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第67話 快気祝い
ソファに座ってプリンを食む。
護と律が作ってくれたプリンは、直桜が好きな昔ながらの硬いプリンだ。
「美味しい。すごく美味しい。今まで食べた中で一番美味しい」
直桜は感動と尊敬の眼差しで護と律を見詰めた。
「直桜にとっては二週間振りの食事ですからね。空腹のスパイスが、かなり効いていますね」
そんなことを言いながらも護は嬉しそうに照れている。
「今の直桜には丁度いいかもしれないわね。化野さん、とても慣れていて、私が手伝う場面なんて、ほとんどなかったのよ」
律にも褒められて、護は余計に照れながら恐縮していた。
「護が作ってくれるプリンが一番好き。お店のプリン、いらない」
パクパク頬張りながら、二個目のプリンに手を伸ばす。
「ダメよ、直桜。ゆっくり食べないと胃がビックリしちゃうから、少しずつ食べなさい」
「……はーい」
律に注意されると逆らえない。
残念な気持ちでちょっとずつ口に入れる。
そんな直桜を眺めて、護が笑った。
「直桜でも水瀬さんには逆らえないんですね」
「そりゃまぁ、俺にとっては姉さんみたいな母さんみたいな人だからね」
「たったの三歳差なのに、お母さんですか?」
「ん、俺の両親、俺が生まれてすぐに死んでるから、一番身近な女の人が律姉さんだったんだよね」
護が言葉に詰まっている。
「あ、そういえば話したことなかったっけ」
今は流れで話したが、そういえば護と家族の話をしたことがない気がした。
直桜としては特に何てことない話だが、護は気まずそうな顔をしている。
「私の両親も直桜と同じだし、惟神は両親が短命な場合が多いんですよ。集落では珍しくない話だから、気にしないでくださいね」
律がさりげなく護をフォローしている。
「そうなんですか……」
きっと護の反応は一般的で、直桜の感覚の方がズレているのだろう。
だが、最初からいないものは感じようもない。それを悲しいと感じたこともない。
「そんで、お前は何で槐と会ってたわけ? 自分から呼び出したの? 呼び出されたの?」
気まずい空気を清人の気まずい話題がクラッシュした。
プリンが喉に詰まりそうになって、コーヒーを流し込む。
「……呼び出されました」
とても小さな声で答えた。
清人が、ふぅん、と鼻を鳴らした。
「楓に呼び出されるとホイホイ出て行って、槐に呼び出されてもホイホイ出ていくわけだな。直桜は反魂儀呪に呼び出されると何の抵抗もなく出ていくわけか」
じっとりとした清人の視線から俯いて逃れる。
「もうしません」
楓の時は護が一緒だった。なんて言い訳が出来る雰囲気ではない。
「行くなって言ってるわけじゃねぇよ。ちゃんと相談しろって話だ。槐や楓とコンタクトが取れるのは直桜か俺くらいだろ。陽人さんや忍さんの信頼がなければ、俺らは裏切り者だと見做されても文句は言えねぇんだ。わかんだろ」
清人の言葉はよくよく理解できる。
護と集魂会のアジトに行った時も、陽人に似たような話を既にされている。
「うん、次からはちゃんと護に相談する」
「俺にも直に相談しろ」
間髪入れずに、それどころか被せ気味に清人が言い放った。
それはそうだなと思い、素直に頷いた。
「でもさぁ、直桜が最初に流離の毒を受けてくれて、正直良かったってのはあるよね、結果論だけどさ。多分、他の人だったら即死か、じわじわ死んでたよ」
紗月の言葉に、瑞悠が蒼い顔をした。
「結局、死ぬんだ」
「しかも惟神だけじゃない。霊力が高い人間ほど、致死率が高い毒だよ」
智颯が隣に座る円を振り返った。
静かにコーヒーを飲んでいた円がビクリと肩を揺らした。
「あ、うん。そうだね。惟神には、特に、効く毒、だけど。霊力や神力に累進して、致死率が、アップする、猛毒」
何とも怖い話だと思った。
「直桜様がなかなか目を覚まさなかった理由は、直日神の神力の回復に時間が掛かったせいだと鳥居さんは話していました」
智颯の説明は納得できた。
体感として、直日神が弱っているのは、今でも感じる。
「僕ら惟神にとって、内包する神は第二の霊元みたいなものです。流離の毒は、神と霊元にダメージを与える。だから即死率が高い」
「霊元に、作用するのは、自分の霊力が、毒に変わるのと、同じ、です。解毒が遅れれば、遅れるほど、自分で、自分を、殺してしまう」
智颯に続いた円の説明に、全員が絶句していた。
恐ろしさに息を飲んだ。
「毒で倒れた時、実はそこまで重症な気が自分ではしてなかったんだ。ただ、神力がしぼんでいくのは感じてた。護と開さんが必死に声掛けしてくれてなかったら、直日に呼びかけたりもしなかったかもしれない」
直桜の言葉に、清人が腕を組んだ。
「精神に作用してたわけじゃねぇのか? 意識を乗っ取られるような感じは?」
「頭の中が真っ黒になって、ぼんやりして、思考が鈍った、と思う」
流離に腕を掴まれて毒を盛られた後のことは、ぼんやりとしか覚えていない。
「それよりも、寝ている間に、夢をずっと見てた」
「夢? どんな?」
具体的には覚えていないが怖い夢だ。
まるで予知夢のような、この先の未来が映し出されたような。
しかし、巧く言葉に出来なかった。
「良くない夢、だったと思う。ただ怖くて、何が、怖かったんだろう」
思い出そうとしても、思い出せない。
