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scene 4. I'm a Hog for You Baby
なんなんだ、なんなんだ。
一緒に暮らし始めてからずっと、ちゃんと自炊をしようよと云われ続けていた。でも、どうも得手でない気がしていたのと、キッチンが汚れるのが厭だったりどうせ食べるなら美味しいものがいいと思ったりして、なかなかやらなかった。
しかし、自分は反省したのだ。反省して、ちゃんと調理の仕方を勉強して、きちんと日に三度の食事を作るようになったのだ。
テディと寝食を共にするようになってから、寮制学校 時代を抜きにしても、もう九年近い。それだけの年月が経って、ようやく人がその気になったというのに。せっかく料理を始めて、テディの好きなものばかり考えて作ったというのに! どうしてあんなふうに不満な顔をされたうえ、夕食に招待してやった奴に掻っ攫われなければならないのか。
ルカはすっかり臍を曲げ、かちゃんかちゃん! と一枚六千コルナ 以上もした皿を雑に重ね、ワークトップに運んだ。食べ残しはペダル式のキッチン・ビンの中に、振り落とすようにして棄てる。その作業を繰り返すと、あっという間にビンの中が生ゴミでいっぱいになった。そして皿はシンクに重ねていく――かっしゃん! という音とともに、何枚も積み重ねたノリタケがぐらりと崩れ、ごとんごとんとくぐもった音がした。
そこに水が張られていなければ、十万コルナ が砕ける派手な音が響いていたに違いない。
* * *
「――いいんです、明日はゆっくり休んでください。――ええ、大丈夫です。ありがとう。じゃ」
テディが通話を終え、スマートフォンを脇に置くと、ユーリが「誰にかけてたんだ?」と尋ねた。
「ああ、うん。ちょっとね」と曖昧な答えを返し、テディはテーブルに手を伸ばしてアップルタイザーの瓶を取った。少し残っていたそれをすっかり飲み干すと、なにか云いたげにじっと自分を見つめているユーリを見る。
床に敷かれた毛足の長いラグに脚を伸ばし、ソファに凭れてテディは云った。
「今日はユーリもあんまり飲まなかったね。朝の予定ってなに?」
「ああ、家に呼ばれてるんだが……別に何時でもいいんだ。気にするな」
「家って……、あ」
そう云われて気づいた。明日はユーリの誕生日なのだ。
「忘れてた。誕生日だね、まだ早いけどおめでとう」
「もうバースデイパーティなんて歳じゃない、勘弁してくれって云ったんだがな。俺がいまじゃ真面目にやってるって、親戚たちに自慢したくてしょうがないらしい」
苦笑しながら云うユーリに、テディは笑った。
「いいじゃない。自慢させてあげるのも親孝行でしょ、俺は朝になったらトラムででも帰るから」
「云ったろ、慌てる必要はない。……まったく、例の騒ぎのときはこの親不孝もんって怒ってたくせに、勝手なもんだ。家なんか買ってやるんじゃなかったぜ」
例の騒ぎというのは、お蔵入りになってしまったドキュメンタリー映画の、本来ならばアウトテイクになっていたはずの過激な映像が流出したときのことである。
ユーリとテディが麻薬 を使用しているショッキングなシーンも動画サイトにアップされ、ウェブはもちろん新聞、雑誌、TVのニュースまで派手に賑わす事態となった。SNSでも叩かれ、バンドは人気絶頂から一転、もう解散かと噂されるほどだった。
その後もいろいろとあったが、ユーリとテディはもう違法な薬物は使用しておらず、バンドは今もヒットチャートの常連だ。
「そういえばルカも誕生日、忘れてるね。覚えてたらきっとケーキくらいあったはずだし」
「ああ、勘弁してくれ。あれ以上食いものがでてきたら俺もさすがに……って、そういえばおまえ、あとで話すって云ってたのは?」
