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クランクイン(6)

  「三間(みま)さん……、あの……、一つ訊いてもいいですか?」 「なんだ?」 「三間さんの家でご飯を作る話ですけど……。あれは僕がベータだから頼もうと思ったんですよね? もし……、もしもの話ですけど……、僕がオメガだったとしたら、頼まなかったんじゃないですか?」  三間はすぐには返事をしなかった。  何かを探るように僕の目をじぃっと見つめて。 「そうかもしれない」  そう返すと、前方へと視線を向けた。  もし、この質問に三間が「そうだ」と答えたら、この話は断るつもりだった。  本当のところは僕はオメガだから。オメガには夕飯作りを頼まなかったんだとしたら、ベータと偽って話を引き受けるわけにはいかない。    けれど、僕が断るより先に、濃い陰影を落とした横顔が話を続ける。 「ベータのほうが面倒事にはならないだろうからな。だが、ベータだから頼みたいと思ったわけでもない。俺がお前を頼りたいと思ったことに、オメガかベータかは関係ない」  さっきの答えとは矛盾しているように思える。  三間が何を言いたいのか、僕にはわからなかった。 「賭けてみたんだ」 「賭け……ですか?」  僕は首を捻り、三間がふたたびこちらを向く。  街灯の明かりが射し込むだけの薄暗がりの中でも、その目が真剣な光を宿していることは見て取れた。吸い込まれるように、その目に釘付けになる。 「お前がオメガかベータかは関係ない。柿谷だから頼りたいと思った。助けてくれるのなら、俺にとってお前は必要な人間だし、そうでなければ、俺はお前を必要としない」  たかが料理の話なのに、随分と大袈裟な言い草だ。  断ろうとしていたのに。真剣さに気圧されて、自分がどうすればいいのかまたわからなくなる。 「でも……、もし……、万が一、僕がオメガだったとしたら、オメガの僕に頼るのは嫌なんですよね?」 「お前がオメガとして生きていたら、頼れなかっただろう」  その言い方だと、「頼りたいけど頼れなかっただろう」と言っているように聞こえる。  「オメガとして生きていたら」ということは、オメガだけどベータとして生きている僕なら、この話を引き受けてもいいのだろうか……。 「引き受けるかどうかは、お前が俺を助けたいと思うかどうかで決めたらいい。助けてくれるなら、俺もお前のために、自分にできることは何でもする」  また……。たかが料理の話で随分と大袈裟な。と戸惑う一方で、その言葉に背中を押されたのも事実。  そんなふうに言われたら、選択肢は一つしかなかった。  三間の役に立ちたい。必要とされたいと思ってしまった。  それはとても危険なことだと、架空の記憶が警鐘を鳴らしているけれども。  時間を置いたら、決心が鈍る気がして。 「僕でよければ……、お手伝いします」  僕の返事に、三間は一瞬、虚を衝かれた顔をした。すぐにそれは、元の能面顔に戻る。 「そうしてくれると助かる」  わずかに口元がゆるんだが、笑っているのに目は笑っていない不穏な表情からは、安堵も喜びも感じ取れない。  ただ、なんとなく、声には、覚悟のようなものが感じられた。  ただの思いつきでふられた話だと思っていたけど。もしかしたら、それなりに悩んだ末の提案だったのかもしれない。  三間に礼を言い、僕は車を降りた。  二階にある2DKの部屋に入り、電気をつけると、荷物も置かずに部屋の奥に進む。ベランダの掃き出し窓のカーテンの隙間からそっと下を見下ろした。路上に停まっていた車が発進するのが見える。  もしかしたら、僕の部屋の明かりがつくのを見届けてから、車を発進させたのかもしれない。  理由はわからないけど、彼が僕を気にかけてくれていることはわかる。  車がいなくなった道路を見下ろしたまま、いつまでもそこから動くことができなかった。  早まったことをしたという後悔が、じわじわと込み上げてくる。  ……佑美(ゆうみ)さん……、三間のこと、「(はる)」って呼んでたな……。  ぼんやりとした頭で、そんなことを思い出していた。

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