直桜の様子を見て、清人が難しい顔をした。
智颯と円の顔色も優れない。二人が顔を見合わせて、清人に視線を投げた。
迷うような顔をしていた清人が、口を開いた。
「流離の毒は多分、直桜にだけ発動する作用がある」
「俺だけ? どうして……、いや、どんな作用?」
あれだけ直桜に執着している流離だ。直桜にだけ仕掛けた罠があっても不思議じゃない。
「お前の精神をぶっ壊す何か。これは朽木の見解だが、人工生産の妖怪ラットにあの毒を盛っても死ぬだけで奇行に走ったりはしなかったらしい。脳に異常も見られなかったそうだ」
「要の研究って、そんな感じなんだね」
改めて感心した。
円とは違う角度からの解析というか解剖というか、研究だ。
「眠っている間のお前は、明らかにおかしな寝言放ったりしてたんだよ。メンタルやられてんのは一目瞭然だった。だから起きて、ちゃんと直桜のまま帰ってきてくれて、安心したのが本音だ」
清人の発言に驚いた。
だから、目が覚めた時、円が開を呼びに猛ダッシュしていたのだろうか。
起きた時、智颯と円が傍にいたのも、気まずそうにしているのも、そういう理由なんだと思った。
「私が神紋を通して直桜の中に潜ろうと試みていた理由の一つに、それもあるんです。直桜の中で起きていることを解決して、直桜を助け出すためでした」
護が直桜を振り返った。
「護は、俺の夢を一緒にみたんだよね? どんな夢だったか、覚えてない?」
護が顔を曇らせた。
「一部だけですが。内容は曖昧だったし、気分の良いものじゃなかったですね。あれを直桜がはっきりと思い出したら、どうにかなってしまうかもと不安になります」
「そんなに、酷かったんだね……」
むしろ、思い出せないでいる方がいいのかもしれない。
覚えている護に総てを被せるようで申し訳ないが、思い出して正気で無くなったらと考えると、怖い。
(怖い、けど。忘れたままで、いいのかな。とても大切なことのような気もする)
悩む直桜に、円が控えめに声を掛けた。
「もし、思い出す気があるのなら、思い出したほうが、いいかも、しれないです、よ。夢の記憶が、フラッシュバックして、意識を蝕む方が、危険、かも」
「それは後々に影響が残るってことか?」
清人の問いに、円が微妙ながら頷いた。
「霊的な、現象、以外でも、過去の記憶や、夢がフラッシュバックして、生活を脅かす、精神的な障害が、あります。流離の毒が、関わっているなら、意図して、その状態を、起こすことも、可能かな、と」
「流離の毒がまだ残ってるってこと?」
問い掛けた直桜の声は無意識に不安げになってしまった。
円が考え込んだ。
「化野さんと藤埜室長、それに鳥居さんの治療で解毒は済んでいるけど」
智颯が円を見詰める。
「例えば、脳の中、霊元、直日神の中、とかに、まだ潜んでいても、不思議じゃない毒、ですよね。根拠はない、けど」
円が言わんとすることは、わかる。
現に今、直桜の中の直日神はかなり弱っている。解毒しきれていない可能性は高い。
「俺の解析、してくれない」
直桜は円に向き合った。
円が驚いた顔で返事ができないでいる。
「俺の全身、霊元も、直日神も含めて、円くんに解析を頼みたい。もしかしたら俺が見ていた夢も、抽出できるかもしれないだろ」
「でも、それは……」
戸惑う円に、直桜は続けた。
「夢の内容は、怖かったし、思い出したくない。けど、とても大事なことだった気がするんだ。今、ちゃんとしないと、遠くない未来に、俺が……」
頭の中に、陰が走る。
何かの像が結んで、直桜に言葉を紡がせた。
「皆の敵になるかもしれない」
口走った言葉に、はっとした。
まるで自分が発したとは思えない言葉に、じんわりとした恐怖が擡げた。
「俺、今、何て言った?」
呆然とする直桜を見詰めて、皆が息を飲んでいた。
護が、直桜の手を強く握った。
「確かに、そういう夢でした。あの毒に呑まれたら、いえ、流離君の毒以外でも、直桜が連れていかれてしまいそうで、怖かった」
護が清人に顔を向けた。
「私が見たのは、直桜の夢のほんの一部です。清人さん、今、解決しないと、きっと後悔します。直桜の解析をして、ちゃんと解毒しましょう」
清人の顔から余裕が抜け落ちた。
「円、直近でいつなら出来る?」
「明日、朝一までに、何とかします」
清人の緊張を感じ取って、円が立ち上がった。
「直桜と護、二人分だ。神紋で繋がってる眷族も解析しねぇと、意味がねぇ。いいな、護」
護が決意した顔で頷いた。
「僕も行く。直桜様、化野さん、今日はゆっくり休んで明日に備えてください」
円に続いて立ち上がった智颯が直桜に頭を下げる。
二人は急ぎ足で出て行った。
「とんでもねぇ毒、盛ってくれたもんだな」
清人が頭を抱えた。
「ごめん、清人。やっぱり俺、槐に会いに行くべきじゃ、なかったね」
自分の両手を見詰める。
夢の内容を思い出そうとすると、頭の芯がぼんやりして胸の内側がジリジリする。
直日神に声を掛けたいのに、何故か呼べない。
「この程度は想定内だ。直日神の惟神は流離じゃなくても狙ってくる。むしろ今までの槐のやり方が、ぬるかったんだよ。俺たちも本気で腹を括らねぇと、喰われるな」
清人の笑みが殺伐として、それが直桜には酷く悲しかった。
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