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第1話
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「はあっ、はあっ、はあっ……もう……っ、でちゃい、そう、だよ……っ、冬夜くん……っ」
シーツの上に組み敷かれ、大きく開いた脚の間を陣取る男の前後する腰が、徐々に速度を上げていく。圧迫感がいっそう強まったことから、宣言通り近いのだろうなと当たりをつけ、甘えるような声で男の名前を呼んだ。
「……さいごは、後ろか、ら……っ、めちゃくちゃに、突かれて……っ、いきた、……っあ、はぁ、ん……っ」
耳元に唇を寄せ、喘ぎ声混じりに乞うと、ぐうっとまた質量を増した肉棒に内臓が圧迫され、息が詰まる。天に召されたかのような恍惚とした表情で「僕たち、同じ気持ちだったんだね」と笑いかけてくる男に微笑み返しながら「一度、抜いてもらえますか?」と名残惜しむような色を添えて催促した。
「ああ、ごめんね」
慌てて身を起こした男の肉棒の張り出した部分が、孔の縁をひっかく。それにさえも感じてしまう素振りを見せると、男はたまらないといった表情で喉を鳴らした。後ろ髪を引かれるような仕草で身体を反転させると、すぐさま尻を鷲掴まれ、萎みかけていた孔に、容赦なく栓をされる。自分本意としか言いようのない律動に合わせ、相手の支配欲を満たすべく、甘ったるく鼻にかかった喘ぎ声を惜しみなく聞かせる。
この男は、多少大袈裟に見えたとしても、分かりやすい仕草を好む。中でも、甘える仕草が最も効果覿面だ。どちらかといえば早漏なほうで、スタミナはあまりない。いつも必ず正常位で始まり、最後は後背位の体勢で、相手の体をこれでもかとベッドに沈み込ませ、犯し尽くさんばかりの荒々しいセックスをする。そして、やたらと唇を吸いたがる。
「……ァ、あ……っんあ……キス、して……っん、む」
首をまわし、無理な体勢にもかかわらずキスを乞うと、すぐに口を塞がれ、呼吸を奪われる。思惑通り、その仕草は男の眼鏡に叶ったようだ。
後背位でするキスは苦しい。けれど、こちらが苦しければ苦しいほど中が締まるからと、それを好む男は多い。
「……ぁ、んむっ……ぁ、は、あ……も、で、ちゃ……」
「もう出ちゃうの? まだ、こっち、触ってないのに?」
「ひんん……っ、ぁ、や……そこ……っ、さきっぽ、ぐりぐり、だめぇ……っ」
淫乱だね、と蔑まれながら、乱雑な手つきで先端を捏ねまわされると、ぴゅるっと精液が溢れて飛び散った。それは極めて少量で、絶頂にはまるで届かない解放だったけれど、こちらの様子などまったく気にもかけない男の支配欲は擽られたようだ。それに輪をかけるべく、破裂寸前の肉棒が自分の体内を蹂躙する様子を、男の好む拙さで実況する。
「ひあぁ……っ、そんな、ぁ……っ、おく、まで……っ、ずぽずぽ、しちゃ、ぁ、あぁん……っ」
「ああ、もう……っ、本当に……っ、出ちゃい、そう、だよ……っ、出していいよね……っ? 冬夜くんは、なかに出されるの……っ、大好きだもん、ね……っ」
「す、き……っ、だいすき、だからぁ……っ、おくに、濃いの、ぉ……っ、たくさん、くださ──ひぁうっ!」
どちゅん、と最奥まで挿し込まれた肉棒が、ぐうっと質量を増して、これでもかと内臓を押し上げる。ぴったりと肌と肌が密着した状態で相手の腰が痙攣し始めると、こちらの体までびくびくと跳ねる。
「……ぁ、ひぃ、ん……っ、だ、め……っ、だめ、ぇ……っ、もう……っ、いっちゃ、う……っ」
か細い声で訴えることで、同時に達していることを演出しながら、さりげなく性器をシーツに擦りつけるも、絶頂には至らない。けれど、そんなことはこの男にとってはどうでもいいことだ。
「ぁ、あ……あん……っ、なか、いっぱい、出てる……」
シーツに頬ずりをしながらうっとりとつぶやくと、乱雑な仕草で頬を鷲掴みにされ、嫌な角度に首が曲がる。顔を顰めてしまわぬよう細心の注意を払うも、目を合わせるまでもなく、独り善がりな仕草で唇を塞がれた。
乱れた呼吸を整えるまでもなく始まった、舌を吸われる濃厚な口吸いに、酸欠で頭がぼうっとする。体内に埋まったままの肉棒が、ふたたび硬く芯を持ち始めるのを感じながら、片手を伸ばし、汗ばんだ男の髪に指を絡ませ、耳を擽ると、ようやく一方的な口吸いから解放された。
「……残念ですが、そろそろ時間です」
延長もできますが、と男の好む控えめな仕草で促すと、「うーん……」と歯切れの悪い反応が返ってきた。思わず目を瞬く。贔屓にしている客の一人であるこの男はここのところ顔を見せておらず、今日は久しぶりの来館だった。だから、ねだれば簡単に延長になるだろうと踏んでいた。
「……お仕事、お忙しいんですか? 久しぶりに来てくださったから、今日は朝まで愛してもらえると思っていたので……残念です」
媚びるような仕草で擦り寄るも、男はいつものように「そんな可愛いことを言われたら、離れたくなくなっちゃうよ」とだらしなく顔を弛めることなく、いっそう悩ましげな声を出す。
「延長したいのは山々だけど……人気者の君を独り占めするのは、気が引けるなあ……」
「貴方は特別なお客様ですから、多少の融通は利かせますよ?」
