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第29話 ダゴンさん
「それでは宿の意味がない。なので、僕はおじいちゃ、んんっ、祖父が形にした宿を大事にしつつ、これまで以上にお客様のことを考え、寄り添おうと思います」
一度魔物の侵入を許し、宿を壊してしまった自分がこんなことを言っても滑稽かもしれないが、ニケはそうしようと思ったのだ。
「四季の宿のこと、お願いします」
フリーから下りて、深く頭を下げる。
フリーは呆然とニケを見る。
レナは目を瞑り、やがて頷いた。
「……了解した。その通りにしよう」
凍光山は危険地帯故に、レナは仕事でちょくちょく訪れる。その時に、休める場所があるとないとでは仕事に行く時のモチベーションがかなり違う。そのおかげで仕事の成功率も上がるしニケに会えるしで、良いこと尽くめだ。
嬉しそうに頭を上げたニケの目を見て、自身の瞳を細める。
「ありがとうございます。レナさん。何から何まで」
「気にするな。あの場所に宿があると、助かるのはこちらだ。仕事仲間も『凍光山の宿、まだ再開しないの?』とうるさいしな」
会うたびに同じ質問をされるので海に蹴り落としておいた。
待ってくれているヒトがいるんだと、ニケはぐっと拳を握る。
「では、工事の件はダゴンに任せておこう」
「ダゴンさん……ですか?」
河止海狸(ビーバー)族のおじいさんで、一流の大工だ。五十年前に起こった大洪水。すべて流された場所で橋だけが残っていた。これを手掛けたのが彼ということで、一躍有名人となったのだ。
実際腕は立つ。薬師がキミカゲなら、大工はダゴンと言われるほど。
まあ彼の作品、耐久度はピカイチだがセンスが尖っているがゆえに、屋敷を造る際オキンは彼に頼まなかったという話がある。そのくらい好みは分かれるが、予約の取れない大工の棟梁さんである。かなり年を食っているが、まだまだ現役らしい。
ニケの宿のヒノキ風呂を作ったのも、彼だ。会ったことはないが名前は知っている。知らない者などいない……フリーくらいだろう。
一応聞いてみる。
「フリー。ダゴンさんって、聞いたことあるか?」
「団子? 醤油のやつが好き」
安心した。
「でもなかなか予約取れないと訊きましたが? 何十年待ちとか、何百年待ちとか」
レナは立てた膝に頬杖をついて軽く頷く。
「いや。ニケちん……ニケ殿の宿を真っ先に取り掛かってくれるそうだ」
「ふえっ?」
驚きながらも、椅子の上に尻を戻す。
フリーは腕を組んで適当に推理をする。
「ニケのおじいさんがまた人助けしていたとか? ファイマさんやベリ子さんみたいに」
ニケが「そうなの?」という目をレナに向けるも、彼女は首を横に振った。
「何年か前だが、切り出した木材を運ぶ隊が魔獣に襲われたとき、その隊の中にダゴンの息子がいたらしくてな」
近くで狩りを行っていたレナたちが駆け付けた時には、半数が食われ壊滅状態だった。戦っている間、レナの仲間が治療していたがダゴンの息子は横腹を食い千切られ、意識はなく。生き残りと彼を一番近くの街に届ける最中にまた魔獣に出くわし、その日は混沌を極めた。
レナも軽くない傷を負いはしたが、一晩寝たらまた仕事に戻ったため彼らが助かったのかすら知らないし興味もない。
ダゴンの息子は意識がなかったから、助けてくれたのが誰かは知らないはずなのだが。誰かに聞いたのか。それとも仲間がいらん事言ったのか。おしゃべりだからな。あいつ。
負傷したなど恥ずかしくて言えんので、この辺は言わないでおく。
「ダゴンにやたら感謝されてな」
自分の跡を継がない息子のことを苦く思っていたくせに、病院に駆けつけると包帯まみれの息子を見るなり泣き出したとか。
「それで貴女の頼みならいつでも……と、まあよくある話だ」
「人助けをしていたのはレナさんの方でしたか」
白髪が「すごーい」とのんきに手を叩いている。いらっとした。
