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scene 2. Don't Want Much

 学生の頃、ルカは成績優秀だった。サマーキャンプでやったアーチェリーでも高得点をだしていたし、劇で演じたハムレットも評判は上々だった。  面倒臭がりなだけで、やればなんでもある程度熟せる器用さは持っているのだろう。そのうえ勤勉なルカは、ブイヨンのとり方、ベシャメルソースの作り方まで、イメージトレーニングをしながらしっかりとその優秀な頭に叩きこんだ。そしてレシピ――せっかく買い揃えた本は棚に収めたまま、濡れたり汚れるのが厭だとタブレット――を見ながら、簡単そうなものから実際に調理してみた。  シーザーサラダ、じゃがいもやパプリカ、グリーンピースなど具沢山なスペイン風オムレツ、豚のカツレツ(〔Vepřový řízek〕)。慣れないうちは見た目こそいまひとつだったが、味のほうはどれも美味しくできあがった。デリバリーや惣菜にすっかり飽きていたこともあり、テディもちゃんとまともな料理がテーブルに並ぶだけで感激した。  そしてルカはますます気を良くし、毎日毎日、熱心に料理を続けた。 「テディ、夜はなにが食べたい? もうレシピさえ見ればなんでもできる自信がついたからな。なんでも云えよ」 「……別に、なんでもいいよ」  リビングのソファに腰掛け、ルカはタブレット片手に、楽しげにテディに尋ねた。窓際に置いたエッグチェアでお気に入りのゴロワーズ・レジェールを吹かしていたテディはその声に振り返り、ルカから少し視線をずらしてマックス・ビル・ウォールクロックの針を見た。そして、さっきランチを食べたばかりな気がすると顔を顰めながら、胃の辺りを(さす)った。  ――じっと家にいてろくに動いていないのに、腹が減るわけがない。 「昨日のパプリカーシュチルケ({Paprikás csirke})は? ガルシュカ({Galuska})も、まだ残ってたんじゃ?」 「ああ、残ってたのはペトラさんに持って帰ってもらったよ。たすかりますって喜んでた」  ペトラというのは通いで来てもらっている家政婦の名前だ。そういえば、最初にフレビーチェク(〔Chlebíček〕)を作りすぎたときも貰ってもらっていたなとテディは思いだした。食べきれないとか好みでないなど、かえって迷惑でなければいいのだが。 「ルカ……そんなに毎日毎日がんばらなくても、俺は、残り物があるときはそれだけでいいよ。いろいろ作ってみたいんだろうけど、それよりも――」 「そうだ! 今日はアジアンフードの店に行って買い物して、中華か日本料理に挑戦しようか! 中華はおまえの好物だし、日本料理はヘルシーだし……おまえ、どっちがいい?」  邪気の欠片もないきらきらとした笑顔で尋ねられ、テディは云いにくいなと思いつつ、言葉を押しだした。 「……ねえルカ、そういうのは作らなくてもお店に食べに行けばいいじゃない。特に中華はデリバリーでも充分美味しいし――」 「そうか、じゃあ日本料理にしよう! 寿司とかじゃなくて、日本の家庭料理のレシピをみつけたんだ。ニクジャガって云ったかな、ミック・ジャガーじゃないぞ? ミート&ポテトって意味らしい。画像を見るとスープの少ないグヤーシュ({Gulyás})みたいで、美味しそうだって思ってたんだ」 「いや、そうじゃなくて――」 「それとさ、日本にはテルテットパプリカ({Töltött paprika})みたいな、ピーマンの肉詰めがあるんだよ。白ピーマンがあるから、ちょっと試しに日本流の味付けで作ってみようか。あ、それに豚のカツレツも叩いて薄くしないで揚げたやつを、スープで煮て卵でとじるとカツ丼になるんだぞ! 日本で食ったろ? カツ丼。おまえ旨いって云ってたよな」 「肉ばっかりじゃない……。どれかひとつでい――」 「よし、そうと決まったら買い物に行かなきゃ。四区にアジア系の食材を売ってる問屋街があるんだ。一緒に行くか? テディ」  自分の思いの儘、ちゃんと料理が作れるようになってすっかりハイになっているらしい。ちっとも人の話を聞こうとしないルカに、テディは溜息とともにゴロワーズの煙を吐き、諦めたように云った。 「……いや、いい……。行ってらっしゃい……」  次の日も、ルカはまたもやはりきってキッチンに立っていた。  ほとんどひとりで出かけることなどないテディが、めずらしく朝の――といっても、遅めの朝食を終えたあと十時過ぎであったが――散歩をして、フラットに戻ったとき。 「あ、ペトラさん……、ごくろうさまです。いつもありがとう」  アール・ヌーヴォー様式のエレベーターが部屋のあるフロアに近づくと、エレベーターを待っているらしい家政婦のペトラがそこに立っているのが見えた。扉が開き、両手に大荷物をぶら下げているペトラに挨拶をしながら、テディはその荷物をしげしげと見つめた。  ひとつはペトラのトートバッグのようだが、あとはスーパーのプラスティックバッグとゴミ袋だった。  ペトラに任せているのは洗濯と掃除とベッドメイク、キッチンの後片付けにゴミ出しだ。だから、仕事を終えたあとこうして帰りにゴミを持っているのは別に不思議でもなんでもない――問題は、その量だった。 「ペトラさん、これ……全部ゴミ?」  