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第1話

 枯葉を踏む音は心が折れた音と似ている。  パリパリパリパリ。くすんだ橙色の葉の悲鳴に耳は慣れてしまったのに心の痛みはいまだ鮮明に胸を刺し慣れそうもない。  足元を見下ろしながら歩いていたラビ・カンテットは顔をあげて白い息を吐いた。  空はどんよりとした雲が覆い、いまにでも雪が降り出してきそうだ。垂れた長い耳が寒さを訴えるようにぶるりと震える。それを左手で宥めてやると毛並みが悪くなっているのに気がついた。  昨晩の寝不足が祟っているのだろう。今夜も客が来るのだからその前に「可愛いうさぎ」を用意しておかなければ。  風呂に入って毛並みを整え身体を慣らして部屋には興奮剤の香を焚く。面倒な行程だが慣れてしまえばどうとでもない。むしろ面倒くさがってやらないと自分が痛い目をみるのを重々理解している。  本当はもう少し薬草を取っておきたかったが、ここら辺は狩り尽くしてしまったらしい。  小さくくしゃみをして、肩を震わせた。寒さには強い種ではあるが、だからといって特段好きというわけではない。できることなら温められた部屋でゆっくり眠っていたい。  水たまりが凍った薄氷に自分の顔が映る。薄茶色と白の斑模様の長い耳がたらりと垂れ、視野の広さを誇る茶色い瞳と速く走れる健脚な両足はうさぎの特性を色濃く残していた。  動物と呼ばれていた時代から長い月日をかけて二足歩行ができるまでに進化し、言語も一つになり種類が異なっても会話が可能になった。  現代の人間には多種多様な耳や尻尾が生え、見た目の特徴や性格を動物のころの名残りを強く残している。そのせいか草食動物と肉食動物の仲が良いとは言えず、差別や偏見がある。  だがそれは街に住んでいたときの話で山に一人暮らししているいまは関係ない。  もと来た道へ引き返そうと身体を反転させると右斜め後ろの松の木の根元に黒い革靴が見えた。誰かの落とし物だろうか。  そういえば昨晩の客が似たような靴を履いていた気がする。  まさか裸足で帰ったとは思えないが念のため確認しようと足を向ける。  近づくにつれ靴だけでなくその先もあるのが見え、はっと息を飲んだ。むせ返るほど血の匂いを漂わせた傷だらけの男が横たわっている。  銀色の髪と三角の耳。洋服の上からでもわかる鍛えられた筋肉は肉食獣を表している。  驚いて悲鳴をあげそうになる口元を押さえてどうにか堪えた。叫んだってこんな山奥には誰もいない。  男は気絶している。厚い胸板は規則的に上下していているが、服は所々切られ血が滲み、顔は泥だらけだ。  一目見てこの男がただ迷って山に来たのではないのがわかる。面倒ごとに関わる必要はない。  それに相手は肉食動物だ。  本能で敵だと認識する相手。  身体が震えだし、鮮明に残っている恐怖に後ずさるとパリパリと枯れ葉が叫ぶ。心が折れた音。自分の人生を奪った存在がいま目の前にいるような錯覚を覚え、奥歯を噛んだ。  (違う。あいつじゃない。あいつは虎だった)  両手で身体をかき抱こうとするが右手はうんともすんとも言わない。もう二度と動かない腕はだらりと垂れ下がったまま言うことを聞かない。  びゅうと一際強い風が頬を撫で、冷たさに冷静さを取り戻す。  関わるのはやめようと引き返そうとするとふと母親の顔が浮かんだ。  『困っている人がいたら助けなさい。いつかあなたを救ってくれるわ』  身体に染みつき、血肉となっている言葉はラビの本質の一端を担っていた。  母親とはもう何年も会っておらず、この男を放っておいても咎める人はここにはいない。  それなのに教えを背くことは家族からの愛情を否定してしまうように思えた。あれだけたくさんの愛情で包みこんでくれた家族を裏切るような真似はしたくない。一緒に住んでいないからなおのことその思いが強くなる。  でも相手は肉食動物だ。助けてあげたい、でも怖いと気持ちが天秤のように揺れてどちらに傾くか決められない。  ラビが悩んでいるあいだに男の囁き声が聞こえて、鼻がひくひくと震える。  もしかして目が覚めたのだろうかと顔を向けると男のくっきりとした眉が歪められていた。  「逃げろ……はやく、逃げろ」  夢をみているのか男の絞り出すような声は苦しげ に響く。何度か短く息を吐いたあと、規則的な寝息に戻った。逃げたときの夢でも見ているのだろうか。  気にはなるが怖い。本当はもし寝たふりをしているだけで自分を襲いかかるタイミングを測っている のではないか。でもそしたら傷だらけの意味がわ からない。  じゃあ客か? でも肉食動物は取らないとジープは言っていた。考えてもどうせいい方向には向かわない。  男は気絶しているようだし、それによくよく見ればハスキーだ。肉食動物というよりは雑食よりで本気を出して走ればうさぎの自分の方が速い。  意を決して男に近づく。  大丈夫、大丈夫と何度も心のなかで唱え、男の様子を伺う。シルクのシャツと細かい刺繍が施されたネイビーブルーのジャケットに革靴。  見るからに貴族か、同等の位のある人間だ。そんな人物がなぜこんな山奥で倒れているのだろ。

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