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Zee Deveel ON STAGE / # 14. Long Train Runnin'
今回の現場検証でも、指紋も含めこれといって犯人の手懸かりらしきものはみつからず、なにが目的なのかは依然としてわからないままだった。
控室などのあるバックステージへの出入りは当然チェックされていて、要所々々には警備員も配置されていた。だが、『Zee Deveel European Tour 2015』のロゴが入ったTシャツやウインドブレーカーを着ていれば、誰にも見咎められずに出入りできた可能性も否定できなかった。
控室のドアには、その部屋を使用しているメンバーの名前が貼られていた。荒らされたのがルカの控室だけだったのと、鏡にメッセージが残されたことから、犯人の狙いはやはりルカで、なにかを要求してきているのではないかとロシツキーは云った。しかしルカはまったく心当たりがない、本当にさっぱりわけがわからないと云うばかりで、脅迫めいたメッセージは皆を怖れさせた以外の意味を与えられなかった。となれば、三度繰り返されていようが、どれほど現場が酷いことになっていようが、罪状的には不正侵入と器物破損行為のみである。
ロシツキーは真剣な顔で捜査を続けると云ってくれたが、一緒に来た刑事のほうにはおそらく愉快犯だろう、有名人は大変だ、などと軽くあしらわれた感じだった。なんにせよ、聞き込みなどの捜査はまだ続けるが、これ以上あまりできることはない、期待はしないでくれと云われ、ロニーたちはサズカ・アリーナを後にした。
一夜明けたその日は、また移動日だった。ロニーとエリー、ロードクルーとバンドの面々は明日のメルセデス・ベンツ・アレーナでの公演のため、ベルリンに向かっていた。ビジネスジェットをチャーターしてひとっ飛びすれば時間は半分で済むが、今回は鉄道での移動だった。
プラハ‐ベルリン間は乗り換えの必要がない欧州都市間特急 が走っている。一行がこの日乗った列車は先頭が一等車、続いて食堂車があり、残りの客車の半分はオープンコーチ、もう半分が六席ごとのコンパートメントになっていた。個室のようにはなっていても、混雑時には見知らぬ者同士が向かい合って坐ることもあるし、昔からある豪華列車のように外から直に乗り降りもできない。ただ六席ごとに仕切られているというだけだ。
なので、ロニーはひとつのコンパートメントを三、四人で使用できるよう、余裕を持たせてリザーブしていた。おかげで気兼ねすることなくゆったりと乗れたが、それでも四時間以上もかかる道程だ。
ルカとドリュー、そしてそれぞれの付き人のヴィトとグレンの四人は、プラハを出てから二時間ちょっと、ドレスデンを過ぎたあたりで気分転換にと食堂車に行った。最後尾から、前から二番めへの移動である。
列車内は満席というほどではなかったが、そこそこ混んでいた。車窓からは、広大で長閑な田園風景が果てなく続いているのが見える。声をかけられたりすることもなく、ようやく着いた食堂車で、ふたりは偶々空いたばかりの席に腰を落ち着けた。
列車のなかだということを忘れそうな洒落たクロスの掛けられたテーブルで、ルカはキルシュトルテとコーヒー、ドリューはビールとソーセージの盛り合わせなどそれぞれ好きなものを注文し、四十分ほど時間を潰した。
そして、荷物番を頼んだドミニクのためにアイスコーヒーを買って戻ろうと席を立つと――当のドミニクがブルーノと一緒に、ルカに向かって歩いてきた。
「あれ? おまえ、俺らのコンパートメントは?」
ドミニクは「すみません」と云ってブルーノを食堂車の奥のほうへと促した。食堂車の一角には、ドリンクや軽食が買える四分円型の販売ブースがあるのだ。
「ブルーノが、ユーリとテディに飲み物とサンドウィッチを頼まれて。それでみんなのぶん買うのにひとりじゃ持てないって云って、俺を呼びに来たんです」