煮えきらない物言いから、簡単に察しはついていたけれど、今ここで俺にできることは、こうしてしおらしく振る舞うことだけだ。
改めて、男の容貌を盗み見る。全体的にみすぼらしくなったことは、出迎えた瞬間に感じていた。少し痩せたようにも見えるし、最も顕著なのは毛髪の量だ。相当なストレスに晒されているのだろうと、容易に想像がつく。
「……これからも、時々でいいので、お顔を見せに来ていただけると嬉しいです」
それだけを言って、自分の体のメンテナンスにまで気が回らないことを顕著に表している男の乾燥した唇を啄み、潤すように舌で撫でる。唇が触れ合う距離で「あと一回だけ」と腰を揺らめかせると、萎えかけていた男のものがわずかに硬度を上げ、反り返った。張り出した雁首がちょうど感じやすい場所を抉ったので、少し大袈裟に体をびくつかせ、甘えるような声を聞かせると、辛抱ならないといった仕草で男が覆いかぶさってくる。
「……貴方の顔を見ながらしたいです。キスも、たくさ、ん、ン……っ」
唇も舌も食べ尽くすようなキスに応えながら考えるのは、空いた穴をどう埋めるのかの算段だ。
相手の腕に絡みつかせていた腕をほどき、「それでは此処で」といつものように見送りの姿勢に移ろうとした時だった。何かに弾かれたように、唐突に、贔屓客が身を翻した。
「ああ、やっぱり、まだ帰りたくないよ」
この世の終わりを憂えるかのように、仕草も声の調子までも大袈裟な男の台詞に合わせ、「俺も、まだ貴方と一緒にいたいです」と訴えかけるように、男の窪んだ眼を見つめる。
朝まで愛し合いたい、と乞いながら、俺は内心で辟易していた。シーツの上で、互いに衣服を整えたあと、部屋を出る間際、エレベーターの中、そして見送りに至った今。今日だけで、何度繰り返したか分からないやり取りだ。正直なところ、名残惜しむ表情を保つことにも疲れてきている。けれど、ここで少しでも気を抜いて、相手の興を醒ましてしまえば、今までの苦労が水の泡になってしまう。
ベッドの中で話し聞かされたことを纏めると、それなりに名の知れた企業のそれなりの地位にいるこの男だが、社内で起きたトラブルの責任をなすりつけられて、その地位を脅かされている、といった状況のようだ。「このままだと、もう君に会いに来られなくなる」と終始青褪めていたけれど、この男の置かれる状況が、いつ好転しないとも限らない。
「もしも、冬夜くんさえ良ければだけど……どうかな、このあと、食事でも……」
「延長、してくださるんですか?」
「あ、いや、そうじゃなくてその……っ、お互い、プライベートの時間を、一緒に──」
「──そんな、この世の終わりみたいなこと言わないで? 此処に来れば、いつでも会えるんだからさ?」
しつこく食い下がろうとする男の台詞を遮るように響いた声に、びく、と目の前の男が大袈裟に全身を跳ね上がらせた。男が声のしたほうへと顔を向けたのを見届けてから、俺もそちらに視線を流す。
まず捉えたのは、オーソドックスな黒いスーツを着崩すことなく着込んだ、この場所にはやや不釣合いなまでに、いかにも真面目そうな若い黒髪の青年だった。そして、その青年の両手を握り、その顔を下から覗き込むようにしているのは、遊ばせた栗色の髪を軽やかに風に靡かせる、こちらも若い青年だ。
栗色の髪の青年が不意打ちで黒髪の青年の唇を啄むと、黒髪の青年の耳にさっと赤が差す。そこまでを認め、俺は改めて自分の客に向き直ると、そっとその名前を呼んだ。俺に呼ばれたことで我に返った男は、決まりが悪そうに頬を掻くと「また来るよ」と情けなく眉尻を下げ、ぎこちない笑顔を浮かべる。
「お待ちしています」
微笑み返すと、男は名残惜しそうに踵を返す。その姿が見えなくなるまでを見送ったあと、俺はふたたび、先の二人組がいたほうへと向き直った。栗色の髪の青年に手を振られ、仄かに頬を赤く染めた黒髪の青年が、会釈をしてから去っていくまでを見届けて、声をかける。
「ありがとう、怜央」
「困ってるように見えたから、思わず邪魔しちゃったけど、あれでよかった?」
「ああ、助かったよ。そっちはまた、ずいぶん若そうだったな」
「二十二歳。風俗も、男相手も、もちろん初めて。もう、めちゃくちゃ緊張しててさあ。キスしただけで顔真っ赤にしちゃって、可愛かったな~。ま、あんたにはこの感覚、理解できないだろうけど」
これだから童貞食いはやめられないのだと続ける、この童顔の青年は、アーモンドというよりはどんぐりを連想させる、愛らしい瞳を強調させた上目遣いと人懐っこい性格を武器に、主に新規の若い客をメインターゲットにしている。俺の同僚で、俺たちは男相手に春を売ることで生計を立てている、いわゆる男娼だ。
「そうだな。怜央には悪いけど、正直に言わせてもらうなら、俺には理解できない感覚だよ。そんなのに本気になられでもしたら、面倒くさいだけじゃないか」
年齢を問わず、経験の浅い客は、必要最低限に留めたサービスでさえ真に受けやすく、また本気になりやすい。俺としては、極力避けたい客層だ。男を買うことにそれなりに慣れた、割りきってくれる相手でないと、必要以上に時間と労力を消費させられるだけで、効率が悪い。
「あんたのそういうとこ、清々しくて好きだよ。で、このあとは? まだ指名入ってんの?」
「今日は、さっき見送ったので最後だな」
「せっかく空けてたのに、延長してもらえなかったんだもんね?」
