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誰でもいいなら、せめて俺じゃないヒトと
弾けるような笑顔。よく通る声。いつも皆の中心にいて、くだらない話で和ませてくれる。洸希 はまさに、太陽のような存在だった。
初めはその眩しさに惹かれていただけだった。ただ、洸希の近くにいられるだけでよかった。だけど、いつしか俺は洸希に友情以上の感情を抱くようになっていた。
それでも洸希は優しかった。いや、優しいだけじゃない。俺にしか吐かない弱音、俺にしか見せない悔し涙、俺にしか触らせない洸希の脆い部分。俺がそれを独占したいと思うより先に、洸希は俺を誰よりも特別な存在として扱った。
「こんなこと、■■にも話せないから」
恋人にも言えない秘密を、共有してくれるのが嬉しかった。それだけで、俺は俺の秘密を打ち明けることなく耐えてきた。
今だって洸希は、俺を一番の親友として信頼してくれている。だから俺は、洸希の結婚式 から続く新たな秘密を、新たな地獄を、この胸に隠してこれたんだ。これからも、ずっと。
『……子供産まれてからセックスレスでキツくて。あ、ごめん。お前こういう話ダメだっけ? うん? そう? 実はここだけの話。嫁の兄貴が、今度…………』
◇◇◇
毛足の短い絨毯が膝に刺さる感触にもすっかり慣れてしまった頃、携帯のバイブが部屋に響いた。雑誌のページを繰る音がやみ、男が立ち上がってスリッパを鳴らす。
「来たって。迎えに行ってくるわ」
覚悟を決める時間なら優にあったはずなのに、途端に込み上げる緊張と不安が腹の奥を擽り、肛門に押し込んだ異物を強く締め付けてしまった。俺は僅かに身じろぐが、姿勢は膝立ちのまま崩さず、声も上げない。尤も、左右の手首はそれぞれボンデージテープで太ももに固定されていてろくに動けないし、咥えさせられたボールギャグのせいで言葉を発することもできないけど。
男は数秒間こちらを眺めてから、何も言わずに部屋を出ていった。俺の頭は首まですっぽりと黒の布製マスクに包まれており、目元と口元だけ穴の空いたそれは、さながら銀行強盗のよう。他に身に付けているものといえば、シルク風の丈の短いバスローブだけ。いつもより少しだけ値の張るラブホテルの一室に、俺はひとり取り残された。
あいつから3Pしようと言われた時は、正直言って聞き流していた。洸希の義兄という立場を利用されて今まで散々ヒドい目に遭ってきたから――中でも最悪だったのは、洸希達の寝室でオナニーさせられたことか、玩具を挿れられたまま洸希と会ったことか――全く知らない男と3Pするくらい、寧ろ気が楽だった。あの男が、洸希を巻き込むことにようやく飽きたんだと思っていたのに。
洸希にあの話をされるまでは。
『……男同士なら浮気じゃないって、お義兄 さんが…………』
反芻した言葉は、ドアの開く音と「うおっ」という驚きと興奮の入り混じった声に掻き消される。荒々しい息遣いが、どうか自分のものだけであってほしいと願う。
「これ……マジで大丈夫なんすか? この人、こんな……」
「洸希君、何言ってんの。大丈夫に決まってるじゃん。こいつ、俺の犬だから」
頭を撫でるのは男の手だ。マスクの天辺についた耳のようなものや、首輪に尻尾付きのアナルプラグは、犬という設定のせいなのか。くだらないけど、この男らしい悪趣味さ。
「よーく躾してあるから噛んだりしないよ。ほら、洸希君も触ってみる? ……ヨダレすごいけど。汚くてごめんね」
「い、いや……大丈夫っす」
顎を掻く男の短い爪に促されて顔を上げれば、サッと視線を逸らした洸希が目に入る。穏やかな日差しと噴水のある公園が似合いそうな、白いTシャツに短パンの休日のお父さんスタイル。土曜日の朝十一時、奥さんには何て言って家を出てきたんだろう。
「洸希君、男は初めてだったよね」
「え……あ、はい。全く」
「一回したら、たぶん病みつきになるよ。妹には悪いけど……あぁ、でも、あいつが抱かせてくんないんだっけ」