「あ……うん、やっぱりいい」
「まだ困り事があるのか?」
煙草を咥え、ジッポーで火をつけながらユーリがそう訊くと、テディは笑みを浮かべて首を横に振った。
「うん、まあたいしたことじゃないから心配しないで。云うと愚痴になっちゃうしね。それはちゃんと自分で解決するよ」
ユーリは少し驚いたように目を見開き、「そうか」と頷いた。
「あ、もうこんな時間か……。俺、朝のうちに帰るつもりだし、そろそろ寝る?」
時計を見てそう云ったテディに、ユーリは眉を上げ、惚けた顔をした。
「うん? 運動するって云ってたのはどうするんだ?」
「……どうしよう?」
「……あと四十分ほどで誕生日だ」
「じゃ、シャワー借りるよ」
くすっと笑ってそう云い、テディは立ちあがった。
バスルームのほうへ歩きかけ、ふと立ち止まって振り返る。ん? と気づいてユーリがこっちを見ると、テディはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「……全身にリボンでも巻いて出てこようか?」
「ばか。贈られたもんは返品しねえぞ」
ユーリの言葉に、テディは下手な冗談を云ったと少しだけ後悔した。
翌朝。
バーのようなカウンタースツールに坐り、ユーリと並んで朝食を摂っていたテディは、ソーセージやハム、チーズ、サラダとフライドエッグが適量ずつ盛られた大皿をじっと見ていた。小さなボウルにはバナナとレーズン入りのヨーグルト、バスケットには全粒粉のパン 、そしてバターと蜂蜜。
火を使ったのは卵とソーセージのみというシンプルなメニューに、テディはカフェオレを一口飲むと「こういうのでいいんだよなあ……」と呟いた。
「ルカはもっと品数が多かったって?」
「それもだし……俺も手伝ったじゃない。ユーリが切ったのを俺が皿に盛って運ぶとか。前に一緒にエギーブレッドとか作ったときも楽しかったんだ……後片付けも喋りながらしたりとか。俺、そういうのがいいのに、ルカは一緒にやるどころか、キッチンに入らせてもくれないんだ」
テディが云うと、ユーリは声をあげて笑った。
「夜が明けたら愚痴は解禁になったのか」
「……あ」
テディは苦笑し、おどけたように肩を竦めてみせた。「なんで全部ひとりでやっちゃおうとするんだろ」
「……俺と並んで料理したのを、見てるからじゃないか?」
テディはユーリの云いたいことを測りかね、小首を傾げた。
「どういうこと?」
「できあがった料理は旨かったが、あいつ、まだ途中経過には自信がないんだろう。手際を俺と比べられたくないのさ」
「あー……」
大量の野菜屑――腑に落ちた。できるまで覗くなと云っていたし、たぶんそれが正解だろうなとテディは思った。
「まあ慣れてくれば手際は良くなるさ。不満はあるだろうが暫く辛抱しててやれ」
「うん。でも……不満は、意外と早く解消するかも」
そう云って、テディは笑いを堪らえるように口許に手を当てた。
* * *
「――なんで……!?」
朝、いつもの時刻に起きだしたルカは、キッチンが昨夜のまま洗い物で溢れていることに唖然とした。
もうとっくにペトラが来て、片付けを終わらせているはずだった。ルカが起きてきたのを見て挨拶をし、じゃあ寝室のほう失礼しますねと云ってシーツを回収し、洗濯機を回しているあいだに掃除とベッドメイク――ツアー中など長期の不在を除き、彼女は毎日欠かさずそれをやってくれていた。なのに、どうして。
ひょっとして具合でも悪くて来られなかったのだろうか。しかし、それなら誰か代わりを寄越すのじゃないかという気がした。そうでなくても、電話の一本もないというのはちょっとおかしい。
「……くさい……」
キッチンに突っ立ったまま呆然としていたルカは、ふとその悪臭に気づいた。