「分かっていて訊くのは、悪趣味だと思う」
客の前以外では、感情を押し殺す必要も、偽る必要もない。分かりやすく顔を顰めてみせても、怜央はまったく気に留めない様子で「じゃあ、このあとは俺とデートだね」と腕に腕を絡ませてくる。
「場所は、今日も俺が決めていい?」
「構わないよ」
端から行き先を決めていた様子の怜央に腕を引かれるまま、俺は街頭がひしめく夜の街へと足を向けた。
目線を上げると、奥のソファー席に腰かけていた男と目が合った。俺たちの席とその男の席との間には、五席分の距離がある。それでも強く感じる目力を有するその瞳は、切れ長のアーモンドのような形をしている。その視線に、ずっと見られていたことには気づいていた。
「ずーっと見てるよね。あんたのこと」
俺の視線の先を横目でちらりと見て、怜央は「綺麗な人だよね」とたいして興味はなさそうにつぶやいた。目の色を変えず、片方の口角だけを上げて「金持ってそう」と付け足す。
確かに、その男は遠目に見ても目を引くほどに整った顔立ちをしている。くどくはなく、好みはあれど、誰が見ても「整っている」と認めるだろう隙のない目鼻立ち。そしてその身に纏うダークネイビーのスーツは、ひと目見て上等なものだと判る。此処はそれなりに値の張る店だが、それでも少し、その男は浮いていた。
「昔フった客とか?」
「それなら忘れていないはずだけど……何処かで会ったことがあるのかな」
世間は狭い。何処で誰と繋がっているか分からない。愛嬌を振り撒いておいて損をすることはないからと微笑みかけると、優美な男がわずかに目を瞠る。そして、慌てた様子で立ち上がった。すぐに歩き出した男は俺たちの座る席の前で足を止めると、凛としたよく通る声で自己紹介を始める。
「俺は、藤堂要という。失礼だが、君の名前は?」
単刀直入な質問に吹き出したのは怜央だった。俺は努めて表情を変えず、まっすぐにこちらを見据える身なりの良い男と目を合わせる。名乗るべきだろうか、と内心で審議している間に、向かいに座っていた怜央が返答する。
「素性の判んない相手に、そう簡単に名乗ると思う?」
怪しすぎるでしょ、とやや不躾に振る舞う怜央を不快に感じた様子はなく、身なりの良い男は「確かにそうだな」と即座に非を詫びた。そして、洗練された無駄のない所作で名刺を差し出してくる。その仕草からは誠実な印象を受けるが、印象というのは如何様にも操作できるものだ。俺は口を噤んだまま、信頼の置ける友人と誠実を纏う男の会話を観察することにする。
「これ、この人じゃなくて、俺の名刺ね。俺たちは其処のキャストだよ。だから、此処に来れば、まあ、運が良ければ? また会えるかもね」
「其処に行けば、君に会えるのか?」
怜央に向いていた視線がふたたび自分を捉え、さらに名指しで質問を投げかけられたので、俺はようやく口を開いた。けれど、その先は怜央によって遮られる。
「運が良ければね。この人、うちのナンバーワンだから」
「必ず、会いに行く」
熱心な眼差しと必死な物言いに気圧されつつも、それはおくびにも出さず、俺はゆっくりと口角を上げ、柔和な笑みを浮かべる。
「冬夜です。ご来館、お待ちしています」
微笑みかけると、手入れの施された血色の良い唇がわずかに戦慄いた。「必ず会いに行く」と念押しするように紡がれた声は興奮で微かに上擦り、震えながらも、やはり凛としていたのが印象的だった。
「すごいイケメンだったね」
フォークをくるくると回転させ、トマトソースで和えられたスパゲティを巻きつけながら言う怜央に、俺は「そうだな」と応じて、オリーブオイルでシンプルに味付けされたサラダパスタを口に含んだ。
イケメンという大雑把なくくり方は怜央らしいけれど、と口元を緩めながら思う。確かに目鼻立ちの整った、人目を惹く顔立ちではあったけれど、先の男が人の視線を集める理由はそれだけではない。その身に纏うスーツを始め、身に着けているものすべが一級品だとひと目で判った。そして、その一挙手一投足は、育ちの良さと品位を見る者に感じさせる。
「若く見えたけど、社長なんだね」
先ほど渡された名刺を目線の高さまで持ち上げながら、相変わらず興味も関心も薄い声で怜央は言う。
「ああ、そうみたいだな」
頷きながら、手元にある名刺に視線を滑らせる。名前の上には「取締役社長」と肩書が印字されている。そのさらに上に書かれた社名には既視感があった。
「ホテル・ウィステリア……聞いたことあるような、ないような……」
スマートフォンを取り出し、検索を始めた怜央に倣い、俺も傍らに置いていたスマートフォンを引き寄せると、検索アプリを立ち上げる。
「ふうん、藤堂リゾートの系列なんだ」
藤堂リゾートといえば、開業百年を超える総合リゾート運営会社だ。とにかくリゾートにこだわった高級志向のイメージが強いけれど、ホテル・ウィステリアはあくまでシティホテルという枠の中で、リゾート感やその他コンセプトに則った非日常を体験できることを売りにしているらしい。
「藤堂……血縁者、かな」
「息子だったりして」
何事も、所詮は他人事だと冷めたスタンスを崩さない怜央が、珍しくはしゃぐように声を弾ませる。
「よかったじゃん。さっきの幸薄そうなおっさん、繋ぎ留める必要なくなったね」
「……どうかな」