俺の目の前のテーブルへ、椅子を引いて座る男につられるようにして、洸希も曖昧に笑いながら腰を下ろした。
「そうなんすよ。子供寝かしつけて、ソファで二人でいる時とかに、ちょっとでもそういう雰囲気作ろうもんならすげぇ不機嫌になって……」
「洸希君、何か飲む? 勃たなくなったら困るけど、ちょっと酒入ってる方がいいかな?」
男が冷蔵庫の扉を開けると、洸希は少し遠慮がちにその中身を指差す。
「あと、こいつにも選んであげて」
「えっ……」
「せっかくだしさぁ、俺らもちょっと話したいじゃん。その間、こいつが一人で遊ぶ用の」
缶ビールと一緒に、男はテーブルの上にいくつかの道具を並べ始めた。明らかに戸惑った様子の洸希が、逃げるように俺を見る。
「どれもこいつのお気に入りだから、遠慮しないで。……あ、今もちっちゃいやつ入ってるんだよ。ほら、可愛い尻尾、見てもらおうね」
男に促され、俺は手足を繋がれたまま辿々しく洸希に背を向けた。バスローブを捲られて、何も身に着けていない尻がエアコンの風に曝される。
「洸希君、どうかな?」
「……どうって……」
「ちゃんと見てよ。こいつの、ここに、チンコ挿れられそう?」
クンッ、と尻尾の先を引っ張られて、思わず腰が震えてしまう。声が出ないように喉を締めて、俺は次に来る刺激に耐えるため目を強く瞑った。
「ね?……結構エロいっしょ?」
ゆっくりと引き摺り出されるアナルプラグの最も膨らんだ部分に攣られて、俺の窄まりは大きく拡がった後にまた縮こまる。洸希に見せつけるよう男が穴を掻き混ぜたことで、中に注入されていたローションが溢れて太ももを伝う。
「……っすね。エロいっす」
数秒間の沈黙の後、洸希は小さく呟いた。こんな声、今まで一度も聞いたことがない。湿っぽくて、何かを渇望するような声。
「いいね、才能あるんじゃない?」
「…………実は俺、アナルとか興味あって」
「へぇ。まさかあいつとも?」
「いやいや! 一回それとなく触ろうとしたらマジギレされたんで。それきりっす」
「ふーん。でも、洸希君はケツよりおっぱい好きなんだと思ってた」
「おっぱい星人って皆に思われてるんすけど……。あの、これ」
差し出されたディルドの先端は、ちょうど振り返った俺の目の高さにあった。
「これ、いけます……?」
洸希は俺を一瞥すると、すぐに窺うように男を見上げる。
「結構エグいの選んだね」
「あっ、でも無理なら……」
「イケるよ、もちろん。なぁ?」
男は俺の頭を数度叩くと、洸希に向かって「投げてやって」と顎をしゃくりあげた。洸希は口元を引き攣らせて笑いながら、手の中の物をほとんど置くような優しさで俺の前に転がす。柔らかな薄ピンク色の、イボがたくさんついた歪な形のディルド。
男はそれを拾い上げると、あらかじめ用意していた透明のプラスチック椅子の座面に根本の吸盤を貼り付けた。
「それじゃあ、洸希君。改めて乾杯しよっか」
「……あぁ、はい。乾杯ッス」
手首は太ももに繋がれたまま、俺はゆっくり立ち上がると椅子の方へ歩き出す。口枷のせいで唾を飲み込むこともできずに、喉がヒュっと小さな音を立てた。洸希の選んだ性具で、洸希の目の前で、俺は今からオナニーをするんだ。
「それで、どう? 子育て」
「大変っす……。いや、てか、さすがに子供の話は」
「あー、ごめんごめん。気利かなくて」
「いや……すんません。子供の顔浮かぶと、なんか罪悪感っていうか」
俺は洸希達の方を向き、脚を大きく開いて椅子を跨ぐと、ディルドの先端をアナルに触れさせた。
「でもさぁ、ストレス溜まってるんでしょ?」
「それは子供のせいじゃないですよ」
ゆっくりと狙いを定めて腰を下ろしていくと、既に解され濡らされた俺の窄まりは、待ち侘びていたかのようにシリコンの表面に吸い付く。
「あは、出来の悪い妹で」
「……こんなことお義兄さんに言うべきじゃないんですけど」
その時、洸希が右手の親指の爪を噛んだ。
中学の頃からなかなか直らない洸希の悪い癖。
「あいつ、最近マジで頭おかしいんすよ」
今でも、俺にしか見せないんだと思ってた。