キッチン・ビンから、いろいろ混じった複雑な臭いが漏れている。蓋はついていても、それは目隠し程度の意味しかないらしい。しかも臭いの元はもうひとつあった。水を張って浸けてある皿に付着していた油やソースなどが浮いて、膜のようになっているのだ。
ルカは、とりあえず換気をしようと考えた。が、それは失策だった。季節は夏。部屋全体を空調が快適な温度に保っていることを忘れて窓を開けたルカは、途端にもわっと湿り気を帯びた暖かい空気が入ってきて顔を顰めた。
しかも――
「わっ、なんだ」
臭いに引き寄せられてか、蝿が入ってきてしまった。咄嗟にそこにあったディッシュタオルを取り、叩こうと振り回す。
「……なにやってんの」
と、いつの間に帰宅したのかテディの声がした。ルカは驚いたように振り向き、キッチンの入り口に立っているテディに云った。
「蝿が入ってきたんだよ! まったく、なんか今日に限ってペトラさん来なくって――」
「ああ、俺が今日はお休みしてって電話したんだ」
それを聞き、ルカはぴたりと蝿を追うのを止めた。
「……おまえが? 休みに? なんで」
「一緒に片付けようと思って」
テディがそう云うと、ルカはなんだかわけがわからないという顔をした。
テディは続けた。
「ほんと、ひどいね。このキッチン。ルカ、もう窓は閉めて。蝿なんか、どこかに止まってから叩かないと。そんなことしてるあいだにまた入ってくるよ」
ルカは慌てて窓を閉めた。テディの笑う声に振り返ると、彼はシャツの袖を捲りながら、シンクに近づいてきた。
「さ、手伝うから一緒に洗お? いくら美味しくできても、それだけじゃだめだよ。後のことまでちゃんとやらなきゃ、料理ができるとは云えないよ。……それに」
ばつが悪そうな顔をしているルカを見つめ、テディは云った。
「狡いよ、自分だけ料理できるようになっちゃって。俺も作りたいよ、ひとつずつ教えてよ。一緒にやろう。買い物も、今日はなににしようかって話して、足りないものだけ買いに行くとかさ。俺、そういうのに憧れてるんだ」
――一緒に。そうだった……ルカはやっと思いだした。テディは美味しいものを作ってほしいわけじゃなく、一緒に買い物をしたり食事の支度をしたりしたいのだと、そう云っていた。
できることに舞いあがってうっかり忘れていた。それに自覚はなかったが――ユーリに対抗したい気持ちも、少しはあったのかもしれない。
「……わかったよテディ。……でもこれ、毎日洗うのか……」
ぼそりとそう溢し、溜息をつく。そんなルカに、テディはまったくもう、と笑った。
「作り過ぎなきゃ、こんなに洗い物はでないはずだよ。それに、ふたりでやれば作りながらまめに洗ったりもできるし」
「……そっか」
確かにそうだ。しょうがないな、やるか……と、ルカは手にしていたディッシュタオルをぽい、とワークトップに置いた。そして水を出し、スポンジを手に取り洗剤をつけて泡立てる。
テディはそのディッシュタオルを手に取るとルカの隣に並び、嬉しそうに微笑んだ。
* * *
後片付けまでやるようになると、途端にルカはいろんな調理器具を使うような凝ったことをしなくなり、テーブルに並ぶメニューも少なくなった。
云ったとおり、ルカはテディにもいろいろと覚えたことを教えてくれたが、自分はルカと違ってどうも調理には向いていなかったらしい。結局ごく簡単なことと、洗い物だけを担当しながら、テディは「ちょっと多くない?」とか「スープは昨日のが残ってる」などと助言をした。おかげでだんだんと食べきれる量になり、ゴミの量も減った。
そして、減ったのはもうひとつ――
「ああ、よかった。戻った……」
シャワーのあと、つい声にだし――テディははっとして振り返った。
「戻ったって?」