「じゃあ、いまコンパートメントで番をしてるのは?」
「あ、ボスがいます」
ボスというのはロニーのことだ。
「じゃあ、おまえのコーヒーは買わなくていいわけか」
「そっすね、俺らのも買っていいって云われたんで……もちろんボスにも」
ロニーならコーヒーを買って戻るより、食堂車でソーセージをつまみにビールでも飲んでこいと勧めてやったほうがいいのじゃないか。そんなことを思いながら、ルカはじゃあお先に、と四人一緒に食堂車を出た。
* * *
「――どうしたの? ルカ。そんな顔して」
扉が開き、ルカが顔を覗かせると、進行方向に向いた側の真ん中の席に坐っていたロニーは顔をあげてすぐにおや、と思った。ルカがなんだか眉をひそめ、なにかを気にかけるような表情をしていたのだ。
「いや……なんか、誰かに見られてるような気がして」
「ええ?」
ロニーは座席をひとつ窓側にずれ、戻ってきた四人に中に入って坐るよう促した。対面にルカ、その横にヴィトとグレン、そしてロニーのひとつ置いて隣にドリューが腰を下ろす。
「それって、ファンとかパパラッチじゃなくて?」
「わからない。でも、ファンじゃないと思う。ファンならこう笑い声とか、なんか嬉しそうな雰囲気とかでわかるしさ。……さっきのは、なんだかじっと見張られてるような、そんな感じだった。……気のせいかもしれないけど」
「見張られてるって……まさか、犯人が?」
「わからない。でも、もしそうだとしたらプラハからずっと追ってきてるってことになるよな」
ロニーはぞっとした。まさか、そんなことがあるだろうか。自宅と事務所と控室を荒らした犯人が、ルカを追ってこの列車に乗っているなんて――
と、そのとき。ことりと音がして、通路に誰かいるような気配を感じた。扉の上部はガラス張りになっているのだが、通路から見えないよう、カーテンをきっちりと隙間なく閉めてしまっている。
ロニーは震える手をぎゅっと握りしめ、一度大きく深呼吸して息を詰めると、指を立てて皆に静かにするよう合図し、扉の傍へ近づいた。
カーテンにそっと手を伸ばす。すると、ドリューがロニーの前に手を翳して前に出た。バンドとスタッフ全員のなかでいちばん背が高い元サッカー選手のドリューは、ロニーに任せろというように頷いて見せ、カーテンではなく扉のほうを勢いよく開け、通路に飛びだした。
「うおっと!」
「あんたか!」
「誰!? ……って、またあなた!?」
そこにいたのはまたも頸からカメラを下げたパパラッチ――イヴァンだった。イヴァンは仁王立ちしているドリューに降参するように両手をあげて見せ、ロニーに笑いかけた。
「ははっ、みつかっちまった」
「ええ、みつけちゃったわ。ドリュー、その人が逃げないように見張ってて。いま電話で、最有力容疑者のパパラッチストーカーがここにいるけどどうしたらいいかって、ロシツキーさんに訊くから」
ロニーはスマートフォンをバッグから取りだしながら、イヴァンを睨みつけた。
「待て待て待て。俺は犯人でもないしストーカーでもないって。そりゃあシャッターチャンスがあれば撮るけど、それだけだ。俺はただ、純粋に事件に興味があって……」
「興味?」
ああ、と頷くと、イヴァンは厚かましくもコンパートメントの中に入ってきて、空いているシートに腰を下ろした。イヴァンの体格がいい所為か一気に狭苦しくなり、遠慮するようにヴィトとグレンが通路に出ていく。
「ま、ちょっと話を聞いてくれよ。チェコ警察だって困るだろうよ、ここはもうドイツだぞ?」
そう云われ、ロニーはしぶしぶスマートフォンのカバーをぱたりと閉じると、元いた席に坐った。
「話ってなんなのよ。あなた、事件に興味があってルカの後を尾 けまわしてるってわけ? プラハからここまで、ずっと見張っていたの?」
「正確に云うと、あんたらを尾けまわしてる奴がいないかって、離れたところから見てたのさ。安心していい。俺の見たところ、この列車に怪しい奴はいない」
「あなた以外はね」
