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3-1 暗闇に迫るもの
日が暮れ、俺たちは床の上で眠ることにした。硬く血痕に汚れた床でも、野宿よりは安全でゆっくり眠れるだろう。暗闇の中目を閉じれば、微かな小川のせせらぎと、虫の鳴き声が耳に心地よく届いた。
そうしてどれほど過ごしただろう。うとうと眠りに落ちかけた頃、その音が俺の耳には届いた。
「…………?」
足音、のように思う。それも複数。なにか、家の外に気配を感じる。
何事か、と上体を起こした時にはもう遅かった。
「!」
だんっ、と大きな音を立てて、引き戸が開かれる。眩いほどの火の灯りに、一瞬目がくらんだ。その隙に、足音の主たちは家の中へと押し入っていた。
「心光! っ、うあ!」
俺は名を呼び起き上がろうとしたが、眠りに落ちかけていた身体はのろまで、あっという間に何者かへ押さえ込まれた。それでも抵抗すると、何人かから殴られる。鈍い痛みに眉を寄せて動きを止めれば、それ以上の暴行は与えられなかった。
慌てて心光を見れば、彼は床に転がったまま口を押さえられていた。彼を襲っている男の手には、なにか刃物が握られており、炎の光を受けてギラギラと輝いている。ただ不思議なことに心光は、その様子をただ他人事のように穏やかな眼差しで静観しているのだった。
「大人しくしてろ。そうしたら命までは取らねえ」
心光を押さえる男が、低い声でそう囁いた。その手が、心光を纏っていた布をはだけ始める。それで俺は、奴が何をしようしているか気付き、再び暴れる。
「やめろ!」
「黙れ! 大人しくしてろ!」
再び殴られ、蹴られて身体を鈍痛が襲う。怒り、憎しみと悔しさに、額が熱くなった。鬼、と呼ばれるわりに俺の体には化け物のような力も無く、ただ心光が乱暴されるのを見つめるしかなかった。
心光の衣類を大きくはだけて、上に乗っていた男が「ちっ、尼じゃねえのか」と呟いた。周りの男たちもその声に、心光を見やる。
確かに、裸を曝け出してなお静かに男を見上げている彼は。灯りの下でも白く透き通った肌を晒す彼は。どんな女、よりも美しく、妖艶だった。男たちの情欲が掻き立てられるのを肌で感じるほどに。
「……まぁいい、この際、坊主でも。少しばかりいい子にしててくれ、俺たちは食糧と金目のもんと……それに抱く女が欲しいだけだ」
男がにんまりと笑う。その欲に濡れた下品な笑みが、吐き気がするほどおぞましかった。
その時だ。俺は気付いた。
心光の双眸が、ゆっくりと細められる。まるで微笑むように。
そしてその瞳が、赤く輝いた──。
「うわっ、なんだ!?」
刹那、彼らが持っていた明かりが全て掻き消える。まるで一陣の風が通り過ぎたかのような、わけもわからぬ圧力を感じたけれど、周りはもう何も見えはしない。外を照らす月ばかりが明るいから、家の中のことなど何も見えなかった。
びちゃ、と水音共に、恐らくその場にいた全員に何かが飛び散った。生温かくぬめる、あたたかい液体。その後に、室内に鉄の匂いが満ちる。
血だ。血の匂いだ。
悟った直後に、どちゃりと何かが崩れ落ちる音。それが何であるか、理解するのにそう苦労はしなかった。一瞬の時を置いて、闇に目が慣れた俺たちにはうっすらと室内の状況が見え始める。
床には真っ二つに割れた男が落ちていた。その下から、輝くほどに白い肉体が赤く染まりながら上体をもたげる。血のような赤い瞳が、じっと闖入者たちを見て、にこりと優しい笑みを浮かべた。
その背後から。まるで獣のような、黒くうねる影が伸びている。おかしい。灯りは差し込んでいないのに、影が見えるなんて。きっとこれは、何が起こっているかわからない俺たちが見る幻なのだろう、と思いたい。
そうでなければ。まるで心光の後ろに、巨大な獣、あるいは蛇、もしくは蜘蛛のような何かが蠢いているとしか考えられなかった。
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