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第25話 約束とタイムリミット

「ご馳走さまでした。」 302号室で夕食を食べることも最早、日課の一つになった。 空になった食器や小鉢を重ね、部屋の外に待機している配膳用のワゴンに乗せる。 後は給仕スタッフが厨房まで運んでくれるのでやることは少ない。 「…あの、神崎先生って彼女とかいたりするんですか?」 食後に淹れた茶でほっと息をついていると凪にそんな質問をされた。 思春期、特に女子は恋愛に興味を持つ子は多いが凪に聞かれるのは予想外だ。 「いねえよ。仕事でそれどころじゃなかったから。お前もそういうの、気になるか?」 「…まあ、少しは。」 「凪こそどうなんだ?好きな女子とかいたりして。」 「…付き合うとかまだ分からない。第一、俺を好きになってくれる人がいるかどうかも。」 「ここにいる」とは口に出せない。 付き合っていた人はいない。その事実に安心してしまう自分がいた。 「自分を卑下しすぎるなよ。いつか、お前を好きになってくれた人は「自分なんか」って言ってるのはきっと聞きたくはないと思う。」 誤魔化すように俺は凪の首元にそっと手を当てる。 子供体温のせいかほんのりと温かく、入院当初と比べ痣が薄くなった肌は柔らかくずっと触れていたくなるぐらい。 「先生、冷たいからそろそろ離してください。」 若干赤く色づいた頬、さらりとした黒髪、均等に生えそろったまつ毛。 地味さと可愛らしさが丁度いい塩梅で溶け合った中性的な顔立ちは、まさに美少年と表せるもの。 「退院したら一緒に肉でも食いに行くか?美味い店、連れてってやるよ。」 凪が退院すれば患者とカウンセラーの関係も終わってしまう。 この子と自分の繋がりを無くなるのが嫌で、咄嗟にできた口実。 「じゃあ、約束。」 小指同士を絡ませる、幼い頃にやった人も多いであろう『指切りげんまん』 普段は大人びているが、時折見せる年相応の笑み。俺はこの表情の凪が一番好きだ。 「げんまんの意味、結構怖いの知ってます?」 「確か、拳で一万回殴るとかだったか。針千本飲ますとか、昔の日本人は恐ろしい奴が多いな。」 げんまんは漢字で「拳万」と書く。 握り拳で一万回、つまり「約束を破ったら一万回殴る」という制裁の思いが込められているらしい。 「悪い、もう行く時間だ。」 時刻は七時を過ぎ、今夜はある会談に立ち会う予定がある。 「おやすみ、また明日な。」 「先生もお疲れ様です。」 病室を抜け、いつもの事務室ではなく応接室へと向かう。 誰も来ていないことを確認し足を踏み入れる。 ソファーに腰をかけ、来客を待つ。 「失礼いたします。神崎さんで間違いないでしょうか。」 「はい。どうぞおかけください。」 静寂の中、来客のスーツ姿の女性が取り出したのは一冊のファイル。 刻々と近づく別れの時。 タイムリミットは後、3ヶ月。

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