俺は肩を竦めて曖昧に笑ってみせる。怜央の言う通り、ちょうど贔屓にしている客が一人、消えかかっていることは事実だ。そして、先の男をものにすることができたなら、実入りの良さは消えかかった贔屓客の比にならないだろう。
「冷やかしに一、二回来て、終わりじゃないかな」
けれど、先の男は見た目も肩書も申し分なく、わざわざ大金を叩いて男を買う必要などないように見えた。男も女も掃いて捨てるほどに寄ってくるだろうし、選り取り見取りのはずだ。
「でも、なんか知らないけど、あんたにぞっこんって感じだったじゃん」
ちょっと怖かったくらい、と笑う怜央に、「どちらにしても、良いお客様にはならなそうだな」と苦笑する。
財力に富んでいるからといって、そのすべてが太客に成り得るわけではない。遊び方を弁え、一定の距離と節度を守ってくれる──そういう客を、でき得る限り長く繋ぎ留める努力をする。結局のところ、それが最も手堅いやり方なのだ。
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キャスト用の通用口から中に入ると、すぐに気づいた案内係の男が「珍しいですね」とわずかに眉を上げた。「キャンセルが出たんだ」とだけ返すと、案内係は「そうですか」とだけ言って、それ以上詮索してはこない。差し出されたミネラルウォーターの入ったグラスを受け取ると、俺は見慣れた栗色の頭はいるだろうか、と室内を見渡す。
久しぶりに足を運んだ『ショールーム』は閑散としていた。それに安堵しつつも、やはり此処は落ち着かないなと苦笑する。
その仰々しさに思わず笑ってしまいそうなほど、高く広い天井には、まるで夜空に浮かぶ星屑のように散りばめられた無数のシャンデリアが、煌々と輝いている。その照明の数に対し、室内がそれほど煌びやかでないのは、それらに暖色系統の電球が用いられているからだ。それによって空間そのものが高級ホテルさながらに感じられるよう、すべてが計算の上で演出されている。
此処は元々老舗ホテルだった建物を改装し、造られた娼館で、『ショールーム』と呼ばれるこの大広間の中央にはこの空間を真二つに仕切るための大きな硝子の壁が据えられている。完全に区切られたその内側で、男娼は客に対し性的なアピールをし、客はそれを外側から眺め、気に入った男娼がいれば指名し、部屋へ連れていく、というシステムだ。
初めて此処に連れてこられ、此処で客を取るのだと言われた時、このあまりにも常軌を逸した光景に足が竦んだのを覚えている。当時の、まだ初心だった俺には、硝子張りの壁の向こうにいる男たちに品定めをされながら、自慰をしたり、他の男娼と抱き合ってみせたりなど、とてもじゃないが正気の沙汰とは思えなかった。
それも、今となっては懐かしい記憶だ。
「隣、いいか?」
「あれ、珍しいじゃん。あんたが此処に来るなんて」
目当ての栗色の頭を見つけ、声をかける。振り返った怜央は、その少年の面影を色濃く残しつつも華のある顔に驚きの表情を浮かべていたけれど、すぐに親しげに笑いかけてくる。冷めきった心とは連動せず、ころころと変わる表情は、怜央の持つ最大の武器だといつも思う。それは俺にはないものだ。だからこそ、俺たちは同じ客を取り合うようなこともなく、こうして長く友人関係を続けていられるのだろう。
二人掛けのソファーを独占していた体をずらし、スペースを作ってくれた怜央の隣に腰を下ろす。向かいに目を向けると、曇り防止の施された趣味の悪い硝子製のソファーの背もたれに縋りつくような体勢でいる青年の上に、見た目の年齢も体格もほとんど変わらない青年が覆いかぶさっていた。上にいる青年が下にいる青年の孔に浅く挿入した性器を緩やかに前後させながら何かを囁くと、下にいる青年が吹き出すようにして笑う。見慣れたその光景を尻目に、俺はローテーブルに置かれた果物の盛り合わせからパイナップルの欠片を掴み、口元へと運んだ。
「キャンセルが出たんだ」
「なら休んじゃえばいいのに。相変わらず真面目だねえ」
「休んだって他にすることがない。それに、こういう時に新規を捕まえておきたい」
男娼の賞味期限は短い。どんなに熱心に通いつめてくれる客でも、ピークを越えれば自然と足は遠退くし、ぱたりと前触れなく来なくなることも少なくない。
この世に不変なものなどありはしない。物事は移り変わる。中でも、人の心ほど移ろいやすいものはないと、俺は常々思う。だからといってそれを嘆く必要はなく、減った分だけ補充すればいいだけのことだ。
替わりはいくらでもいる。この世に替えが利かないものなどありはしないのだ。
「いっそ、誰か一人のものになっちゃおうとは、思わないの?」
「思わないな」
「なんでよ? たくさんいる客の中から一人を選んで、その人だけに甘い言葉を囁いて、一生貢がせるの──あんたなら簡単じゃん。そうやって此処を出ていったやつ、たくさんいるよ?」
わざとらしく首を傾げてそんなことを言う怜央は、それに対し俺が何と答えるのかをすでに知っている。
「その生き方は、リスクが高すぎる」
「それはそうなんだけど」
あっさりと引き下がると、怜央は果物の山から苺を摘まみ上げた。そして、ふたたび俺に向き直ると、摘まんだ苺を俺の口元に押し当ててくる。
「此処に来たってことは、今日は俺の相手、してくれるんでしょ?」
