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掌編
高い声で鳴くべきか、低い声で鳴くべきか、いつも迷う。
玄関をあけた時、今日は当たりだと思った。男の、かっこいい顔の中で、片目だけが、恥ずかしさか、あるいは陽ざしの眩しさに歪んでいた。言葉を交わしたあと、ぎこちなく押し倒された。そしてまた片目が歪んでいた。触れると掌が軽く濡れた。
「暑いのか」
「たぶん」
枕元をさぐった。見つからず、ローテーブルに視線をやると、そこにあった。
「取ってくれないか」
マットレスに右腕を立て、男が左手を伸ばした。頭の沈んだ俺は、男の体に包みこまれた。半袖の腕の筋が濃い。鍛えているのだろう。
「高い声と低い声、どっちが好みなんだ?」
「わからない」
「童貞なのか」
「女とはしたことあるよ」
リモコンを渡した男の顔に、あの歪みは見られなかった。感じよく笑っていた。笑い返しながら、温度を下げる。
「女とはやっぱり気持ちいいのかな」
「それなりに」
男の顔が消えた。シャツのめくられた乳首に、冷たい舌先が押し出された。男女もののAVみたいに、男の手が胸を寄せようとする。喉を絞って高い声を出す。いくたびも押し寄せる舌に、乳首の感覚が消え、ただ、貝を洗う波のような爽やかさが、張りついてくる。気持ちいいな、と思った。喘ぐたび、頭の芯が加熱されていく。消し忘れた電灯を浜辺の太陽のように眺めて、けれど下をまさぐられると、意識ははっきりした。下手くそだ。
「俺がやる」
片目を歪ませて、男が頷いた。上着を脱いで、横たわった体は白く、その上を流れるようにくだって、ベルトを外してやった。重量があった。俺のより色の強い先端に、しずくが打ち震えていた。口の中でそれは、しだいに、ボディソープの香りを塗り替えていく。
激しくなる腰を押さえた。男に手首を掴まれ、ひっくり返された。重力を行き来し、重くなった頭に、男の眼差しが穴を開ける。手首を掴まれたまま、唇を押しつけ合った。キスは悲しい。明けることも、暮れることも知らず終わる性交が、つかのま、日常の断片だと錯覚させるから。
「入れたい」
すべてを脱ぎ去って、男が言った。その歪んだ右目に触れると、濡れていた。俺にはわからない。男が、異性ではなく、同性とシテみたいと、そう思うきっかけも、機微も、それが行われるまでの覚悟も。この男は、恐怖しているのだろうか。
「ほぐさなくていい」
落ちていく男の手が止まり、ローテーブルのゴムを取った。正座した男を股のあいだに入れたまま、上体を起こし、ローションを垂らしてやった。張り詰めた性器が、俺より太い指でなだめられると、後ろに倒れるのに合わせてにじり寄り、洪水を進む船のように盲進してくる。その痛みが俺を乗っ取っていく。
「声、変わった」
吐息の隙間で、そんな声がした。喉を絞ろうとした瞬間、突き上げられた最奥から脳天まで冷えきった波がほとばしった。すくんだ脚のあいだを、雷のように白い裸体が断ち割って、唇をふさいでくる。
「そのままでいい」
せばまっていく視野が、白い光で溢れ返る。今の俺はきっと、この男と同じ顔をしている。男の首にまわした腕を、荒波のように引き寄せる。
「気持ちいいと言ってくれ」
言われたとおり男がくり返し、俺の中で暴れていく。――男は微妙だな。と笑って去っていった男たちを、津波に崩れていく岸壁が、埋め尽くしていく。男の激しい呼吸が黒雲となって這いずり回る。俺の中に世界があった。そのアポカリプスで、船は大破し、男はうめきと共に熱く射精した。
「声、好きだ」
倒れてくる男を抱きしめて、俺は頷き返した。
おわり
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