バスルームの奥で、ちゃぷんという水音とルカの声が響いた。まだ泡立てた湯に浸かっていたルカに、やはり聞こえてしまっていたらしい。テディは一瞬迷ったが、まあ戻ったのだからもういいかと、正直に云った。
「うん……体重」
「体重?」
ルカが意外そうに聞き返してくると、テディは少し恥ずかしくて俯いた。
「ルカがせっかく作ったんだからって、初めはがんばって食べてたからね……。ちょっとだけど、肥ったのを気にしてたんだ」
「……ひょっとして、運動ってまじで云ってたのか?」
「あー、……まあ、うん」
「ばかかおまえ、そんなんで減るか! ってか、おまえらいったいどんな――いや、いい。云わなくていい。云うな」
よし、明日からジムに通うぞ! とルカが云うと、テディはぶんぶんと首を横に振った。
「いや、だからもう体重は戻ったって。……っていうか、なに、その反応。俺が肥るのはゆるせないって?」
「そりゃあそうだろ! アメリカのメタルバンドじゃないんだぞ? せっかく人気が戻ったのにおまえが肥るとかありえな――」
「え、そこ!? ルカが嫌なんじゃなくてそこなの!?」
「当ったり前だろ! 俺の次に人気のあるおまえがぽっちゃりとかしてみろ、バンドのイメージだって――」
「いやそれもわからなくはないけどさ、ルカは!? ルカ、あんなに作って俺より食べてて、体重増えてないの?」
「えっ」
「……まさか、量ってないの?」
テディがそう云って眉をひそめると――ルカは、まるで行ったことのない場所で撮られた自分の写真を見たような顔をした。
「……テディ、風邪ひくぞ。早く出て、部屋で温かいものでも飲んでろ」
暫し考えこんだあと、ルカはそう云ってテディをバスルームから追いだした。テディは云われたとおりにバスルームを出ると、ドア越しに耳を欹 てた。
――程無く、体重計のピピッという音が聞こえてきたのは、云うまでもない。
とまあ、そんなふうに一悶着があった、その数日後――。
朝から突然、何人もの内装業者がやってきたかと思うと、ルカがテディを連れ出した。
事務所やスタジオ、ショッピングモールやカフェでゆっくりと時間を潰し、久しぶりにレストランで夕食を楽しんでから帰宅すると――キッチンがすっかり様変わりしていた。
色は明るいライトグレーからシックな濃いグレーに、焜炉 があったところは広々としたワークトップに。そしてキッチンの中心には、以前はなかったカウンターがどんと存在感を放っていて、そこには新しい四つ口の焜炉があった。焜炉の下には大きなオーブン、上にはすっきりとシンプルなデザインのダクトが設えられている。
「……まだ新しかったのに、なんで……?」
テディが尋ねると、ルカは真新しいシステムキッチンに近づき、得意そうな顔でシンクの斜め下にある取っ手を引いた。
「食洗機 のあるのに変えたんだ」
……そうきたか。テディは、もう飽きるまで放っておくしかないのだなと諦め、キッチンを出ようとルカに背を向けたが――
「まあ、こっちはついでだ。ゲストルームも見てみろよ」
そんなことを云われ、テディは厭な予感に慄きつつ、云われたとおりゲストルームへ行き、ドアを開けた。
――中にはマルチなトレーニングマシンやエクササイズバイクとバランスボール、ダンベルなどの置かれた棚と、ウォーターディスペンサーがあった。立派なホームジムである。
テディは、ああやっぱりルカも体重が増えていたんだなと察しつつ――どうしてこうも極端に奔 るのかと、またまた大きな溜息をついたのだった。
- THE END -
𝖹𝖾𝖾𝖣𝖾𝗏𝖾𝖾𝗅 𝗌𝖾𝗋𝗂𝖾𝗌 #𝟪 "𝖢𝗈𝗆𝖾 𝖮𝗇 𝗂𝗇 𝖬𝗒 𝖪𝗂𝗍𝖼𝗁𝖾𝗇"
© 𝟤𝟢𝟤𝟦 𝖪𝖠𝖱𝖠𝖲𝖴𝖬𝖠 𝖢𝗁𝗂𝗓𝗎𝗋𝗎
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