そのために来たんだもんね? と重ね、試すような表情で窺い見てくるのは、俺がこうして人に見られながらするのが苦手だと知っているからだ。理解を得ている相手に対し、見栄を張る必要はない。不承不承といった態度を隠さず、肯定を示すために押しつけられた苺を軽く噛むと、甘酸っぱさがじわりと口腔内に広がった。
「じゃあ、遠慮なく」
いただきます、と言って顔を近づけてきた怜央の柔らかな唇を、瞼を下ろし受け入れる。苺の半分を奪われたと思ったら、噛み砕かれた果肉が器用に動く舌と共に口腔内に侵入してきた。最初から逃げも隠れもする気のなかった舌を簡単に絡め取られ、吸われると、じゅる、と品のない音が立つ。
「……ん、ふ……っ」
されるがままではいけない。俺は自ら身を乗り出すと、好き勝手動き回る舌を捕まえて、啜り上げながら、あちこち遊ぶ柔らかな栗毛に指を差し込むようにして、小さく丸い頭を掴んだ。ちら、と硝子の壁のほうへと目を遣ると、こちらを見ている客のうち、一人と目が合う。媚びるような視線を送りながら、息継ぎをしている怜央の苺のように赤く熟れた唇に噛みついた。
「あんた、キス好きだよねー」
「……もっと」
ちゅう、と音を立てて上唇を吸いながら、甘える仕草をみせると、「普段とキャラ違いすぎ」と笑んだ怜央が俺の上唇と下唇の間を舌先で擽る。そうしながら、怜央の手指はもう俺のスラックスを寛げ終えていた。隙間から中へと入り込み、下着越しに甘く勃ち上がった性器の形をなぞり始める。
「あれ? もう勃ってる?」
力任せに擦られるのではなく、慰めるような手つきで摩られると、早くも吐精感が迫り上がってくる。情けない声が漏れ出てしまいそうな予感を覚え、咄嗟に俯くと、「もしかして」といつものように揶揄を含まない代わりに優しさを纏った声が、甘やかすように訊いてくる。
「最近、下手な客ばっか相手してた?」
下着をずり下げられ、直に性器を握り込まれたせいで、頷くことが精一杯だった。一回出しちゃお、と言って俺の耳朶を甘噛みながら、高みへと導く怜央の手つきはどこまでも無駄がない。
「……ぁ、あっ……っン、あ……だめだ、れお……っ、だめ……っ、い、く……っ」
びくん、と全身が跳ね上がったのと、怜央の手のひらに劣情を叩きつけたのは、ほとんど同時だった。久しく訪れていなかった解放に、放心せずにはいられない。ソファーに全身を預けて脱力する俺を尻目に、怜央は汚れた手指を備え付けられたウェットティッシュで綺麗にすると、ふたたび俺に向き直る。そして、何も言わず、性器をだらしなく晒したままの俺の下半身からスラックスと下着を取り上げてしまった。
怜央のその行動の目的が分からないほど、もう初心じゃない。俺は自ら纏うものがなくなった両脚の爪先をソファーの縁に引っかけるようにして膝を折り畳むと、膝裏に両手をくぐらせ、抱えるようにして、大きく左右に開脚する。照明の下に晒され、期待にひくつく後孔に、硝子の向こうに群がる男たちの視線が集まるのを感じて、喉の奥が戦慄いた。
「下手なやつなんか切っちゃえばいいのに。あんたってほんと、律儀っていうか、真面目っていうか」
改めて隣に腰を下ろした怜央が、ローションを纏わせた指で孔の縁を撫で摩りながら顔を覗き込んでくる。俺の返答など待たず、合わさった唇の隙間を舐めると、すぐにちろちろと敏感な舌の肉を舐められて、背筋が震えた。
「……っあ、ぁ……っ、ん、ぁ……っ、そこ……っ」
ずぷりと入ってきた二本の指に容易く探り当てられた性感帯を撫でられると、感極まった声が漏れる。咄嗟に口を塞ぐと、「だめだよ」と甘く叱られ、取られた手を導かれた先は胸の頂きだった。甘んじて、俺はそれに従う。
此処は自慰やセックスを見せつけて、客に媚びを売るための場所だ。
「それにさ、同じ客ばっかだと飽きない? しかもセックス下手とか最悪じゃん?」
少しも悪びれることなくそんなことを言ってのける、この童顔の男娼は、贔屓をあまり作らず、ほとんど此処での『ショー』とたまの指名に応じることのみで利益を上げている。
男娼を指名せず、ただ見て愉しみたいだけの客だっているから、それはルールに反しているわけではないし、珍しいことでもない。営業活動のスタイルは自由だ。
「ね、いっそしばらく指名は取らないで、此処で俺の相手しながら、運命の人が来るのを待つってのはどう? あんたのことを囲って、一生面倒見てくれる男を待つの……ほら、こないだ声かけてきた、あのイケメンが来るのを待ってみるのはどう?」
そう言って笑い、指を引き抜いた怜央は「どれにしようかな」と歌うように言いながら、室内の至るところにオブジェのように飾られた性玩具を見繕い始める。
怜央の言うことも一理ある。一人の人間に一生を預ける気は毛頭ないけれど、いっそしばらく指名を取らず、此処で怜央の相手をしながらあの男を待つ、というのもひとつの手段だ。
あの男──リゾート運営会社の現代表を実父に持ち、自身もホテル事業会社の代表を務める、申し分ない肩書きと財力を持つ男──が贔屓の一人になってくれたなら、しばらくは安定が得られるだろう。見世物になるのが嫌で地道に客を繋ぎ留めているが、楽をすることすべてが悪だと思うほど、俺は生真面目な人間ではない。
「これかな」
怜央が手に取ったのは、筆記体のTのような形状が特徴の、前立腺を刺激することに特化した性玩具だ。