テディがそう尋ねると、ペトラは「そうなんですよ」と苦い顔をした。 「ブランドンさん、お料理を始められて毎日お裾分けをくださるのはありがたいんですけど、うちも全部は持って帰れませんしねえ。冷蔵庫に入れてあっても、やっぱり日持ちのしないものは臭いが変わってたりするもんで、処分するしかなくって。野菜もねえ、まだ慣れてらっしゃらないから上手にお切りになれないんでしょうけど、まあ野菜屑の量がすごくって。ほら、この袋そうなんですけどね、あんまりもったいないもんだから、これも戴いて帰って、うちの兎の餌にするんですよ」  お礼に今度肥えた兎を捌いて持ってきますね、とペトラはエレベーターに乗りこみ、帰っていったが。 「……やっぱり、ちょっと一言云ってやらなくちゃ……」  真剣な顔でそう呟くと、テディは美しい装飾が施されたアーチ型の廊下を進み、部屋へと戻った。 「――ああテディ、おかえり。腹はまだ減らないか? ランチはどうする?」  顔を見るなり飛んできたその台詞に、テディは呆れて天井を仰いだ。消化を促そうとその辺りを散歩してきたというのに、帰宅するなりまた食べることなど考えられるわけがない。 「朝遅かったし、今日はもう昼は要らないよ」  部屋の隅にあるL字に設えたデスクでPCに向かっていたルカは、タイムライフチェアをくるりと回してテディに向いた。 「そっか、じゃあ夜ちょっと早めに準備しようか。実はユーリの奴を呼んでやろうかと思って、今、献立を考えてるんだ」  ジー・デヴィールのドラマー、ユーリは、チェコではホスポダと呼ばれるレストランバーで働いていたことがあり、料理がとても得意な頼れる男だ。ルカとテディとは単にバンドメイトというだけでなく、オープンリレーションシップという関係にある相手でもある。  ごく偶に三人でベッドを共にすることもあるが、ルカとユーリが交合(まぐわ)うことはない。あくまでルカとテディがメディアなどでも公にしている恋人同士で、テディがユーリともフィジカルな付き合いをすることをルカが容認している、という関係だ。 「ユーリを? ……まあ、それはいいかもね。もう何度もメシ作りに来てくれてるし」  ユーリを呼ぶと聞いて、テディは素直にそう答えた。確かにせっかく料理を作るようになったのだ。これまでのお返しに、食事に招待するくらいは当然かもしれない。 「どうせなら早めに来てもらって、一緒に作れば? ルカがどれだけやれるようになったか見てもらえばいいんじゃない」  すると、ルカはすぅっと表情を消して、またPCのほうに向いた。 「……作ってるときは誰にも見てられたくないんだ。気が散るし、自分のペースでやりたいからな。だからおまえにも覗くなって云ってるだろ?」  声だけかけておいて、ちゃんと支度が整ってから来てもらおう。ルカがそう云うと、テディはちょっと顔を顰めたが。 「あ、そういえばさっき――」  ふと思いだし、テディは云ってやろうと思っていた言葉を口にしようとした。が、云いかけてすぐテディは黙った。スマートフォン片手にルカが話し始めたからだ。どうやら早速ユーリに電話をかけたらしい。 「おう、俺だ。あのさ、今晩メシ食いに来ないか。――いや、違う違う。おまえは作らなくていいし、買い物もしてこなくていい。――え? どこにって、うちにだよ。俺が作るから――は? 混線とかしてないって。……(うるせ)ぇ、ぶっとんでもいねえよ! お・れ・が! 作るの! メシを!」  ユーリがなにを云っているかなんとなくわかる会話を聞きながら、テディは考えていた。  味は決して悪くないルカの料理を食べて、ユーリはなんて云うだろうか?  自分が、ひょっとしたらくだらない我が儘かもしれないことを云ったら、ユーリはどっちの味方になるだろうか。一抹の不安はあるけれど、作り過ぎだとか野菜の切り方に問題があることについては、ユーリならびしっと云ってやってくれるかもしれない。  なんにせよ、ちょっとルカには頭を冷やす時間が要る気がするなあ……などと考えながら、テディは喉が渇いたなとキッチンへ入っていった。  マットーニを出そうと、決して小さくはない冷蔵庫を開け――中が残り物のタッパーウェアやラップに包まれた皿と、肉や魚、ソーセージやチーズとまとめ買いした食材で埋まっているのを見て、テディはあんぐりと口を開けた。  ――ちょっとどころじゃなかった。  飲み物など、まったく入る余地はなさそうだった――マットーニやアップルタイザーはおろか、スタロプラメンすら一本も入っていない。  キッチンを見まわすと、冷蔵庫に入りきらなかったらしい野菜の箱の横に、ドリンク類が空いた発泡スチロールにまとめて入れられていた。テディはそれを見て、思った――これは、かまわない。怒るようなことでもなんでもない。飲み物が冷えてないのはまあ、別にいいとして……問題は、おそらくルカはこの状態をずっと続ける気はないだろうということである。  面倒臭がりのくせに、妙なところできちんとしているルカのことだ。きっとそう何日もしないうちに、冷蔵庫を買い換えるに違いない。  テディはその予感に、はあぁ……と、もう何度めかの溜息をついた。

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