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16 永遠の忠誠

   フィルバートの鶴の一声で、ニアとヘンリーの決闘の場はすみやかに設(もう)けられた。場所は、騎士団の鍛錬場とされた。訓練を中断された騎士たちが、ざわつきながらこちらの様子をうかがっている。  ニアは抵抗するのを早々に諦めて、実家に使いをやって大斧を持ってきて貰った。えっちらおっちらと使用人二人がかりで背丈よりも大きな斧が運ばれてくる。予想外だったのは、斧だけではなく、家族まで現地にやってきたことだ。 「ニア、絶対に負けるな! ハイランドの鼻をへし折ってやるんだぞ!」  ニア以上に闘志を燃やして、父がニアの背中をバシバシと叩いてくる。父に反して、母は心配そうに柳眉を下げていた。 「怪我だけはしないようにね。危ないと思ったらすぐに降参するのよ」 「何を言ってるんだ! 自分から降参など許さんぞ!」 「貴方は黙っていてください」  フンフンと鼻息荒く叫ぶ父に、母が絶対零度な声で言い放つ。途端、父はシュンと黙り込んだ。  二人の様子を眺めながら、ニアは苦笑い混じりに言った。 「あまり見てて面白いものでもないから、みんな帰っていいよ」 「バカなこと言わないで」  そう言い返してきたのはダイアナだった。どこか怒った眼差しで、ダイアナがニアを睨み付けてくる。 「お兄さまの戦いは、私たち家族全員の戦いなんだから」  その言葉に、ニアは一瞬ハッとした。確かにダイアナの言うとおりだ。これはもうニアとヘンリーだけの問題ではなく、ブラウン家とハイランド家の決闘でもある。  斧をキツく握り締めながら、肩越しにちらりと振り返る。視線の先に、腰に双剣を装備するヘンリーの姿が見えた。その周りには、ブラウン家と同じく、ハイランド家一同が勢揃いしている。鍛錬場の土埃がけむたいのか、クリスタルがハンカチで口元を押さえて眉を顰めているのが見えた。  当主であるハリー・ハイランドがニアの視線に気付いて、睥睨するように目を細めた。その薄い唇が弧を描いて、嘲笑を滲ませる。愚かな戦いを挑んだな、と言わんばかりの表情だ。その顔は、すでに自分の息子の勝利を確信している様子だった。  侮蔑が滲んだその表情を見た途端、ニアは腹の底でざわりと何かが蠢くのを感じた。皮膚がぷつぷつと粟立(あわだ)って、押さえようのない衝動が込み上げてくる。それは『完膚なきまでに叩き潰したい』という破壊衝動にも似た闘争心だった。  何かがおかしいと思う。前の人生の自分は、こんな攻撃的な人間ではなかった。真面目だけが美点の事なかれ主義で、避けられる争いは全力で避けていたはずだ。それなのに、今の自分は死んでも勝ちたいと思っている。  腹の底からぞわぞわと這い上がってくる熱に、静かに息を吐き出す。  そのとき、ふと声が聞こえてきた。 「ニア」  視線を向けると、フィルバートが近付いてきていた。 「フィル様」  慌てて敬礼をしようとする両親たちを片手で制して、フィルバートが唇を開く。 「準備はできたか」 「はい」  即座に返すと、フィルバートは観察するような眼差しでニアの全身を見渡した。それから目を細めて、淡々と命じてくる。 「言わずとも解ってるだろうが、長引かせるな。ここにいる全員が一目で理解できるように、お前の力を知らしめろ」  いつもの無茶ぶりに、ニアは大きくため息を漏らした。 「また無茶なことを……」 「できないのか?」  これもいつものやり取りだ。フィルバートの傲慢な物言いに、ニアはムッと眉を寄せてから鍛錬場の方へ視線を向けた。準備をすませたヘンリーが、中央に向かって歩いている。その自信に満ちた足取りを見つめたまま、ニアは独り言のように呟いた。 「一発で仕留めます」  挑発的なニアの発言に、フィルバートは軽く目を瞬かせた後、満足そうに口角を吊り上げた。まるで自分にだけは決して噛みつかない猛獣の頭を、悠々と撫でているような表情だ。  その表情を見て、自分の性格が変わりつつあるのは、フィルバートの影響ではないだろうかとふと思った。