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14:ド底辺鬼の遅れたご帰還!

 らっくちゃんに「鬼は外」されて、どれほどの時間が経っただろうか。今や、冬将軍が憚っていた季節は過ぎ去り、辺り一面花の咲き乱れる春の頃となっていた。 「やっと、やっど……がえっでこれた」  俺はおおよそ二月ぶりになる懐かしい古い家屋を前に、自然と涙が零れ落ちるのを止められなかった。固い混凝土(コンクリート)の上に、シトシトと涙の雨が降り注ぐ。  たった二月。されど、人生の殆どをこの家から出たことのなかった俺からすれば、生まれてからこれまでに匹敵するほどの、長い長い二月だった。 「あ゛ぁっ。うぁぁ」  あの日、らっくちゃんに「鬼は外」された俺は、凄まじい勢いで吹き飛ばされ、そのまま京の大江山まで飛ばされてしまった。どういうワケか、節分に「鬼は外」された鬼は、おしなべてこの山に吹き飛ばされる。 「っひぐ、っひぐ……おおえやま゛、ごわがっだぁ」  大江山は鬼の統領、酒呑童子様のいらっしゃる神山で人里に住まない鬼の殆どはここで暮らしている。特に節分には各地から「鬼は外」された鬼が飛ばされて来るため、大江山の鬼人口が最も過密になる日だ。 --------やーん!ひさしぶりじゃーん! --------やばぁっ!何年ぶりだっけ? --------お前、今どこに住んでんの?えっ、海外?まさかお前吸血鬼になったん!?  むしろ、自ら人間に「鬼は外」されて、大江山で年に一度の大規模同窓会に来る鬼まで居る。もちろん、そういう鬼達は優勢(パリピ)の鬼だ。俺をイジめて福の神様の怒りを買った優勢(パリピ)の鬼の男女も居た。  しかも、それだけではない。  森の中央では酒呑童子様が虚像発信者(ブイチューバ―)小娘鬼のあばずれちゃんと生配信をしたり、有名な歌い手の鬼が代わる代わるステージに上がって歌声を披露したりしていた。噂には聞いていたが、これが祭礼(フェス)というヤツか。  歌ったり踊ったり、果ては周囲もはばからずまぐわい、盛大に子作りを始める鬼たちに、俺は逃げるように下山した。 「……あんな怖いとこ、ずっと居れないよ」  そこから、帰り道も分からないまま、俺は懐かしい住処の感覚だけを頼りにぽてぽてと朝晩関係なく歩き続け―――。  やっとの事で、慣れ親しんだこの場所に帰ってきたのだ。 「……帰って来たけど。でも、どうしよう」  一度「鬼は外」された家に再び家(ウチ)に入る為には、家主の許可が要る。その「許可」というのが何なのかはよく分からない。でも、許可がなければ敷居を跨ごうとした瞬間に家から弾き飛ばされ大江山に返されてしまう。 「許可って、なんだよ」  また吹き飛ばされたら、俺は一体どうしたらいいのだろう。そうなったら大江山に住むしかないのだろうか。 「そんなの、ぜったいにいやだ」  二月間、裸足で歩き続けた足はボロボロでこれ以上歩けそうもない。新しい住処の目途もない。そうやってしばらくどうしようかと玄関の前でウロウロしている時だった。 「ふぇ、っふぇ、っふえぇぇ」  家の中から、聞き慣れない赤ん坊のような泣き声が聞こえた。 「……らっくちゃん?」  いや、らっくちゃんにしては泣き声が弱弱しい。これは生まれたての赤子の声だ。 「また、別の孫が来たのかな?」  でも、お婆さんにはあの「だっど」と呼ばれていた息子以外には、子供は居なかった筈だが。 「じゃあ、この声は誰だ?」  そう、俺が頼りない赤子の声につられて思わず玄関の戸に手をかけた時だった 「ありゃ?」 「っ!」  後ろから少しとぼけた優し気な声が聞こえてきた。振り返ると、そこには懐かしいお婆さんの姿があった。どうやら公民館の寄合を終えて帰ってきたところらしい。 「ありゃりゃ、鍵はどこだろうねぇ」 「……か、鞄の内側のポケットに、いつも入れてた、よ」  思わず答える。すると、ちょうど良いタイミングでお婆さんの顔が笑顔になった。 「そうだったそうだった、ここに入れたんだった。すーぐ忘れっちゃうねぇ。これだから、おばあちゃんは嫌ねぇ」 「い、いやじゃないよ。お婆さんは……すごく、すごく良い人だよ」  いつも、甘いものを買う時、俺(オニ)の分まで用意してくれた。この人のお陰で、俺は雨風をしのぎながら、これまで安心して生きてこれたのだ。あんな恐ろしい大江山に行かずに済んだのだ。 「お婆さん、今までありがとうございました」  ぜんぶ、ぜんぶ、この人のお陰だ。 「これでようやっと、家に入れるねぇ。良かった良かった」 「……ん、良かったね」  おばあさんは俺の隣で鞄から鍵を取り出すと、ゆったりとした動作で家の鍵をガチャガチャと開け始めた。もちろん、お婆さんには俺の姿なんて見えていない。お婆さんの独り言はいつもの事だ。  ガチャン。ガラガラ。  玄関の扉がゆっくりと開かれた。 「ただいまぁ」  そう言って家の中へ入ったお婆さんは、こちらを振り返ってジッと此方を見つめた。何故か、戸を閉める気配はない。  穏やかなお婆さんの表情に、とある言葉が自然と俺の口を吐いて出た。 「た、ただいま?」 「はぁい、おかえりぃ」  その瞬間、俺はなんとなく悟った。俺は「許可」を得たのだ、と。おそるおそる玄関の敷居をまたぐと、思いのほかあっさりと部屋に入る事が出来た。 「……入れた」  お婆さんは玄関を締める事なく、そのままスタスタと居間の方へと向かった。 「あ、ありがとう」  お婆さんには俺の姿も声も聞こえない。だから、言っても伝わらない。そう、分かっちゃいるけど、でも伝えずにはいられなかった。  「おかえり」も「ただいま」も、そして「ありがとう」も。言葉は、相手に伝わるかはさほど重要な事ではない。  言霊は、口にする事がなによりも大切なのだ。 「っふぇ、ふぇふぇ」 「……あ」  そうだ、赤子の声がするんだった。でも、これはどうやら人間の子供ではないらしい。だってお婆さんにはこの声が聞こえていないようだから。 「お、お座敷の方から聞こえる」  おそるおそる声のする方へと向かう。  じょじょに泣き声がハッキリ、そして大きくなっていく。座敷の扉を開くと、そこには変わらずお爺さんの祭壇がある。 「っふぇっふえぇ」 「……あ、あそこは」  お座敷の一番奥。古いお客さん用の布団の仕舞われたふすまの向こうから泣き声は聞こえてきた。ハッキリと聞こえるその声だが、やはり弱弱しい。俺は慌てて駆けだすと、勢いよくふすまの戸を開けた。何故か、急がねば!と思ったのだ。  タタタタ、スパン! 「あっ!」  開けた戸の先で泣いていたのは、真っ白なおくるみにくるまり、たくさんの組立人形(フィギュア)に埋もれて泣き喚く―― 「ふ、福の神様っ!」 「っふにゃぁ、ふにゃぁっ」  掌サイズの小さな小さな赤子となってしまった福の神様だった。

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