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第8話

「大丈夫ですか!」  現場にやってきた救急隊員は、散乱した私物を拾い集め、獅堂を病院へと運ぶ。  一夜明けて、翌日。  昼の公開収録を終え楽屋に戻ると、日路はスマートフォンをチェック。  ──獅堂はもう、北海道へ着いただろうか。  ところが朝送った日路のモーニングメッセージは既読は着いているものの返事が来ていない。  ──忙しいのだろうか。  怪訝に思いながら、日路はメッセージを送った。 【日路】孝司、そちらはもう着いただろうか。  しばらくして返信がくる。 【獅堂】あっとな、その、すまない。帆立の貝柱だめんなった……って言うか、北海道には行けてない。  雪で空港が閉鎖されたのだろうか。日路は首を傾げながら返信を打った。 【日路】フライトが運休にでも? 【獅堂】あー、いやあ、飛行機が運休になったって言うか、俺が運休になったって言うか…… 【日路】孝司? 【獅堂】すまん礼一郎。俺、空港で刺された。 「なん……」  日路は思わず絶句する。 【日路】どういうことだ 【獅堂】空港を歩いてたら、小さい女に腹をブスッとやられた。  日路は、はっとなって、返事を打ち込む。 【日路】私のファンか? 【獅堂】犯人はまだ捕まってないから、わかんねえ。ただ、俺の知らないやつだった。 【日路】すまない、孝司。 【獅堂】大丈夫だ、犬たちは避難させてたとこだし、俺も命に別状はねえ。 【日路】避難? 【獅堂】あ、いや。 【日路】何か、私に言っていないことがあるのではないか。 【獅堂】その、すまん。  獅堂は、そこで初めて、記者会見からこちら、ずっと自分が陰湿な嫌がらせを受けていたことを白状した。 【日路】……どうして今まで黙っていたんだ。 【獅堂】たいしたことなかったし、礼一郎に心配も掛けたくなかったんだ。  たいしたことない。  その言葉に。  日路は深く傷ついた。  そんな事になっていても、自分に打ち明けてもらえなかったことに。  些細なことでも、まず誰よりも一番に自分に相談して欲しかった。  そして、獅堂は何でも話すくせに、こんな事になると伏せるということに、危機感を覚えた。 【日路】なお悪い  そう送信して。  日路は、思い直した。  ──違う、悪いのは……。  うなだれた日路は。  スマートフォンを持ち直すと、入力を続けた。 【日路】悪いのは、現実を見ないで、理想論で物事を考えていた私だ。私たちの関係を公にして、誠心誠意気持ちを伝えれば、全ての人が理解してくれる、そんなことはある訳はないのに。差別や偏見や嫉妬は、必ずそこにあって。そうして私は、それらから貴方を守ることが出来なかった。 【獅堂】いやいや、守るって、俺はお姫様じゃないんだから。 【日路】誰より私に、頼って貰いたかった。 【獅堂】だから、悪かったって。  獅堂は、日路が固めていく決意にまるで気づかない。 【日路】孝司。以前、貴方が私から身を引いた時の気持ちはまるで理解できなかったが、今なら分かる。 【獅堂】礼一郎? 【日路】これが正しいのか正しくないのかわからない、と、リーダーは言っていたが、結果が出た。これは、正しくないことだった。 【獅堂】どういう意味だよ?  尋ねられて、日路の手が止まる。  ──公表してしまった以上、最早取り返しはつかない。孝司は、妬まれ嫉まれ……私のせいで……私の……。  スマートフォンの画面にぱたりと滴が落ちた。 「孝司」  ──不特定多数の悪意から、私は貴方を守ることが出来ない。  日路は目を閉じて深呼吸をすると、再び文字を打ち始める。 【日路】貴方と別れる。  画面に落ちた滴で、文字が歪んだ。 【獅堂】だから言いたくなかったんだよ、礼一郎、俺は大丈夫だから。 【日路】事務所から交際終了の発表を各メディアに出して貰う。 【獅堂】礼一郎、話を聞けって。 【日路】孝司、愛している。  日路は、その場でメッセージアプリにブロックを掛けると、獅堂の連絡先を全て着信拒否にして電話帳から削除した。  ──貴方にもしもがあるくらいならば、私は……。  スマートフォンを握りしめる日路の指先は、真っ白になっている。  その手でもう一度、今度はマネージャーに電話を掛けると、日路は頼み込んだ。 「マネージャー、仕事が欲しい。可能な限りスケジュールを詰め込んでくれ」 『日路? どうしたんですか一体』 「海外ロケでも何でも構わない。なんでもやります」 『あ、ああ。やる気になってくれたのは嬉しいけれど……』  日路の剣幕に押されて、マネージャーは及び腰だ。 