共に過ごしている内に、フィルバートの苛烈さがじわりじわりと染み込んで、自分の魂が少しずつ侵されていっているのではないか。  空恐ろしい想像に、ぶるりと皮膚が震える。深く考える前にニアは大斧を肩に担ぐと、鍛錬場の左側へと顔を向けて言った。 「向こう側から人を移動させておいてください」  ニアの言葉を聞いて、フィルバートがすぐさま近くにいた騎士に移動を命じる。それを見てから、ニアは鍛錬場の中央へと向かって足を進め始めた。  歩いている最中、周囲にいる騎士たちが囁く声が耳に入ってきた。 「決闘だって? ハイランド家とブラウン家の因縁の対決か?」 「ヘンリーの実力は騎士団の中でもトップクラスだぞ。不意打ちするような卑怯者が相手になるはずがないだろう」 「あんなでかい斧が振り回せるのかよ。逆に自分の方がぶん回されるんじゃないのか?」  嘲り混じりの声が周囲から細波のように聞こえてくる。おそらくヘンリーが吹聴したのだろうが、騎士団の中でもニアは卑怯な手でフィルバートの付き人の座を奪った人間だと思われているらしい。実際、不意打ちしたのは事実だから仕方がないが。  鍛錬場の中心で、ヘンリーと向かい合うようにして立ち止まる。ヘンリーは、すでにその両手に双剣を握り締めている。ありありと憎悪を滲ませたヘンリーの視線を、ニアはただ無感情に見返した。  ニアとヘンリーの間に立ったフィルバートが、左右を見渡して声を張る。 「これよりニア・ブラウンとヘンリー・ハイランドの決闘を行う。終了は、どちらかが戦闘不能になること。ニア・ブラウンが勝利した場合は、正式に私の付き人と認める。ヘンリー・ハイランドが勝利した場合は、私の付き人に戻す。ここにいる全員が証人だ」  事務的ながらもはっきりとした口調で言い放つと、確認するようにフィルバートはニアとヘンリーを見やった。二人が首肯を返すと、フィルバートはゆっくりと後方に下がって言い放った。 「始めろ」  その言葉が聞こえた瞬間、ヘンリーが双剣の切っ先をこちらへと向けるのが見えた。だが、そのときには既にニアは高く跳躍していた。  地面を大きく蹴り飛ばしてジャンプするのと同時に、両手に握った斧を振りかぶる。そのままヘンリーがこちらへと剣を突き出す隙も与えず、ニアは全力で斧を真横に振り抜いた。  ブォンと風を切る重たい音が聞こえた直後、鋭い金属音が響き渡る。直後、真っ二つに折れた双剣の刃が二本、鍛錬場の左側の壁に勢いよく突き刺さるのが視界の端に映った。  長い沈黙が流れた。誰も口を聞かず、ただ目の前の光景を呆然と眺めている。開始数秒も経たずに勝敗がついたことが理解できないようだった。特にヘンリーは、斧によって一刀両断された双剣を信じられないように凝視していた。  時が止まったような静寂の中、ニアはゆっくりと唇を開いた。 「戦闘不能と判断しても宜しいですか?」  ニアの問い掛けに、フィルバートが淡々とした声を返す。 「終わりだ」  呆気ない終了の宣告を聞いた瞬間、ハッとしたようにヘンリーが目を見開いた。 「ま、まだ……まだ……」 「折れた剣で戦うつもりか?」  フィルバートの冷たい声音に、ヘンリーが愕然とした表情を浮かべる。そのまま放心した様子で、地面に膝をついてしまう。わなわなと全身を震わせるヘンリーを見据えて、ニアは冷淡な声で言い放った。 「訂正してください」  ニアの唐突な発言に、ヘンリーは意味が解らないといった表情でこちらを見てきた。 「今ここで訂正してください。うちの妹は世界一可愛いって」 「何を……バカなことを――」  言い返そうとしたヘンリーを、フィルバートが鋭く見据える。敗者が拒否する権利はないと言わんばかりのその視線に、ヘンリーはグッと口をつぐんだ。  咽喉の奥でうなり声を漏らした後、ヘンリーがボソボソと小さい声で呟く。 「……お前の、妹は……かわいい……」 「声が小さいです。もう一度お願いします」  ニアが容赦なく告げると、ヘンリーは目尻を吊り上げた。屈辱のあまり、その顔は破裂寸前のトマトみたいに真っ赤に染まっている。 