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第70話【R15】意識の最奥に潜む闇①

 直桜の意識の奥に入り込んだ護が歩いていたのは、森の中だった。  鬱蒼と茂った木々の葉の合間に見えるのは、赤く染まった空だ。 (直桜が目覚める前にみていた夢と同じ空、空気や気配も同じだ。誰かが直桜の中に入り込んで、直桜を操作しようとしているのか)  前に潜った時も、そんな印象を受けたが、今回も同じだと思った。  禍々しく穢れた気配が、直桜の自我を飲み込んで塗り替えようとしている。護の中に焦燥と危機感が湧いた。 (目覚めても直桜はまだ悪夢に苛まれていたんだ。早く、何とかしなければ)  魂ごと深く入り込んだせいか、体感でわかる。これはきっと流離の毒ではない。  感じる気配が流離とは全く違う。  直桜を眠りから覚ました時は腕を伸ばしただけだったから、気付けなかった。 (流離君の毒に紛れて、別の毒が混じっていたんだろうか。だとしたら、反魂儀呪の術者のものだろうか)  歩いても歩いても、黒い森が続く。  少し前に入った淫鬼邑の森に似て見えたが、雰囲気はまるで違った。  突然、広い場所に出て視界が開けた。  目の前に、直桜がいる。  護に背を向けて座り込んでいる。 「直、桜……」 「ふふ、あはは……」  酷く楽しそうに笑う声は潜むように小さい。  その肩が小さく上がり下がりしている。 「もっと、ちょうだい。いっぱい飲ませて。あぁ、穢れた神力、美味しいなぁ」  上がった顔が、餌を求める雛鳥のように、流れ落ちる黒い何かを飲み込んでいる。  どろりと粘り気がある液体のようなソレを、直桜はさも美味そうに求めている。 「お気に召していただいて、何よりです。たくさん、飲んでくださいね」  その声を聴いて、体が震えた。  暗闇に紛れて、直桜に黒い液体を飲ませている男は、自分だった。  男の指から流れ落ちる液体を、直桜が口で受け止める。  胸が悪くなるような光景から目を背けたいのに、護の目は釘付けになった。 「もっと、美味しいの、欲しい。口だけじゃ、足りない。下からも俺の中に流し込んで」  直桜が男の首に腕を回した。  男の腕が、直桜の腰を抱き、引き寄せた。 「欲しがりですね、直桜。可愛いですよ。私のでいっぱい気持ち良くなって。美味しいのを上からも下からも、あげましょうね」  直桜の耳に口を寄せて、男が腰を強く押し上げた。 「あぁ! 気持ちぃ……、もっと突いて、もっと! 奥まで欲しい。俺の中に穢れた神力、いっぱい出して。穢れるの、気持ちぃぃっ」  腰を何度も打ち付けながら、半開きの直桜の唇を塞ぐ。  重なった唇の端から黒い液体が漏れ流れている。直桜の喉が動いて、黒い液体を飲み込んでいるのだとわかった。  男が腰を一際強く押しあてる。直桜の体が大きく揺れた。 「また達してしまったんですか? 感じれば感じるほど、直桜の体には穢れた神力が沁み込んで、魂が闇に上塗りされるのに」  護の顔をした男が下卑た笑みで直桜を見下ろした。  体を震わせる直桜の表情は恍惚として、その手は護ではない護を求めて縋り付いた。 「だって、気持ちぃ、から……、美味しいの、飲んで、もっともっと、気持ちくなりたい」  直桜が自分から腰を振る。 「気に入ってもらえて嬉しいですよ、直桜。望むなら、いくらでも差し上げましょうね。ふふっ、直日神の加護がないと、直桜の魂は簡単に穢れますね。何とも、たわいないことで」  男がまた直桜の唇を塞いだ。  直桜の喉が忙しなく動いて、流れ込む黒い闇を飲み込んでいく。その間も二人の腰が強く打ちつけ合って、直桜の腹の中にも流し込まれているのがわかる。  直桜の顔が悦楽に歪む。快楽を受け入れる直桜の表情に狂気を感じた。  まるで自分との逢瀬を見せ付けられている気がして、護は動けなかった。 (アレは、誰だ? 俺ではない俺が、直桜を抱いてる? それともアレは、直桜が作り出した俺なのか?)  後ろから飛んできた光が護の背中にぶつかった。智颯の神力だ。  目の前に浄化の雨が降る。  直桜を抱く男の姿が、一瞬、化物のように映った。  護の顔をした男から、禍々しい気配が流れてきた。 (あれは、俺じゃない。直桜が作り出した幻想でもない。異物だ。あれこそが、直桜を狂わせている元凶だ)  危うく、この場の雰囲気にのまれそうになっていた。この気配は確実に、護の顔をした男から流れてくる。  また光が飛んできて、護の全身を包んだ。流れ込んだ智颯の神力が、護の目を覆って沁み込んだ。  護はもう一度、直桜を抱く男に目を凝らした。  自分の姿に視えていた男は、護とは似ても似つかない。妖怪のように見えた。 (あれは、鱗? 人の気配もする。だが、人ではない。一体、何だ?)  