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13 番犬
「私共は先祖代々、エルデン王国に忠誠を誓ってきましたっ! 私の祖父も父も、この国の発展と平和のために力を尽くしてきたのです! ですから、今回のことも決して国を欺こうという気持ちではなく――」
長々と続けられる口上(こうじょう)に、ニアはうんざりと顔を歪めそうになった。
この応接間に入ってからすでに三十分以上が経過しているが、丸々と肥え太った目の前の男が口を閉じる気配はない。むしろ時間が経つごとに、どんどんヒートアップしているような気すらする。男は唾を飲み込む余裕もないのか、その口角には白い泡(あぶく)がこびり付いていた。
ぷくぷくと膨らんだり萎んだりを繰り返す泡を眺めながら、ニアは込み上げてくるため息を呑み込んだ。
目の前の男は、北の領地を管理する子爵だった。領内に小さな鉄の鉱山を持っているがそれほど財源は多くなく、冬が長いせいで生活も厳しいと聞く。そんな中でも目の前の子爵は、コツコツと国に税を納めてきた忠誠心の強い貴族――と思われていた。
だが、フィルバートとニアが調査を進めた結果、それはまったくの思い違いだと判明した。鉱山は大きくはないが鉄の採掘量は多く、目の前の子爵はそれを黙って国外に売り捌いていたのだ。更に領民に対する税収も毎年増やしており、そのせいで冬を越せずに凍死する民もいると判った。それなのに、この男は死にゆく民を見殺しにして、己の懐をだけ温め続けてきたのだ。
そう思うと、腹の底がぞわりと波打つような感覚を覚えた。
どうか陳述させて欲しいと乞われたから、わざわざこうやって話を聞いてはいるが、先ほどから男が並べているのは言い訳ばかりだ。誤解であるのなら、きちんと証拠を出して弁明をすれば良いのに、いかに自分が国に尽くしてきたのかということばかりをほざいている。
横目でチラと隣を見ると、フィルバートは男が話し始めたときと変わらぬ体勢で、足を組んで椅子に腰掛けていた。その瞳は、まるで置物でも眺めているかのように冷え切っている。
「鉄の採掘量に誤りがあったのは誠に申し訳なく思っております。ですが、それは些細な間違いでありまして――」
「些細?」
ふと嘲るような声が聞こえた。フィルバートが肩越しに振り返って、斜め後ろに立つニアを見やる。
「ニア、採掘量の誤差はどの程度だった」
「報告の十二倍です」
即座に答えると、フィルバートは軽く肩をすくめた。
「しかも鉄を他国に売り飛ばすとは、ずいぶんと大胆な真似をしてくれたな。忠誠を誓うどころか、国家反逆罪もいいところだ」
固まった男を眺めて、フィルバートが冷酷に言い放つ。
「バドラ子爵から全財産を没収し、国外追放とする。この男が多く徴収した税分は、領民にすべて返却しろ。次の領主が決まるまでは、北の領地は国が管理するものとする」
「そのように手配いたします」
フィルバートの容赦のない沙汰に、ニアは淡々と返事をした。
直後、目の前の男の身体がぶるぶると震え出す。そして次の瞬間、自棄になったように男が両腕を伸ばして突っ込んできた。
「うわぁあああぁあッ!」
フィルバートへと一直線に向かってくる男の姿を見て、ニアは即座に左腰につけた鞘から剣を引き抜いた。室内では流石に巨大な斧を持ち歩くことはできず、佩剣していた。
ハムのように肥えた手がフィルバートに触れる前に、ニアは男の咽喉に剣先を突きつけた。途端、男がグゥッとカエルみたいな声をあげる。
「下がれ」
低い声で告げるが、男は硬直したまま動かない。わずかに力を込めて、数ミリほど剣先を男の喉仏へ埋め込む。途端、裂けた皮膚から赤い液体が垂れてくるのが見えた。
「このまま串刺しにされたいか。下がれ」
もう一度繰り返すと、男は膝を震わせながら後ずさった。腰を抜かしたのか、そのまま床にへたり込んでしまう。