「昨日も嫁がっ…………」
ぬちゃり、と粘ついた水音は微かなものだったはずなのに、洸希はその瞬間言葉を切って目を見張った。
開けっ放しの口から声らしい声が漏れないようにするだけで精一杯で、腰を浮かせておく余裕なんて到底ない。入り口を突き破ったディルドは、吸い込まれるように俺の一番奥へと侵入した。表面のイボは何の抵抗にもならず、ただいたずらに内壁を、その奥にある器官を擦ったり押し潰したりするだけ。
洸希が俺をみる目は、好奇心と情欲に塗れている。
だけど、もしも、これが俺だとバレたら。
もしも、俺がゲイだとバレたら。
もしも、俺が洸希にずっと――。
「昨日も嫁が? どうしたの?」
わざとらしい咳払いと共に、男が沈黙を破った。
「えっ? あぁ、えっと……」
「気になるよね。でも、とりあえず一人で遊ばせてあげて」
「はい。すんません、なんか、初めてで……」
そう言ってビールを呷る洸希の喉仏が妙にいやらしいものに見えて、俺は慌てて視線を下に向ける。いつの間にか開 けたバスローブからは、勃起した下半身が露出していた。
「あの、聞いてもいいっすか?」
「いいよ。何でも聞いて」
オナニーを人に見せる時には、なるべく動きを大きくすること。自らの快楽を貪るのではなく、人に見られていることを意識すること。
腹と太ももに力を込めて腰を持ち上げると、無機質な張形が内壁を掴むように張り付き、離れていく。俺はかつて教えられた通りに、なるべく大袈裟な動作でピストンを繰り返した。
「こういうの、どこで知り合うんすか? やっぱネットとか?」
缶ビールを持つ手の小指が俺を指す。
「まぁ、色々……。でも、これはかなーり特殊なんだよね」
そういえば、男は己の一物よりも大きな器具を使いたがらないと聞いたことがある。だとすれば、洸希のモノはこれよりも?
何度も隣で着替えを見たし、一緒に風呂にも入ったことがある。だけど、怒張したそれを生で見たことはない。ふと想像してしまった途端に、直腸が跳ねるように蠕動を始めた。
「アプリとかじゃ無理だろうね。ここまでお互いの利害が一致する関係は」
「そういや、この人何で覆面なんすか? 有名人とか?」
舐めるような視線が俺の頭から爪先までを這い、それから股間に注がれる。
「そんないいもんじゃないよ。ただ、恥ずかしくて洸希君には顔を見られたくないんじゃないかな」
洸希だって、俺の裸は見たことがあるはず。
殺しても漏れる吐息に聞き覚えはないんだろうか?
本当に、まだ俺だってバレてない?
不安と期待の入り混じった感情が俺の動きを小さく、しかし大胆にする。俺は無意識のうちに上下運動をやめて、腰を回すようにグラインドを始めていた。何よりも気持ちいい前立腺への刺激を求めて。
「あの」
洸希が立ち上がるのと、一度目のオーガズムはほぼ同時だった。
「俺、そろそろ……限界っつーか……」
体中の血管がどくどくと脈打ち、どす黒い液体が全身を駆け巡る。咥え込んだままのディルドはすっかり存在感を失い、まるで俺の身体の一部かのように馴染んでいた。
「いいんじゃない? あっちも準備万端って感じだし」
顎を伝った唾液がポタポタと滴り落ち、バスローブを濡らす。俺はゆっくりと脚に力を込めて、腹の中の物を引き抜いた。
真正面に対峙した洸希の口元は、もう引き攣っていない。ギラギラとした欲望を瞳に湛えて、洸希は息を吐くように笑った。
「洸希君、手首のそれ外してやって。最初はバックがヤりやすいよ。……あ、男同士だけど一応ゴム使ってね。あとで俺もヤるかもだし」
男は椅子に深く座り直し、電子タバコの水蒸気を吐きながら言う。
「じゃあ……」
洸希は恭しいほどに優しい手付きで俺の手脚を繋ぐテープを外してバスローブを脱がすと、そっと腰に触れてきた。その温もりから逃れるように、俺は自らベッドに登って四つん這いとなる。
あられもない姿を見られたことよりも、ぽっかりと緩んだ秘部を曝していることよりも、衣服の擦れる音の方が気になってしまう。洸希が俺のすぐ後ろで、セックスをするために服を脱いでいるんだ。