「それと、二転三転して誠に申し訳ないが、私と、獅堂氏の交際終了を公表して欲しい」 『ええ?!』 「本当に申し訳ない」 『どういうことなの』 「申し訳ない」  日路は二度謝ると、電話を切った。  それからの日路は。  規則正しく日常のルーチンを作り、仕事に埋没していった。  食事もしっかり取り、夜は眠る。  端から見れば、これ以上ないくらい日路は仕事に専念している、といえるだろう。  日路は普段から節制する方ではあった。  その規則正しさに拍車がかかり。  「彼は、まるでロボットのようだ」と囁かれるようになった。       ◉ 「日路、最近少し飛ばしすぎじゃない?」  雑誌のグラビア撮影中。  新條はポーズを取りながら、小さな声で日路に尋ねた。 「そうだろうか」 「なにしれっと言ってんの。聞いてるよ、滅茶苦茶仕事入れてるって話。複数の映画撮影でほとんどマンションに戻ってないでしょ、君。地方のTV局の番組まで顔出して」 「仕事をしたいんだ」 「君のその思い詰めて行動する癖、心配しかないよ」 「思い詰める?」 「獅堂さんと別れて辛いのも分かるけど」 「新條、仕事中だ。私語はその辺で」 「僕たちも心配してるって話。もう。だって君、すぐ仕事でいなくなっちゃうから……」  バシャバシャとカメラを切る音。  カメラマンは手を上げた。 「ハイ! ラスト三枚……! 三、いいね、その表情でキープ、二、……一! お疲れ様でした!」  新條はにっこりと微笑んだままポーズを決めえて、日路の意地っ張り、と、呟いた。 「新條」  すました顔で、新條はもう何も答えず。 「お疲れ様でしたぁ!」  ニコニコとスタッフの輪へ加わりに行ってしまった。   日路が無茶な仕事を続けて、半年が経っていた。  明日から始まる全国ツアーの間も、日路は東京と行ったり来たりだ。  ──獅堂、か、名前を、久しぶりに聞いた。  移動の車の中、日路は、ぼんやりと窓の外を眺める。ぎゅうと締め付けられる胸の痛みは極力意識の外へ追い出して。忙しい日常に埋没して逃げ回っていた悲しみに追いつかれないようにしていたのだが。  その悲しみに、ついに足首を掴まれてしまったようだ。  ──獅堂……獅堂孝司。  胸の中で名を呼んで。  日路はもう一度、自分の感情に蓋をした。       ◉  全国ツアーが始まった。  クリティカルのメンバーは、北海道から沖縄まで日本を縦断。  各会場での公演は順調に進んで、今日が最終公演。  日路は地方公演と都内での収録を往復し、流石に疲労の色が濃い。  それでも公演中は笑顔を絶やさずに歌いきり、千秋楽を迎えた。  無事公演を終えた興奮に包まれるスタッフやメンバー。  けれど、都内での仕事が待っている日路は、一人先に会場を抜けなければならなかった。  のだが。 「おかしいな」  すっかり身支度を調えた日路が首を傾げる。  もう着いても良いはずの空港までの送迎車が来ないのだ。 「日路、トラブルです!」  慌てて楽屋に飛び込んできたのは、マネージャーだ。 「どうしたんですか」 「頼んでいた配車が、すぐそこで事故りました。タクシー会社に今別の車を頼んでいますがもう時間が……」 「わかった。外で自分で捕まえる」  荷物を持って立ち上がった日路に眞柴が声を掛ける。 「気をつけてかえるんだぞ、日路」 「ああ、リーダー。それに皆も、お先に」  日路は眞柴とハイタッチをして楽屋を出た。 「タフだなあ。日路」  矢島は、ペットボトルのミネラルウォーターを飲みながら、呆れ顔だ。 「タフにならざるを得ないんだよ、日路は」  新城がぼそりと呟く。  メンバーの全員が、事情を知っているだけに、楽屋の中は静まり返った。  一方、目立たない色合いの服装に身を包んだ日路は、清掃業者の出入りする通用口に向かう。   地下の業務車両用駐車場を抜ければ、そこはもう会場の外で、タクシーを捕まえることができるだろう。  ライブは終了し、一時間は経っていた。  帰宅混雑は緩和しており、厄介なのは出待ちの迷惑なファンだけだ。  夏の夜。  日路は地下駐車場を出てうまく人混みを抜け大通りまで来ると、タクシーを見つけて手を挙げる。 「「タクシー!」」  声が、重なった。  ──まさかそんな。  日路は、あげた手を下ろせずに固まる。  その声は。 「それで? どこまで行くんだ今夜は?」  振り向くと、そこには獅堂が。 「孝司………………」  日路は絶句したまま動けない。 「早う乗ってくれん! 信号が変わってしまう!」  いつまでも乗り込んでこないふたりに、運転手が開けたドアから声をかける。  