「あんた、奥ばっかガンガン突かれるより、浅いとこをこうやってぐりぐりされるほうが好きでしょ?」
怜央がスイッチを入れると、目の前に翳された性具の先端から全長の三分の一ほどの範囲が、うねうねと卑猥に蠢き始める。思わず喉を鳴らし、頷くと、「可愛い」と笑って、怜央は俺の唇にまたキスをした。
こうして、性技によって相手を悦ばせることに長けている男娼とするほうが、客とするセックスの比にならないほど気持ちがいいのは事実だ。けれど、それは男娼たちが日々自らの体の隅々まで手入れを施し、手練手管を磨いているからに他ならない。そして、それらは客を悦ばせるためのものであって、こうして同じ男娼を悦ばせるためのものではない。
怜央に言わせれば、こういうところが「真面目」なのだろう。分かっているから、それをわざわざ口にはしない。
「……っ、ぁ……ふ、うぁ……っ、んン……っ」
「挿れただけで気持ちよさそう……ね、これ、あとで俺にも使ってよ」
「あ、ぁう……っあ、ぁん……っ」
呼吸をするだけで前立腺を甘く押し上げられ、ぐずついた声が止まらない。それに加えて、ふたたび兆し始めた性器の根元から先端までを緩やかな手つきで撫で上げられると、尿意に似た、全身が震えるような快感が全身を包み込むように広がる。もう、甘えるような声を抑えられない。
「れ、お……っ、れお……っ、も、もう……っ」
「んー? そろそろスイッチ入れちゃう? それともこのまま──あ、」
ふいに怜央の意識が自分から逸れたかと思えば、すぐにこちらに向き直った怜央がにんまりと口角を上げる。そして、「ねえ、本当に来たよ」と視線を促された先にいたのは、先日レストランで声をかけてきた、身なりの整った優美なあの男だった。
目を瞠り、釘づけになったように動かないその男としっかりと目を合わせたまま、俺は怜央に「スイッチを入れてくれ」とだけ言う。
「……ぁ、んあ……ふ、ぁ、あん……っ」
ほどなくして、性具が性感帯をぐりぐりと容赦なく責め立て始めると、否が応でも腰がうねる。感度が高まり、全身が熱を持つと、元より色の白い肌が薄桃色に色づく。それを「綺麗だ」と称賛する男が多いことを、俺はよく知っている。
閑散としていた室内はいつの間にか賑わい始めていたけれど、俺の瞳には貴方しか映らない。貴方がほしい。そう、熱心に見つめながら、念じていると、ふいに絶頂が訪れる。
「──ぁ、もう、もうだめ……っ、もう、い、く……っ」
びくん、びくん、と全身が数回痙攣したのち、体内で蠢く性具が動きを止めた。
「あとは、あの人に可愛がってもらいなよ」
そう言って軽やかに立ち上がると、怜央は「俺も交ぜてよ」と言いながら、向かいにいる二人のほうへと行ってしまう。靄のかかった視界でそれを見届け、視線を硝子窓の向こうに戻すと、ちょうど目当ての男が案内係に声をかけているところだった。
上がった息が整う頃、寄ってきた案内係に指名が入ったことを告げられた俺は衣服を正し、『ショールーム』を後にした。
「楽しんでいただけましたか?」
「っ……! な、なにをして……っ」
部屋に通してからもどこか落ち着かない様子でいたその人のそばに歩み寄り、そっと股間を撫でた。予想以上にその身体が跳ね上がったので、わずかばかり驚いて、俺は目を瞬く。
そっと、不躾にならないよう細心の注意を払いながら、相手の瞳に宿る感情を盗み見る。ふいのことで驚いただけで、嫌悪感はないようだ。それに加え、触れてみて初めて分かる程度ではあるものの、男の興奮の度合いが最も顕著に表れる場所が、兆しを見せている。それを認めると、俺は手を引かず、擦り寄るような仕草で手の甲をさらに押しつけた。
「何をって……俺と、こういうことをしたくて、来てくれたんでしょう?」
小首を傾げ、いまだ困惑を宿したままの瞳を覗き込むようにして見つめていた俺は、その眼差しに揺らぎが生じたのを見逃さない。すりすりと布地の上から摩ると、すっきりとした体のラインや顔立ちからは少し意外なほどに大きく骨張った手に、女性のように華奢だと言われることの多い俺の手は覆い尽くされてしまった。少し汗ばんだ手のひらは、しっとりと熱を持っている。あとひと押し、と俺が次の手を打とうとしたところで、相手のもう片方の手が動いた。動きを止めて窺っていると、その人はその大きな手のひらで目元を覆いながら、その顔ごと逸らしてしまった。意図せず目の前に差し出された耳が、これでもかと赤く染まっている。その仕草に、もしかして、と好奇心が疼いた俺は、汗ばんだ手を軽く握り返しながら、その顔をいっそう覗き込む。
「もしかして、男性とは、経験がないんですか?」
「……男、どころか……女性とも、ない……」
いまだその表情を見せてはくれないものの、声を震わせながらもきちんと答えてくれるところに、この人の人となりがよく表れている。律儀というか、素直な人だな、と思わず笑んで、俺はようやく繋いだ手を引き、その人をソファーへと誘導した。
「此処は、その……やはり、そういう場所なのか」
ソファーに腰を落ち着かせてもなお、落ち着かない様子で辺りを見渡しながら、藤堂さんはほとんど独り言のようにそう言った。まだ、まともに目は合わない。
「そういう場所?」
