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10 白猿は山中に咆哮し、二少女が現れるのこと

 金玉は声を限りに叫んだ。 「やめてくれーっ、誰かぁー!」 「へッ、泣いても叫んでもムダだ。誰もこねえ――」 「うるさーい! 静かにしてくれ!」  闇夜に怒号が響き渡った。  金玉が顔をあげると……すぐ近くに大男が立っていた。  新月の夜なので、顔がよく見えない。    その大男は、さらに続けた。 「まったくあんたたち、今、何時だと思ってるんだ?  人の家の前でギャーギャーギャーギャー……非常識ですよ!」 「お、おう……すまなかったな」  肝油は気迫に押されたのか、素直に謝った。 「……前に住んでたところでもそうだった……。  隣の洞《どう》は、毎日毎日、街道で子どもを遊ばせてるんだ。  夏になると、水盤《プール》を道に出して、そこで水遊びさせる……。  いや、庭があるだろ。芝生もあるだろ。なぜそこに出さない。  牛も馬も通るのに……。  それで私が『子どもさん、危ないんじゃないですか?』というと『えー、大丈夫ですよぉー』だ」 「ねえ親分、こんなとこに人が住んでたんですね」 「おれも知らなかったなあ」 「さらにひどいのは『風鈴』だ!  倭国《わこく》からの輸入品らしいが……鉄製の小さな鐘で、風が吹くと音が鳴る仕組みなんだ。  それをだな、家の外に吊るしてるんだ。  最初は涼しげな音だと思ったが、昼も夜もキンキンチンチン……。  そしてある時、嵐がやってきた。  一晩中、ヂリンヂリンヂリンヂリン……。  翌日、私が『すみませんが、嵐の日は風鈴を取り込んでくれませんか』というとだな……なんと……次の日には風鈴が三個に増えていたんだ!」  この人も神経質かもしれないが、風鈴を増やすのはなあ。  金玉は、その大男をちょっとかわいそうに思った。 「『あの人はそういう人だからぁー、気にしたってしょうがないよぉー』  ……私はみなからそう言われた……だが、私はどうしても我慢できなかったんだ。  せっかく、うるさい妖怪どもから離れて人間界に引っ越してきたのに!  どこにでも無神経なやつはいるんだな!」  ――妖怪……人間界? 「猿陽《えんよう》さま? どうされたんですの」 「誰かいらっしゃいますの?」  鈴を転がすような声がして、手燭を持った二人の少女が近づいてきた。  一人はツンとすました顔に、細い柳腰、今にも壊れてしまいそうな玻璃細工のようだった。  もう一人はふっくらとした頬、豊乳肥臀、向日葵《ひまわり》のような風情があった。  少女二人は、夜着にショールをひっかけただけの簡素な姿だったが、その美はあたりを圧するほどだった。  ――美しい!  金玉は襲われていたのも忘れて、二人の少女をうっとりと見つめた。  なんなんだろう、この生き物は。  天女なのか? 「ああ、ちょっと家の前で騒いでる人がいてね……」  よくよく見れば、絶壁に扉があいて、うす明かりが漏れている。  彼らはこの中に住んでいるのだろう。  少女は大男に近づいた。手燭の光が彼を照らす。 「ひいいっ」  肝油と子分が、脅えた声を出してあとずさった。  それは人ではなかった。  大男は、顔といわず腕といわず、真っ白な毛でおおわれていた。  そして、猿のようなごつい顔。  ――妖怪だ!  金玉は、乳母から聞いた話を思い出していた。  北の方には、猿の化け物が住んでいて、女をさらうのだと……。  ということは、この女の子たちは、化け物の奥さん?  さらわれてきたの?  それにしては、平和的な雰囲気があるんだけど。   「化け物とは、失礼ではありませんか。これでも私の母は人間なんですよ」  猿陽と呼ばれた白猿は、肝油に抗議した。 「あ、ああ、すまねえな……どうも、夜分にご迷惑をおかけしてすみませんでした」 「いえいえ、わかって下さればいいんですよ」 「さっ、金玉、帰るぞ」  金玉は、盗賊にぐいと体を起こされた。 「い……いやだっ!」  金玉は、またもや声を荒げて、ぱしっと手をはらった。  肝油についていけば、新婚さんいらっしゃいのはじまりだ。  それだけはイヤだ。  金玉は白猿に向かって、イチかバチかでこういった。 「どうか、お助けください!  この山賊はぼくをさらって、無体な目にあわせようとしていたんです。  このまま戻っては、ぼくは殺されてしまいます。お慈悲を!」  彼は化け物だ、是《イエス》、その通り。  だが静寂を愛する文人なのかもしれない。  それに女の子二人は、とっても美しい。  あんなに美しい人たちが悪人であるわけはない。  故に、女の子たちと普通に付き合ってる白猿も、たぶん悪人ではないのだろう――そんな適当すぎる理由だった。 「いや、ちがう! 金玉はおれの妻だ。殺したりなんかしない」  肝油は反論した。 「たとえ夫婦間といえども、強姦は罪になりましてよ」  すらりとした少女の方が、冷たくいった。 「まあ、なんてお姿なんでしょう。さあ、これをどうぞ」  ふっくらとした少女は、乱れた姿の金玉にショールをかけてくれた。  ――やさしい……。  金玉は感極まって、うわーんっ、と泣いた。  少女は、そんな金玉の背をぽんぽんと撫でてくれた。 「ちょいと、親分。これって、彭越山の化け物ですよ。  出直したほうがいいんじゃねえですかい?」 「うむむ……」  金玉を追いかけるだけだったので、肝油はろくな武器も持ってきていない。 「まあまあ、お互い、頭を冷やして……  奥さんは、しばらく預かっていますから。  うちには女性もいますし、何も心配いりませんよ」  猿陽は、肝油をいさめて言った。 「ようし、わかった。今日は引き下がろう。  だがな、金玉。おれたちの赤い縄は切れたわけじゃない……  必ずおまえを迎えにくるからな!」  肝油は捨て台詞を残し、子分を連れて去っていった。

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