「……挿れるよ? いいよね?」
優しい声とともに、再び腰に触れた手はこの数秒の間にすっかり汗ばんでいた。剥き出しの太もも同士が擦れ合い、ハリボテではない本物の男性器が挿入されるんだという実感が強まる。シーツを握り締めた手に浮かぶ骨と血管を見つめながら、自分の身体が自分のものではないような感覚に陥っていた。
ずぶり、と押し込まれた亀頭を、俺のアナルは一切の抵抗も見せずにあっさりと受け入れる。
「っ、あ、これッ……すっげぇ熱い……きもちっ……」
少し上擦った弾む声は、俺の低い唸り声を見事に掻き消してくれた。
「ヤバッ、マジで……すぐイクかも、しんねっす……」
何かに急かされるように始まった小刻みなピストン。繰り返すうちに、洸希のものが俺の中で大きくなっていくような気がした。確かに、さっきのディルドよりデカいかも。
「いいんじゃない? 足りなかったら何回でもヤればいいし」
「あっ、ハッ……うあ、ナカ、すげぇ動くっ……」
やがて洸希の動きは全身の体重をぶつけるような激しいものに変わっていき、腰を掴む手にも力が込められていく。深く深く繋がりを求めて引き寄せられれば、理性が弾けるみたいに下半身が跳ね、俺は洸希の前で二度目の絶頂を迎えた。
ほとんど同時に洸希も果てたようで、荒い息の合間に恍惚とした喘ぎ声が聞こえ、脱力した体の重みがのしかかる。
「すげぇッス……。マジ、外見っつーか、体は男なのに、ナカすげぇ柔らかくて、でも搾り取られるみたいで……」
洸希の陰茎が抜けるのに合わせて、俺は崩れ落ちるふりをしてベッドに顔を押し付けた。
「悪くないでしょ?」
「いや、むしろサイコーっす」
胸の中をぐちゃぐちゃに掻き混ぜられたような気持ちだった。身体はまだ快感の余韻で火照っているのに、洸希の声が耳に入るたびに言いしれぬ恐怖心で背筋が寒くなる。
「洸希君、男もイケるんじゃない?」
「え、はは、どうかな。ヤるだけなら……。ってか、この人、大丈夫っすか? さっきから突っ伏してるけど……」
「ん? 大丈夫大丈夫。逆に物足りなくてこっそりシコってんじゃない? なぁ、何してんの?」
後ろから強く首輪を引かれ、息苦しさに仰け反った。男は俺の顔をしばらく眺めてから、顎を汚す唾液を指で拭う。
「ねぇ、洸希君さ、すぐもう一発いける?」
そっと振り返ると、洸希は全裸のままペットボトルの水を飲んでいるところだった。陸上部だった頃とほとんど変わらない引き締まった肉体が、ラブホの薄暗い照明のせいで一層その陰影を際立たせている。
「……ぶっちゃけギンギンっす。今日のために俺、オナ禁してたんで」
片手を揺らす下品な仕草も、いつか見覚えのある悪ふざけ。
俺はこんな状況下でも、かつての眩しい姿を目の前の洸希に重ねてしまう。
当然だ。洸希は今も昔も、変わらずカッコいいままなんだから。
「じゃ、次は騎乗位いってみよっか」
「いいっすね」
男に首輪を掴まれたまま、仰向けになった洸希の下半身を膝立ちで跨ぐ。初めて手に触れる洸希の男性器は、今まで関係を持った誰のものよりもずっと太くて、硬くて、熱い。
「チンコついてるのなんか、すぐ気にならなくなるから」
「や、もうむしろエロいっす」
再び洸希を受け入れる。ぬるぬると濡れそぼった、俺の一番穢らわしい場所へ。
「それはよかった。チンコ触ったらナカ締まるよ」
「マジすか。なんつーか、便利っすね」
洸希は躊躇うことなく俺の陰茎を握ると、手を滑らせるように扱き始めた。便利だなんて皮肉だと思う。俺のそこは、誰に挿入することもなく、当然子孫を残すこともなく、何の役にも立たない無用の長物なのに。
「あっ、……たしかにすげぇ締まるっ。ビクビクして、クソエロいっす」
「あとさぁ、洸希君がもしよければなんだけど」
その時、男が俺の頭の後ろ側にあるボールギャグの金具に触れたのに気が付き、慌ててそれを手で押さえた。これを外されたら、洸希に正体がバレるかもしれない。
「な、なんすか……? ナカ、締まり過ぎて痛ぇくらいっ……」