「その大工たちの護衛は私が手配しておこう……。危険地帯(凍光山)だからな。それでだが。よ、よければどうだ? その代金くらい、私が払って……」
ちらっとニケを見ると、両腕でバッテンを作っていた。意志が硬い。レナは肩を落とす。
「ではあとは、僕らが資金を溜めるだけ、だな」
「俺頑張るよぉ」
思わずレナも「私も」と言いかけた。くそ! 仲間に入りたい。
さっきからうつむいているレナに、フリーが笑顔で声をかける。
「レナさん。なにか稼げそうな仕事は知りませんか?」
キミカゲとはまた違うことを教えてくれるかも知れない。洗濯屋を止めるつもりはないが、いざ宿が再開して資金難になった時に、出来ることが多いと助かる。
「し……そうだな」
間髪入れずに「死ね」と言いかけたが、小さい子がいるので自重しよう。
「……」
なんだか死ねと言われかけたような気がするが、今は置いておこう。
「まずは今言った大工だな。平均収入の1,5から倍はもらえる。何より火事が多いから、仕事は常にあるしな」
次は医者だが、あの薬師の側にいれば儲かるのはわかるだろうし、言わなくていいか。
駕籠かき(ヒトを乗せた駕籠を前後で担いでえっちらほっちら運ぶ仕事)はモヤシにはきついだろう。歌舞伎役者はなるまでの道が果てしない。
「あー……そうだな。別に貴様は死んでも構わないんだ、私のように魔獣狩りでもしたらどうだ?」
「なんか酷いこと言われましたけど、儲かるんですか? それって」
レナはどうでもよさそうにため息をつく。
「村の近くに魔獣が出たから退治を、とか。本来いないはずのところに危険な魔獣が出たので調査を、とか。そんな簡単な依頼だけでもそこそこ貯まるぞ」
「「……」」
全然簡単じゃない、と言いかけたが彼女基準では簡単な方なのだろう。
魔獣狩りは雪崩村でやっていたから良いかなと思うが、ニケとキミカゲさんが心配するからな。
というか、
「そういう依頼って、どういうところで受けられるんですか? 紅葉街には、無いですよね? そういう……施設? みたいなところ」
レナがだるそうな表情をしたので、ニケが答える。
「あるぞ? ここにも。他の街や村と比べると小さい建物だけど」
「あるの?」
キミカゲの家に居候してすぐ、患者さんに教えてもらい行ってみたことがある。なぜかキミカゲとその患者さんまでついてきたが。
常冬の山がある方角をレナは顎で示す。
「危険な山が近くにあるとは思えないほど、平和だからな。あの神使のせいで」
「……」
おかげと言ってほしい。
フリーは目を丸くする。
「もしかして、紅葉街ってかなり変わった街だったりする?」
ニケとレナが同時に頷く。
「魔物の被害がない、の一点だけでも『全国住みたい街ランキング』上位入り出来るほど。他の街は魔獣被害に悩んでいるんだ。神使がいない町や村は、自分たちやレナさんのような猟師に頼るしかない」
なので、「猟師組合」が幅を利かせ、領主に迫る権力や力を持っている地域もある。
フリーは「ほへー」と感心したように頷く。
「猟師かどうかを、見分ける仕組みとか、あるんですか?」
「無い」
しれっと言われ、目が飛び出しそうになった。
「無いのっ? え? オキンさんのとこで言う黒羽織みたいなもの、とか!」
「貴様はヤブ医者と名医を見分けられるのか? たとえ猟師が証明書のようなものを持っていたとして、偽造かどうか見分けられるか?」
「……え、えっと……」
何も言えない。
レナはフリーなどいないかのように目も合わせない。
「猟師は顔を売るしかない。まあ、私は有名になりたいなど思わないが、ある程度顔を知られている方が色々とやりやすいのは確かだ」
「でもそれじゃあ、半人前の猟師が強い魔獣の討伐依頼を受けちゃったら……、危険なんじゃないですか?」
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