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第1章 第10話

 四人掛けの席にメディチ侯爵ともう一人―――青年が、向かい合う形で座っている。困惑を滲ませながらジラソーレはメディチ侯爵の隣に腰掛けた。 「呼び出してすまないな―――どうしてもこの方がお前と話したいと仰ってな」  ふるる、と首を横に振る。改めて向かい合った青年に目をやる。メディチ侯爵と同じようなスーツに杖を持っており、それだけで高い身分ということが伺えた。青い月夜の光に照らされた金髪は癖毛で長毛の猫のようだ。 「なんだか見つめあうと照れちゃうね―――僕はこのマノで繊維業を主に請け負っている、マノイ・リンチェという者です。よろしくね」 「この者は言葉を発せない―――ので、私が紹介する。彼はサーカス団『フィエスタ』のメインメンバーの踊り子・ジラソーレだ」  彼―――リンチェの自己紹介によろしくの意味を込めて頭を下げると、助け舟を出すようにメディチ侯爵がジラソーレの紹介をする。  リンチェは「感謝します」と柔和で人好きのする笑みを浮かべた。 「今日は彼もお疲れのことでしょう。手短にお話しさせていただきます―――君のことを家に招いて、僕の秘書として勤めてくれないだろうかと思っているんだ」  身体が跳ねて、隣に座っているメディチ侯爵の肩に触れる。ひどく婉曲的な表現だ―――つまり性玩具として彼に買われないか、というお誘いだ。女性ならば”結婚”のお誘いとも取れるが、残念ながらジラソーレは男だ―――それに加えて、ジラソーレには絶対に揺らがない”旅の目的”があった。断るしかない。  公演を終えて熱された体温が静かに冷めていく。ふるふる、とジラソーレは首を横に振った。 「とのことだ―――言っただろう、彼はそういうのに耐性がない。おまけに声を発せないから嬌声だってつまらないものだ。お引き取り願うよ」 「あはは、残念だ―――流石、メディチ侯爵の寵児だね。鎖を外すのは手強そうだ。今まで幾度となく持ち掛けられてすべて門前払いだったそうじゃないか。今回の僕は幸運だね」 「人聞きの悪い。君は私にとって利用価値があるから会わせてあげただけだ―――賭けには勝った、例の件、よろしく頼むよ」 「ずるいよ、全く。勝てる勝負にしか挑んでないんだね」  軽快に交わされる怨念が篭った会話に混乱していると、それに気づいたメディチ侯爵が「用は済んだ」と持っていた杖の先で馬車の底を小突く。するとまたしても御者が扉を開いた。  ジラソーレは沈み込むような段差に足を乗せて下車する。吸い込んだ空気の新鮮さに、馬車内のそれがひどく混濁していたことに気付いて、胸をなでおろした。  とぼ、とぼとテント群に戻っていた最中、背後で空気を裂くような鞭の音と馬の咆哮が聞こえる。静寂が地に落ちて雑草ばかりを揺らした―――靄がかかった思考が鮮明になって加速する。  ジラソーレ―――もといイリス・ビアンキには旅の目的がある。  それは生き別れた弟―――ジャッジョーロを見つけ出すことだ。  ビアンキ家は貴族というわけではないが、定期的に魔法士を輩出する名門一家でありイリスとジャッジョーロは双子として誕生した。祖父母を含む親族に魔法士どころか、魔力を持った人間さえいなかった。およそ百年ぶりに生まれた魔力を持った赤ん坊はたいそうご立派だと喜ばれた、らしい―――家族は”あの”悪魔の法律に乗っ取りながら出産という賭けを繰り返しており食い扶持は残されていなかったようだった。魔力を持っていない兄、姉は奴隷として売りに出されており、両親ともに歪な愛情しか持ち合わせていなかった。  日に日に逼迫する家計、それでも魔法士になれば高給取りかつ身分も高くなる。家族はそれを頼りに双子を育てて―――突如、イリスもといジラソーレが言葉を発せなくなった。原因不明、病気の可能性もない。誰にも分からない不治のナニカ。  ジラソーレの立場が無くなるのはあっという間だった。魔法すら扱えない人間に生きる道はなく兄姉と同様の道を辿り、現在に至る。  気の弱い弟をあの地獄に残したまま追い出されてしまった、それが唯一の気がかりだった。  ビアンキ家は国王の逆鱗に触れたようで―――その当時、魔法学校に通っていた弟を除いて―――全員首が斬られたのだと、メディチ侯爵に家族のことを調べてもらった際に知った。ジャッジョーロも命の危機を感じたのか、はたまた別の目的か、魔法学校を去ったようだとも告げられた。  過去を思い返す度に肩が重くなる。短靴が沈んだ地面は湿気を帯びていて、今にも雨が降りそうだ。  メディチ侯爵がリンチェに言い放った”例の件”も気にならないわけではないが、頭の悪いジラソーレでは理解できないだろう。変なことに巻き込まれていないと良いけど、なんて胸のざわめきを誤魔化すように皓々と輝く月を仰いだ。メディチ侯爵の屋敷を囲んだ木々たちが、ジラソーレの不安に呼応するようにざわざわと揺れた。

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