獅堂はタクシーに日路を押し込むと、自分もその後に続いた。 「どうしてここが」 「礼一郎が教えてくれたんだぜ? ここの会場の出口が、一番目立たなくて移動が楽だって」 「覚えていたのか……」 「お客さん、行く先をまだ聞いちょらんわあ」 「どこに行けばいいんだ?礼一郎」 「あ……福岡空港へ……」  日路はまだ状況が掴めていないようだ。 「礼一郎は逃げるのが上手いな。このまま捕まえられないで来年になっちまうかと、正直めちゃくちゃ焦ってた。全国ツアーがあって本当に助かったぜ」  日路は冷たい声で遮る。 「何をしにきた」 「礼一郎に逢いに」 「やめてくれ……もうこういうことは」 「どうして?」 「私たちは、終わりにしたんだ」 「“私は”終わりにしたんだろ、勝手に複数形にしないでくれ、俺は賛同してねぇ」  獅堂は憮然とした顔で訂正する。 「どうしたらわかってくれるんだ」 「俺が悪かった」 「今更……」 「ひとりで大丈夫だって思い込んで、結果ドジ踏んで、お前を悲しませた」 「…………」 「頼む、礼一郎。お前をひとりにして悪かった」 獅堂は日路の肩に頭を乗せる。 「俺を、もうひとりにしないでくれ」  日路は、大きくため息をつくと、獅堂の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。 「その言い方はずるいぞ、孝司」  獅堂の顔は乱れおちた前髪のせいで、どんな表情でいるのか分からない。  ただ、タクシーのバックミラーに映る獅堂の口元は微笑んでいるように見えた。 「反省したんだな?」 「ん……」  日路の問いに頷く獅堂。  日路も小さく笑うと、獅堂の顎先を捕まえ──  ふたりは車内で、そっとキスをした。  やがてタクシーは空港に着く。  降り際、運転手は獅堂の手にお釣りを渡しながら言った。 「お客さん達が幸せになるごと祈っちょるけ」       ◉  空港の出発ロビー。  飛行機のフライト時間ぎりぎりまで、ふたりはベンチに座っていた。 「孝司と離れている間。考えていたことがあった」 「何を?」 「私がこの仕事を辞めれば、孝司を迎えに行けるのではないかと。何遍も、何遍も考えた。引退して、海外へでも行って──」 「ああ、俺の会社は支社もあるしな」 「そうか! それなら……!」 「冗談だ礼一郎」  獅堂は日路の膝を叩く。 「そんなことさせる訳ないだろう」 「孝司は、初めて会った時、私を知らなかった。てっきり、私の仕事には興味がないものだと」 「ああ、知らなかった。けど」  獅堂は空港の広告を指さす。  そこにはクリティカルのメンバーが空の旅へと誘っていた。 「礼一郞と出会ってから、見渡せばそこいら中のメディアにお前がいることに気がついて。悪くないモンだな、〝推し〟がそこいら中にいる生活ってのは」 「だが」 「正直、お前を連れて逃げたいとは、俺も何度も思った。けど、礼一郞の仕事は人に希望を与える仕事だ。俺は、お前をそれらの人々からとりあげるような真似をしたくない」 「お前を傷つけるかも知れない人々でもか」 「祝福してくれる人だって中にはいたじゃねえか」  獅堂は、タクシーのレシートをポケットから引っ張り出して、日路に手渡した。 「……そうだな」  日路は、くしゃくしゃになっていたレシートを綺麗に伸ばして、折りたたむ。  日路は言った。 「どうすれば良いのだろうか」  獅堂は答える。 「どうすれば良いんだろうな」  しばらくふたりは考えて、やがて獅堂が口を開いた。 「それはわかんねえけど、俺はもう、お前を絶対に諦めない。お前を愛する奴は、ごまんといるけれど、俺はもう、諦めない」 「孝司」 「俺はあの時、本当はお前に〝諦めない〟じゃなくて〝愛してる〟って言いかけたんだ」 「ああ、私もそれを期待していた」 「でも、どっちも一緒だったな」 「え?」 「どっちも、俺にとってはイコールだったんだ」  獅堂は、そう言って、日路にウィンクをする。 「だろ?」  空港内に搭乗開始のアナウンスが流れた。 「諦めないでいてくれて、ありがとう孝司」  ふたりは立ち上がり、抱擁する。強く。 「じゃあ、また東京で」 「孝司は?」 「俺はこっから博多に出て新幹線だ。どうなるかわかんなかったから、飛行機は取れなかった」 「そうか」 「愛してる」 「私もだ」  もう一度互いに抱き締める腕に力を込める。  その写真がまた紙面を賑わせたのは、翌日の話だ。

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