洸希は俺の陰茎をぐにぐにといじりながら、快感か苦痛かわからないものを顔に浮かべて目を細めていた。
「洸希君、こいつとベロチューできる? それが一番気持ちいいから」
結局、この男には逆らえない。そもそも、この場に来てしまった時点で俺に逃げ道なんてなかったんだ。耳元で「抵抗するならマスク取るよ」と囁かれ、俺は大人しくボールギャグを口から吐き出した。
「べ、ベロチュー、っすか?」
濡れたタオルで口元を拭われながら、突き上げる洸希の刺激に耐えるため唇を噛む。
「あぁ、なんか、この人……」
洸希はそんな俺の様子をじっと見上げてから、嬉しそうに笑った。
「クチも、エロいっすね…………」
今まで一度も、そんな風に言われたことないのに。
今までずっと、俺は洸希の隣にいたのに。
男に促されて対面座位に姿勢を変えると、洸希は俺の背中から腰を優しく撫でながら、甘い声音で問いかけてくる。
「ねぇ。声、聞かれたくないの? やっぱ恥ずかしい?」
俺は顔を背けたまま数度頷いた。顔を見られたくないというより、洸希の顔を見ることができない。こんな状況で、何も知らない洸希は俺に偽りの睦言を囁いている。
今の俺は、そんなに普段と違うんだろうか。
洸希だって、俺の裸は見たことがあるのに。
いくら殺しても声は漏れているはずなのに。
「可愛い。じゃあ、キスするしかないね。こっち向いて?」
軽く顎を掴まれ、強く抵抗することもできずに正面を向いた。鼻を覆うマスクのせいではなく、酸素が薄く感じる。胸が詰まって苦しい。腹の中に埋まった洸希のモノがドクドクと脈打っている。全身の神経が洸希を求めて過敏になる。
「あ、睫毛なが…………」
瞳を覗き込まれた瞬間、俺は反射的にその唇を塞いだ。
「んっ…………」
歯列をなぞり、舌を絡め、唾液を吸い上げ、貪るようなキスをした。同時に下半身を擦り付けるようにして腰を振り、この地獄を早く終わらせようとする。
洸希のキスは、甘い甘い味がする。恐る恐る抱いたあの赤ん坊の匂いみたいな。奥さんが淹れたミルクティーみたいな。ウェディングケーキの切れ端みたいな。俺の知らない、でも俺も知っている、洸希の思い出と同じ味。
「やっぱ、積極的だね……。エロいよ、可愛い」
「……ぁあ、んっ……」
急に乳首を捻られ、俺は慌てて口を手で押さえた。
「おれっ、胸ない子と、ヤッたことないんだけどっ……」
洸希は俺の上体を後ろに倒すと、抜けかけた陰茎を一気に奥まで押し込みながら正常位で覆いかぶさる。
「こんだけ、感度よかったら、アリかも」
「……ふっ、ぅんっ……」
「声、我慢しても、ナカめっちゃ動くからバレバレだよ……感じてるのっ」
平らな胸を揉むように押し上げながら、洸希は慣れた手つきで乳首を転がした。余裕のなかった一度目とは比べ物にならないくらいねっとりと俺を責め立てる。長いストロークのゆっくりとしたピストンと、胸への刺激、それに洸希の熱っぽい声が、俺を三度の絶頂へと誘う。
その時、口元を押さえる右手を男に掴まれ、強引に引き剥がされた。
「ほら、洸希君にまたキスしてもらいなよ」
「……い、やっ……」
「何で? 俺とじゃ、いや? 俺はもっとキスしたいって思ってるんだけど」
そんな目で俺を見るな。
そんな声で俺に囁くな。
そんな風に俺を触るな。
性欲処理のためのダッチワイフに、優しくなんてするな。
今までお前に掛けられた優しさが、全部嘘に思えるから。
「洸希君、こいつ、メスイキできるから」
「……め、メスイキ?」
「あー、ナカイキ? キスしながらガンガン突いてあげて」
「了解っす……」
泣いているのがバレないように目を閉じると、洸希がそっと唇を重ねてきた。幸い涙は、流れることなく布製のマスクに吸収される。
洸希は男に言われた通り、キスをしながらピストンを続けた。そして俺もあいつの言う通り、呆気なくオーガズムに達する。洸希は俺の身体の震えに気付いているのかいないのか、絡まった舌を甘噛みしながら自身も射精したようだった。イッた後もしばらく続く緩やかな抽挿に名残惜しさを感じてしまい、俺は初めて洸希の背中にそっと腕を回した。