「俺は怪しくないって。でも、この先ずっと安心できるわけじゃない、と俺は思うね。あの鏡のメッセージといい、犯人はまだ諦めたわけじゃない。必ずまたなにか仕掛けてくるはずだ……なあルカ」
「馴れ馴れしい」
「……ブランドンさん。あんた、本当になんにも思いあたることはないか? どこかで誰かに声をかけられたとか、」
「声は年中かけられるね。ファンですーって」
「ファンから貰ったプレゼントに、なにか妙なものが混じってたとか、」
「俺にじゃないけど、前に自慰ビデオを送ってきた奴がいたんで、それから注意してる。でも、特に変わったものはないね」
「ファンじゃなさそうな怪しい奴がいきなり近づいてきたとか……」
「そんなのあなた以外にいないんじゃないかしら」
ルカとふたりして素気無く返答していると、イヴァンは取り付く島がないと諦めたのか、肩を竦めながら立ちあがった。
「……そうやって警戒するのはまあ、いいことだ。その調子で諸々、気をつけるこった。じゃ、また」
「または結構よ。さよなら」
イヴァンはひょいと片手をあげ、コンパートメントをでていった。
やれやれとロニーはシートに凭れ、ふぅと息をついた。閉まりかけた扉を手で止め、隙間から通路にいたヴィトが顔をだす。
「あの人、今度はテディとユーリのところに――あ」
えっ、と思ったと同時に、ヴィトが言葉を切った。「大丈夫。蹴りだされました」
まったく、いったいなんなのかしらとロニーが髪を掻きあげると。
「まだベルリンまで一時間くらいあるだろ。食堂車で休憩してきたら」
ルカにそう勧められたが、そこまで移動して飲んだり食べたりしたいという気分ではなかった。ロニーはヴィトたちに中に入るよう促し、もといたコンパートメントに戻った。
メルセデス・ベンツ・アレーナでの公演は無事に終了、今度は何事も起こらなかった。ついでに再びイヴァンが現れることもなかったので、いつもの反省会という名の酒宴では、やっぱりあいつが犯人だったんじゃないかと盛りあがったりした。
そしてその翌日、一行は飛行機でワルシャワへと飛んだ。そこからさらに車で移動し、公演を行ったウッチのアトラス・アリーナ、そしてクラクフのタウロン・アリーナでも、まったく変わったことはなかった。ルカとテディは相変わらず仲が戻っていないようだったが、ステージ上では息の合ったところを見せてくれたし、コンサートは大成功だった。
そして、八月初旬のある日。このヨーロピアンツアーもようやく三分の二ほどを消化し、残るはあと八カ国というところまできた。ブダペスト、リュブリャナ、ザグレブでの公演が済んだらまたプラハにいったん戻って暫しの休息のあと、次は北欧、最後にイギリスを廻ってツアー終了である。
ブダペスト、リスト・フェレンツ国際空港からホテルへと向かうタクシーの中で、ロニーは流れる景色を眺めながらほっとしていた。
鏡のメッセージは不気味だったけれど、結局ベルリンやクラクフでは何事も起こらなかった。犯人がまた侵入を繰り返す気だとしても、プラハを出てからなにもないということは、犯人はチェコ人で国外まで自分たち――というか、ルカを追うつもりはないということではないだろうか。
そういえば、またなんて云っていたけれど、あのイヴァンというパパラッチも列車内で会った以後は見かけていない。ロシツキーから連絡はまったくないが、あの男もプラハに戻って事件の手懸かりを探しているのかもしれない。ザグレブでの公演が終わったあと、プラハにいったん戻ったときはまた警戒を怠らないようにしなくてはいけないが、それまでは大丈夫だろう。
ブダペストの街に向かう空は穏やかに澄みきっていて、軽く汗ばんだ肌に当たる風が心地良い。細く開けたウィンドウに向いて顔をあげ、ロニーは髪を撫でていく風に目を細めた。
――まさか不正侵入や器物破損行為どころではない、とんでもなく怖ろしい事件が起こるとは、ロニーは露程も想像していなかった。
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