分かっていながらも、無垢なふりをして小首を傾げる。なんだか妙に揶揄いたくなる人だ。この場にいるのが俺ではなく、嗜虐の欲求が強い男娼だったなら、きっと大変な目に遭っていただろうと他人事のように思う。
「さっき、君が友達としていたようなことを、その……」
他人が狼狽える姿を見ても、俺はさして興奮しない。揶揄うのはこの辺にしておくかと思い改め、繋いだままでいた大きな手にもう片方の自分の手を添えて、両手でそっと包み込む。
「気分を悪くされてしまいましたか?」
こういった場所が初めてだったことに加え、経験がないとなれば、あの空間はきっと刺激が強かっただろう。比較的、今日は閑散としていたものの、部屋の中央を硝子で区切られた一方では男娼たちが睦み合いの真似事を、そしてその反対側では優雅にソファーに腰かけた男たちが、酒を片手にそれを鑑賞しているのだ。
改めて、俺は目の前に座っている男の容貌を盗み見る。手入れが施されているのだろう、肌の張りや艶からは若さを感じるものの、おそらく見た目よりも年は上だ。もしかすると年上かもしれない。なんにせよ、この年まで貞操を守り続けてきた育ちの良いこの男に、あれは刺激が強かったに違いない。
「そんな、ことは……」
「では……興奮して、いただけましたか?」
生まれた隙を見逃さず、わずかに身を乗り出し、距離を詰める。訴えかけるような声色で改めて問いかけると、返ってきたのは「その、あー……すまない」といった、歯切れの悪い反応だった。
「君の仕事を否定する気はまったくないんだ。これは、その、なんというか……段階を、踏ませてほしい」
「段階、ですか?」
「そうだ。俺は、君とただ、話がしたくて、君のことが知りたくて、此処に来たんだ」
ようやく目が合った。濁りのないまっすぐな眼差しからは、見栄や下心は感じられない。俺は詰めていた距離を適切な位置に戻すと、「なるほど」と顎を引く。
「必ずしも、男娼を抱かなければいけない、という決まりがあるわけではありません。実際に、見て愉しむだけの方もおられますし、こうしてお話だけして帰られる方もおられます」
とはいえ、そういった客の足はすぐに遠退き、早々に姿を見せなくなるのだけれど──とは口に出さず、微笑みかける。凛とした佇まいの男は、見るからにほっと胸を撫で下ろした。
「じゃあ、また、君に会いに来てもいいのか?」
手を握り返され、思わず瞬いたのは、ふいのことだったことに加えて、その勢いと熱量に気圧されたからだ。すぐに言われた言葉の意味を理解すると、「ええ、もちろんです」と微笑む。そう答える以外に、俺の中に選択肢など最初からありはしない。
そんなことは、この初心な男は知る由もないのだろうけれど。
3
「大丈夫ですか?」
白々しい態度で、ぐったりとソファーに沈み込んだ男の顔を覗き込む。あらかじめ横並びで座っていたため、右手を相手の顔の左側につくだけで、覆いかぶさることは簡単だった。
初めての来館から三か月が経とうとしているけれど、藤堂さんはいまだ、ただの一度も、俺を抱いたこともなければ、それを試みたことさえもない。ただ、話をして帰るだけ。それを、三か月の間、三日と空けない頻度で繰り返している。
「……だめ、だと、言っているだろう……」
さすがに俺が何をしようとしているのか察したのか、胸に手を当て押し返された。しかし、それはポーズにしか成らない。力の篭らないその手を取り、すべての指を絡め取ってしまうと、此処に来た時だけ緩められる、普段はきっちりと第一ボタンまで留められた襟元の隙間から覗く、男にしては白く透き通った肌に唇を寄せる。元より体温の高い肌はしっとりと汗ばみ、わずかに息も上がっている。それらはすべて、過剰に飲ませたアルコールのせいばかりではないはずだ。
この人が酒に強くはないことを知っていて、こうして隙を作るために、わざと飲みやすく、酔いやすい銘柄を選んだ。日頃の感謝の意を込めて、などと適当な理由を拵えて贈ったそのボトルを、ほとんど飲ませる形で空にした。
こんなことをしてまで、俺がこの人と関係を持とうとする理由はふたつある。ひとつは、この太客に成り得る男を少しでも長く繋ぎ留めるためだ。話をするだけでは、そのうち飽きられる。だから快楽に依存させるのだ。経験のない男なら、なおのことハマりやすい。一度でもなし崩しに成功すれば、耐性のないこの男を快楽の虜にすることは簡単なことだ。
そしてもうひとつは、純粋な好奇心からだった。この初心な男が快楽に溺れる様を見てみたい。清廉と潔白を絵に描いたようなこの男が、どんなふうに肉欲に溺れ、どんなふうに男を抱くのか、それを見てみたい。隠されると見たくなるのが、人間の性というものだ。
「性欲の発散は、鬱憤を晴らすのにもいいんですよ?」
内緒話でもするかのように潜めた声で、耳のそばで囁くと、吐息で耳を擽られたことに、初心な男は息を弾ませる。ぎゅ、とおそらく無意識に、絡めた指に力を込めながら嫌々と頭を振る仕草は、まるで駄々を捏ねる子どものようで、愛らしささえ感じさせる。
「だめだ……そんなことに、君を使うようなことは、したくない……」
普段よりわずかに目尻の垂れた瞳が潤んでいる。真っ当に生きてきたのだとしても、男として生まれてきた以上は当然持ち合わせているはずの欲望に苛まれながら、それでもしっかりと目を合わせて訴えかけてくる瞳には、強い意志が居座ったままだ。どこまでも頑なな、凛とした佇まいに、いっそう嗜虐心が擽られる。