「お前の! 妹は! 可愛いッ!」 「世界一!」 「世界一だッ!」  ニアの促す声に、自棄(やけ)くそになったようにヘンリーが叫ぶ。途端、ダイアナがキャアッと嬉しげな声をあげるのが聞こえた。 「ニアお兄さま、最ッ高!」  ダイアナがこちらへと向かって、ぶんぶんと手を振っている。ニアが手を振り返そうとしたとき、今度は悲痛な少女の泣き声が聞こえてきた。 「ヘンリーお兄さま、ひどいっ! 私がいるのに……あんまりだわっ!」  わぁっと声をあげて泣き始めたのは、ヘンリーの妹のクリスタルだ。実の妹である自分の目の前で、ライバルであるダイアナを世界一可愛いと言われたことがよっぽどショックだったのだろう。  母親の胸に顔をうずめて泣きじゃくるクリスタルの横では、父親のハリーがまっすぐニアを睨み据えていた。視線だけで縊(くび)り殺すような、明確な殺意がこもった眼差しだ。 「ニア」  目の前から声が聞こえた。視線を向けると、フィルバートがニアに向かって右手の甲を差し出していた。その薬指には、王家の紋章が刻まれた指輪がはめられている。  ニアが目を丸くしていると、フィルバートは催促するように言った。 「指輪に口付けろ」  その言葉に、ニアは一瞬身体を硬直させた。目を見開いて、信じられないものを見るようにフィルバートを凝視する。  王家の指輪に口付けるとは、つまり―― 「ロードナイトの契約だ!」  事態を見守っていた父が、弾けるように歓喜の声をあげる。父の声を聞いて、周囲にいた騎士たちが一斉にざわめき立った。  王専属の騎士の任命、つまりロードナイトの契約は、騎士が王の指輪に口付け、誓いの言葉を交わし合うことで結ばれる。今それをこの場で執り行うと言うのか。  右手を差し出したまま、フィルバートが苦笑い混じりに言う。 「俺はまだ王ではないから、予約みたいなものだな」  そう言いながら、フィルバートが右手を軽く上下に揺らす。その促す仕草を見ても、ニアは硬直したまま動けなかった。  予約といえども一度ロードナイトの契約を結んでしまえば、どちらかが死ぬまで半永久的にその誓いは続く。それを解っていて、フィルバートはニアに契約を持ちかけているのか。  微動だにしないニアを見て、フィルバートが薄っすらと笑みを滲ませる。穏和にも酷薄にも見える微笑みだ。 「ニア、早くしろ」  優しく囁きかけているようで、それは静かに脅しかけている声だ。  じわりと冷汗が滲むのを感じながら、ニアはその場にぎこちなく片膝をついた。大斧を置いて、フィルバートの右手を両手で掴む。すると、フィルバートが短く囁いた。 「誓いの言葉を」 「……我が主君に、永遠の忠誠を捧げます」  誓いの言葉を、強張った声で告げる。そのままニアは、フィルバートを見上げた。フィルバートはじっと確かめるような眼差しで、ニアを見下ろしている。  かすかに震える唇で、言葉を続ける。 「私の命は、貴方のもの」 「お前の命は、私のもの」  返される言葉を聞くと、ニアは掠れた息を吐き出して目を閉じた。目蓋を閉じたまま、指輪にそっと口付ける。直後、周りから大きな歓声が響いた。目の前でロードナイトの任命が行われたことに興奮しているのか、騎士たちが大声をあげて騒いでいる。  周囲から聞こえてくる歓声に呆然としていると、ふとフィルバートの声が耳に届いた。 「ニア」 「は、い」 「俺が、お前を見つけた」  それはどういう意味だろうか。目を見開いたまま見上げていると、フィルバートは怖いくらい優しい手付きでニアの頬を撫でた。 「俺から離れられると思うな」  そう囁く声とともに、フィルバートがニアの左頬に口付ける。王子自らの祝福の口付けを見て、また周囲から爆発的な歓声が響き渡った。  柔らかくて冷たい唇の感触に、ニアは逃げ道を塞がれたのだと気付いた。この先にどんな運命が待っていようと、ニアがフィルバートに背を向けることは許されない。死ぬまで、この男の隣に立ち続けるしかない。

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