その様を冷めた視線で眺めてから、フィルバートが軽く両手を打ち鳴らした。数秒後、開かれた扉から騎士たちが入ってくる。
「連れて行け」
フィルバートの命令を聞いて、騎士たちが男の両腕を取り押さえる。その瞬間、男がハッとしたように金切り声を上げた。
「こっ、こんなっ……私がどれだけ国に尽くしてきたと……っ!」
「お前の尽くし方はずいぶんと独特だな」
呆れた口調で、フィルバートが言い放つ。途端、男は顔を赤らめた。
「綺麗事だけでは国は成り立たない! ガキのお遊びじゃないんだぞ!」
ガキというのは、おそらくフィルバートのことか。男からすれば、王子といえども十三歳の少年というのは、まだ青臭い子供でしかないのだろう。
明らかな王族への侮辱行為に、ニアは反射的に剣を構えた。だが、制するようにフィルバートが片手を上げる。
男の安直な罵りにも、フィルバートは顔色一つ変えていなかった。ただ、無関心な目で男を眺めるだけだ。
「そのガキのお遊びで、お前はすべてを失うんだ」
フィルバートがそう告げると、男は愕然とした表情を浮かべた。唇を小刻みに震わせたまま、引き摺られるようにして騎士たちに連れて行かれる。だが、扉が閉まる直前、負け惜しみのような声が聞こえてきた。
「ばっ、番犬を連れているからって調子に乗るんじゃない……ッ!」
その言葉を最後に、扉が閉められる。室内に静けさが戻ってくると、フィルバートがゆっくりと振り返ってきた。
「番犬か」
じろじろとニアを眺めながら、感慨深そうに言う。その言葉に、ニアは剣を収めつつ思いっきり顔を顰めた。
「俺は犬じゃありません」
「いいじゃないか、番犬。なかなか似合ってるぞ」
「勘弁してくださいよ……」
「なぁ、吠えてみろ」
先ほどまでは凍り付いたような無表情だったのに、二人きりになった途端に底意地の悪い笑みを向けてくる。
「吠えろ、ニア」
その楽しげな表情を見て、ニアは緩くため息を漏らした。こうなるとフィルバートは一歩も引かない。ここ一月ほど共に過ごして、フィルバートの頑固さは身に染みて解っていた。
「……わぉん」
ニアがしぶしぶ犬の鳴き声をあげると、フィルバートは、ははっ、と短い笑い声をあげた。その満足げな笑い声に、ニアは自身の顔が熱くなるのを感じた。
フィルバートの付き人になってから約一月が経ったが、未だにニアにはフィルバートという人間が掴めなかった。冷淡な人間かと思いきや意外と表情豊かだったり、神経質なくらい細かいところもあれば自分自身のことには無頓着だったり、冷静な人だと思っていたら時々信じられないぐらい大胆不敵なことをしでかす。フィルバートに出会ってから、ニアは振り回されっぱなしだ。
椅子から立ち上がったフィルバートが、ニアの目の前に立つ。身体が触れ合いそうな距離に、ニアはギョッと目を剥いた。
「可愛い犬には、首輪でもやろうか?」
茶化すように言いながら、フィルバートがニアの首筋へと向かって手を伸ばしてくる。その指先が首に触れた瞬間、自身の身体がビクッと大きく跳ねた。
守るように自身の首を片手で押さえながら、覚束ない足取りで後ずさる。ニアのぎこちない動きに、フィルバートが目を丸くしているのが見えた。
「首、に触られるのは、苦手で」
バクバクと不規則に跳ねる心臓を感じながら、掠れた声で答える。前の人生で斬首されたことが忘れられず、他人に首を触られるのが恐ろしかった。
フィルバートは一瞬怪訝そうに眉を寄せた後、そうか、と短く呟いた。フィルバートの手がなだめるみたいにニアの腕に伸ばされる。だが、躊躇うように指先が戦慄いた後、その手は触れることなく離れていった。
それ以上は何も言わずに、フィルバートは応接間の扉へ向かって歩き出した。ニアは大きく震える息を吐き出すと、その背を追いかけるために足を進めた。
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