汗ばんだ広い背中は、思い描いていた通りの温かさだった。
それなのに。
◇◇◇
「いつまでメソメソ泣いてんの? 萎えるからやめろよ」
しつこく前立腺を擦るようなピストンをしながら、男は呆れたような声で笑った。
「う、るせっ……しねっ、お前なんかっ……」
「それにしても、洸希君、おっきかったね。お前、ちょっと緩くなってるし」
精嚢から無理に押し出された精液がトロトロと陰茎を伝っていく。もはや粘膜がヒリヒリとした痛みを覚えるだけの行為に快感なんてないはずなのに、俺の身体は何度目かわからない生理反応を引き起こした。
「あっ、あぁっ……く、ぅ……」
「うーわ、またイッてる。ありがとうのアクメってわけ? 大好きな洸希君に抱いてもらえて嬉しいんだよね」
「いっ、あっ、やめっ……!」
男は半勃起状態の俺の陰茎を指で弾いた後、尖った乳首を捻り上げる。鋭い痛みに自然と腰が反った。
「いっぱい褒めてもらったしね。お前のケツの穴も、チンコも、乳首も。あぁ、あと口も。エロいってね?」
強引に口の中に指を突っ込まれ、爪の先で舌を摘まれる。柔らかく敏感な器官が薄い爪に押し潰され、目の端に浮かんだ涙がつい頬を伝った。
「ヒッ、あっ、いひゃ……ぃ……」
「洸希君、きっとお前の泣き顔も気に入るよ。これで晴れて両想いじゃん。……なぁ、だから俺に感謝しろよ。ヘバってないでケツ締めろ。イケよ、ほら」
男は俺の両脚を抱え上げて、激しく腰を打ち付け始めた。直腸内を抉るような動きに、俺は目の前が白くなるほどの強烈な刺激を覚える。
「いやっ、やっ、もっ、無理ッ……!!」
人形のように脱力していたはずの身体は再び強張り、大きく跳ね上がった。俺の内臓は男のピストンどころか己の呼吸にさえ反応を示し、全身がひっくり返りそうなほど強く不規則に痙攣する。
ガクガクとした震えはしばらく止まらず、俺は男のモノが抜けた後もシーツに縋り付きながら悶え続けた。喘ぎ声と嗚咽の入り混じった自分の声だけが部屋に響いて、堪らなく不愉快だった。いっそこのまま消えてしまいたいくらい。
男は自分の後始末だけ済ませると、片側の口角を吊り上げてニヤニヤと笑いながら、俺の前髪を掴んで顔を覗き込んできた。
「それで、お前はどうだったの? 洸希君との初エッチ、気持ちよかった? 幸せだった?」
「…………ふ、ふざけんなよ……」
「何で? 好きなんだろ?」
筋張った男の手が、ゆっくりと気色の悪い動作で俺の頬を撫でる。
「それとも、気が付いちゃった? あんな誠意の欠片もないヤリチンの、どこがいいんだろうって」
「ちがっ…………」
まだ舌が縺れて上手く動かせず、俺は言い返す代わりに男を睨みつけた。
洸希を悪く言うな。お前は洸希のこと、何も知らないくせに。
俺のことだって、何一つ知らないくせに。
俺の気持ちは、俺と洸希の関係は、お前なんかに壊されるような脆いものじゃない。
俺と洸希は、お前なんかと出会うずっとずっと前から――。
「洸希君って脳みそ精子詰まってそうだよね。だって、顔隠してても普通わかるだろ。相手が知り合いだって。お前のことなんて、全然見てないんじゃない?」
あらゆる体液で濡れた身体が、少しずつ温度を失っていくのがわかる。
それと同時に、俺は自分の胸の内から湧き上がってきた薄暗い何かが、全身を飲み込んでしまうような感覚に陥っていた。
「ま、お似合いか。お前もずっと洸希君のこと騙してるんだもんね。……俺だったら絶対無理。許せないよ」
俺は洸希のこと、何も知らないんじゃないだろうか。
洸希が俺のこと、何も知らないのと同じように。
バスルームへ消えていった男の立てる水音を聞きながら、俺はその不安を打ち消すように、洸希との記憶を必死に手繰り寄せようとしていた。確かに二人の間にあるはずのものを。俺だけが知っている、大切な、大切な、何かを。
(終)
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