 「何? だめ?」  ダメと言われたところでもう行く気になっている。今ふたりの前ではなんでもないことのように振る舞っているけれど、内心心臓がうるさい。早く早くと焦る気持ちを押し殺し無表情に彼女たちに聞けば「ううん、いってらっしゃい」と返ってきて、心の中でガッツポーズを作って外に出る。  生ぬるい夏の風が全身に纏わり付くのに構わずに小走りに駅のほうに向うと、すぐに見知った人がこちらに向い手を振っていた。心臓が舞っている。それに合わせて走るスピードを上げるとはるさんがやわらかに笑った。  心臓が遙さんに呼応する。  これは、恋だ。  叶わなくても構わない。  僕だけの、恋だ。 (残されたふたり) 「……ねぇ、」 「……うん」 「はるさんってこの間のあきの個展にも来てたわよね」 「花束持ってね。出不精が珍しいってからかったら「あきくんの誕生日だからお祝いがてらに」って」 「……覚えられるのね、誕生日」 「それだけじゃないわよ。はるさん車買ったのよ、最近」 「え、出かけるのが面倒すぎて車あっても乗らないって言ってた人が何で!?」 「地方作業の時差し入れするのに便利だからって」 「作業、ってあきの!?」 「そう」 「……あのさ」 「うん」 「はるさんここ一年くらい彼女いないわよね」 「寄ってくる子は相変わらずらしいけど、断ってるんだって」 「なんで」 「気になる子がいるんだって」 「……はるさん、ノンケよね」 「……バイだって気がつくパターンだってあるわよ。希に」 「……まれに、ね」

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