男の目が突然、護に向いた。  殺意にも似た気が飛んできて、無意識に体が動いた。  化物の腕から直桜を奪い、腹に蹴りを入れた反動で後ろに下がった。  既に護の姿に戻った化物が、転がった先で座り込んだ。  直桜を抱きかかえて、護は男を見据えた。 「お前は、何者だ。直桜を、どうするつもりだった?」  護を見詰める男の目がニタリと笑んだ。 「さぁ、何者でしょうね。きっと直桜が教えてくれますよ」  護の腕の中の直桜が、びくりと震えて体を起こした。  直桜の腕が護の首に掛かる。強い力で護を押し倒した。  体の向きも重力も無視して動いた直桜の体は重く、抗えないほどの力で護の首を絞める。 「邪魔しないでよ。折角、気持ち良かったのに。美味しいのたくさん飲んで、いっぱい穢してもらうんだから、邪魔しないで」  直桜が力いっぱい護の首を絞めあげる。  その腕を掴んで、護は直桜を見上げた。 「直桜……、あれは、私ではありません。あんなもの、飲んではダメです。直桜が、狂って、しまう」  直桜の顔は虚ろで表情がない。  直桜の後ろに、化物の護が立った。直桜の肩に手を置き、耳打ちする。 「直桜、彼にも穢れた神力を飲ませてあげましょう。美味しいとわかれば、きっと直桜の邪魔はしませんよ」  直桜の顔に笑みが浮かんだ。  凡そ普段の直桜からは想像もできないような、薄汚い笑みだった。 「そうだね。護は俺の眷族だから、俺の気持ちをわかってくれるよね」  直桜の手から、黒い闇が流れ落ちる。  無理やりに口を開かされて、穢れた神力を流し込まれた。 「ぐっ、がはっ……、ぅぐっ」  吐き出そうとしても、体の中に流れ込んでくる。胸が焼けて苦しい。息ができない。 (なんだ、これは。これが、神力? まるで濃い瘴気だ。人を喰った妖怪が纏う邪魅より深い業の塊)  墓守の鬼である化野の鬼の一族も、死に近い穢れを纏う。しかし、そんなものは比ではない。自ら命を搾取した穢れ、喰らった穢れを含む瘴気だ。 (死を守る化野の一族が嫌悪した気配、死を弄ぶ妖怪の気配だ。こんな瘴気が、神力であるものか)  護は、流れ込んできた穢れた神力を総て飲み込んだ。  体の中に入り込んだ瘴気を血に吸い上げ、己の霊力に溶け込ませる。  右手の拳に血魔術の炎を燃え上がらせた。 「あぁ、素晴らしい。自らの霊力に穢れを取り込む鬼の力ですね。魔を盛る妖力が生まれながらに備わった、鬼。欲しい、欲しいですよ、化野護」  恍惚と表情を昂らせる男の顔面に、護は拳を繰り出した。  森の木々を何本も薙ぎ倒して、男の体が遠くに吹っ飛んだ。  男が離れた隙に、直桜の体に手をあてると、穢れを吸い上げた。 「直桜、正気を戻してください。あんなものは、取り込んではいけない」  直桜に、必死に呼びかけながら、穢れを吸い上げる。  護に跨ったまま腕をだらりと降ろして、直桜が動かなくなった。 「けど、取り込めるのは穢れだけですね。体の中に入った私の神力までは、どうにもできないでしょう?」  耳元で、男の声がした。  振り返ると、すぐそこに自分と同じ顔があった。 「どうして……っ!」    かなり遠くまで殴り飛ばしたはずなのに。意識の中とはいえ、ここは直桜の中だ。この男の自由になるはずがないのに。  男の指が護の額にあたる。 「直桜は私のお人形になることを受け入れてくれましたよ。貴方はどうですか、化野護」  額に指をあてられているだけなのに、身動きが取れない。指一本、動かせない。  護の体に股がった直桜が、護に口付けた。 「護、俺と一緒に行こう。今よりもっと気持ちよくなれて、美味しいの、いっぱいもらえるよ。一護は護が欲しいんだって。一護のお人形になってよ、護」 「一護……? んんぅっ」  直桜の口から穢れた神力が流し込まれる。  体の中が穢れた闇で満たされる。 「ぁ、ぁ……」  頭の中が、自分の意識が上塗りされるような感覚に囚われる。  知らない声が全身に響いて、その声に従いたくなる。 「そう、ですね……。直桜と、一緒に、一護のお人形に……。楽しそう、ですね」  自分ではない誰かが勝手に自分の口で話しているよな、それが自分の声であるような。違和感なのに、それが正しいのだと思えてくる。  目の前に光が灯った。  智颯の強い神力が護の中に飛び込んだ。一瞬で総てが浄化された。穢れた神力が消え去ったのが分かった。  直桜の体を抱き上げて、男から距離を取る。 「神力を、智颯君と清人さんの神力で、直桜の全身を浄化してください!」  ここで叫べば、外にいる皆に伝わるはずだ。   穢れた神力は智颯の神力で浄化できる。直桜自身を浄化すれば、この男自体を消滅させられるかもしれない。

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