嗜虐の欲求の赴くままに、膝に乗り上げると、衣服を隔てていても互いの体温を感じられるよう、腰と腰を密着させる。密着させた腰をさらに押しつけるようにして軽く揺らせば、互いの衣服が擦れ合い、小さな衣擦れの音を立てた。優美な男の陶器のように滑らかな頬に、さっと赤が差す。むくむくと、布越しでも分かるほどに雄の証が自分の下で育っていくのを感じれば、意識せずとも吐き出す息は官能を帯びる。
「じゃあ、こういうのはどうです?」
意固地なその態度を溶かすために、まるで幼子に言い聞かせるような口調で言いながら、スラックスの上から少しずつ形を成し始めている性器を撫で摩る。
「貴方は逃げられなかったんです。逃げられない状況に追い込まれて、服を剥ぎ取られ、襲われてしまった。貴方は抗えなかった。そう思えば、少しは抵抗が薄まりませんか?」
思い込むまでもなく、それは紛れのない事実だ。俺はこの人が酒に強くないことを知っていて、飲みやすく回りやすいものを選び、酔わせて動きを封じて、襲いかかっているのだから。
すっかり形をたどれるほどの硬さになった性器を、柔らかな力加減で握る。目の前で長い睫毛がふるりと震え、きつく引き結ばれていたはずの唇の隙間から、上擦った声が漏れた。それはまったくもって意図しないものだったようで、初心な男は目を瞬かせ、あっという間に耳まで赤く染め上げる。
ああ、可愛いな、と口には出さず、けれど思わず口元を弛めてしまいながら、開いたまま、閉じることを忘れてしまった唇の隙間にそっと舌の先を忍ばせる。びくりと一度だけ肩を跳ね上がらせたけれど、それに甘んじる様子が窺えたので、上唇のわずかに奥、湿った粘膜をちろちろと舐めながら、不埒な仕草で男の股ぐらをまさぐっていた指の先をベルトの留め金へと伸ばす。抵抗はなく、あっさりと外れた。続けて前立てを寛がせ、そっと手を差し込むと、薄い布一枚のみに隔たれた向こうに、男の体温を感じる。上質な肌触りを伴った下着の上で指を滑らせると、「ん」と少し鼻にかかったような甘え声を引き出すことに成功した。
「どんどん、おおきくなっていきますね」
動かす度に相手の唇の表面を擦ってしまう距離を保ったまま、唇の隙間から聞かせた声は、自分でも驚くほどに情欲を帯び、熱く濡れている。
「っ……そう、いう、ことは……っ、言わなくていい……っ」
「どうしてですか? 言葉にされたほうが、興奮するでしょう?」
無垢な顔で小首を傾げ、布越しにもはっきりと位置が分かるほどに張り出した雁首の溝を擽りながら問いかける。
淫らな手管と幼い言動の組み合わせは、大多数の男の奥底に根づく癖を擽るものだ。現に、目の前にいる男のものも、手のひらの中でむくりといっそう大きくなった。先端の割れ目を撫でると、ぬるりと布地が滑る。きっと、藤堂さんだってそれを感じて、よりいっそう羞恥という名の快楽を高めているに違いない。本当に今日までストイックに生きてきたのだとしたら、きっと、たまらないはずだ。
「せめて、一度くらい、奉仕させてくれませんか?」
耳のそばで囁き、駄目押しながら、なおも執拗に撫で続けると、男の体で最も素直といえる場所が、むくむくと成長し、下着を押し上げる。頃合いを見て、下着の縁に手をかけたところで、手の甲にしっとりと汗ばんだ手が重ねられた。
真意を探ろうと、もう一度、相手の顔を覗き込む。藤堂さんは、眉間を寄せた、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「本当に、やめてくれ……っ」
はっきりと放たれた拒絶に、俺は潔く身を引く。強姦は趣味ではないし、それによって金輪際来てくれなくなってしまっては、元も子もない。そう思い、繋いでいた手を離そうとしたのだけれど、そうするより先に、何故か握り返されていた。
「俺が君の客でしかない限り、俺は、君と一線を超える気はない」
濁りのない、純真無垢な眼差しに見つめられると、つい今しがた自分がしようとしたことばかりか、これまでの自分の人生までをも咎められているかのような気になる。いたたまれず、俺は目を逸らした。
「……ですが、それだと、割に合わないでしょう。藤堂さんにいつもお支払いいただいている金額にも、それから贈り物にも、俺は相応しい仕事をしていません」
「そんなことはない」
引き寄せられるようにして、ふたたび視線を合わせる。どこまでも真摯な眼差しに捉えられた時、どうしてか、救われたような錯覚に陥りそうになった。
「俺が欲しいのは、金で買える奉仕じゃない。俺は、君を人生のパートナーにしたいと思っている。そのために、こうして君を口説くための時間を買っているんだ。だから、君はこうして俺と会って、俺と話をしてくれるだけで、充分に職務を全うしていることになるはずだ」
「……それこそ、貴方のパートナーにこそ、俺は相応しくないでしょう」
「君が俺に相応しいかどうかは、俺が決めることだ。俺が君に相応しいかどうか。君が判断するのは、そこだろう」
語気が強まったのと同時に少し強引に手を握られて、射抜くような眼差しに見つめられると、もはや何も言えなかった。
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