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サウンド・オブ・サイレンス 1

 その電話があったのは、日曜日の早朝だった。 「吉城(よしき)、早い時間にごめん。起きてた?」  吉城真理(しんり)はあくびを噛み殺しながら、かまわないと答える。  羽田実流(はねだみのる)の声はシーグラスに似ていた。海に洗われて磨りガラスになった、青い欠片。すこし濁っていて、ビブラートのかからない、まっすぐな声。人に媚びることが苦手な実流そのものの声だった。 「話せるのが吉城しかいなくて」 「鎌田(かまた)の話か?」  実流の親友の名前をあげる。一瞬の沈黙のあとで、実流は話を切り出した。 「鎌田が結婚するんだ。披露宴で歌を歌ってくれって言われた」  語尾に笑みの気配が滲んだ。 「僕は結婚式にふさわしい歌なんて作っていないから、新しく書いたほうがいいのかな?」 「馬鹿かお前は」  頭にかかる霧が吹っ飛んだ。 「まだお前は鎌田を好きなのか?」 「だって僕が悪いんだ」  細面の柔和な顔に浮かぶ苦笑が見える。 「好きになってはいけない人を好きになったから」 「作るな、そんなもの」 「いつまでも歌を歌ってないで、安定した職に就けって。それでいて俺の披露宴では歌ってくれって言うんだ。ちょっとおかしいだろ」  耳障りな雨音が強くなった。梅雨の湿気を帯びた冷たい空気が、パジャマ姿の真理の肩をふるわせる。安アパートの薄暗がりで、実流が自分ではない人に恋をした鎌田を祝う歌を作っている。そのようなイメージが頭に浮かんだ。 「こんな雨のなかで暗いことを考えるなよ」 「大阪は雨なのか?」  意外そうに聞かれる。シーグラスの声は穏やかで優しかった。 「東京は晴れているよ。今日はこれから暑くなるだろうね」  やはり実流をひとりにするべきではなかったのだ。電話を切り、熱を帯びた頭で考える。  三ヶ月前に大阪へ出向したとき、真理は実流に自分の思いを告げるかどうか迷った。実流にとって、自分は鎌田の次の友達にすぎない。東京に仕事も住まいもある。それでも真理は、自分が東京へ実流を置いていくような気がしてならなかった。馬鹿馬鹿しい。自分と同じ二十四歳の男を。  肌寒くなって、肩を手で擦った。映画のセットのような激しい雨がベランダを叩いている。部屋着に着替えようとクローゼットへ向かう。  暗闇で膝を抱えて座る実流の姿が目に浮かんだ。  湿気で壊れそうな安アパートで、実流はこれから鎌田を祝福する歌を作るのだろうか。  真理はブリーフケースの財布を取り出すと、中身を確認した。黒いショルダーバッグへ財布とスマートフォンとハンカチを放り込む。頭に血が上ったまま、身支度を整える。  鏡のなかですこしえらの張った、目鼻立ちの大きく浅黒い肌の男がこちらを見返している。鎌田のようなスマートな顔立ちではない。自分は実流の好みではないだろうと何度も考えた。が、そんなことは今更どうでもいい。  実流を暗闇から連れ出すのは、きっと今だ。  真理はベージュのチェスターコートを着ると、バッグを肩にかけて激しい雨が降る外へ飛び出した。

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