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26 馬乗り・引き回し・逆さ吊り
コメカミに柔らかい何かが押し付けられている。くすぐるように何度も顔に落ちてくる柔らかい感触に、ニアは目を硬くつむったまま鈍いうなり声を漏らした。
「起きたのか?」
頭上から長閑(のどか)な声が降ってくる。だが、夢うつつなせいでそれが誰の声なのか解らない。
ニアが咽喉の奥で、うぐぐ、と言葉にならない声を漏らすと、今度は小さな笑い声が聞こえてきた。ニアの肩から二の腕にかけてのラインを撫でながら、その声が言う。
「悪いが、俺はしばらく出掛けるから、ここで待っていろ」
なだめるような口調に、ニアは眠りから覚めきらないまま無意識に首を左右に振った。コメカミを枕に擦り付けながら、うめくように呟く。
「おれ……おれも……」
「まだ動くのは辛いだろう。数日以内に戻ってくるから、しばらくゆっくりしていろ」
言い聞かせるような声の後、また額に柔らかいものが落ちてきた。小さなリップ音を立てて、額や目蓋に柔らかいものが押し付けられた後、名残惜しそうに離れていく。最後に子供にするみたいに頭をよしよしと撫でられて、ふっと胸に安堵が込み上げた。
ゆっくりと息を吐き出すと、わずか後に扉が閉まる音が聞こえた。その音の直後、眠気にさらわれるようにして再び意識が沈んでいった。
次に目を覚ましたときには、とうに昼の時間を過ぎていた。窓から入ってくる日射しが眩しくて、ベッドに横たわったままぼんやりと目をしばたたかせる。
すぐ近くで、カチャカチャと陶器がこすれる軽やかな音が聞こえていた。音の方へゆっくりと視線を向けると、窓際の置かれたテーブルの上に食器を並べるメイドの姿が見えた。メイドは肩で切りそろえられたボブカットに、大きな丸眼鏡をかけている。ツンと取り澄ました猫のような顔立ちは、数年ぶりに見るものだった。
「クロエさん?」
クロエは、初めて登城したニアをフィルバートの元へ案内してくれたメイドだ。最初の二年は、ニアと一緒にフィルバートの仕事の補助をしてくれていたが、王が倒れた直後から突然姿を見せなくなってしまった。フィルバートにクロエはどこに行ったのかと訊ねても、あいつには別の仕事を任せている、としか答えてくれず、ニアは内心心配していたのだが。
驚きに目を丸くして、クロエの名前を呼ぶ。だが、唇から出た声は、ガサガサにひび割れていた。咽喉が痛んで、思わず咳込む。すると、間髪入れず水を入れたグラスが目の前に突き出された。
咽喉を手で押さえたまま顔を上げると、クロエは無表情のままこちらにグラスを差し出していた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
本来であれば貴族令息であるニアが、メイドを『さん付け』で呼んだり、敬語を使うこと自体おかしいことだ。だが、クロエにはどこか近寄りがたいような、軽んじてはいけないような空気が漂っていて、出会ったときからずっと親戚のお姉さんに対するような態度を取ってしまう。
お礼を言いながら、上半身を起こそうとベッドに手をつく。だが、腰を動かした瞬間、骨がひび割れたような疼痛(とうつう)が走って、うぎっ、と変な声が漏れた。
「なっ……い、いだッ……いだだだ……っ」
殴られたのとも斬られたのとも違う、初めて感じる苦痛に悶えていると、ふと背中を小さな手のひらに支えられた。
「息を整えながら起き上がってください」
促す声に、深呼吸を繰り返しながら上半身を起こす。すると、すぐさま背中の後ろにふかふかなクッションが差し込まれた。クッションにもたれかかってから、大きく息を吐き出す。
「どうぞ」
ニアの呼吸が落ち着くと、再びグラスが差し出された。グラスを受け取って、一口水を飲み込む。途端、ピリッと痺れるような痛みが咽喉に走った。痛みに眉を寄せつつ、コクコクと何度も水を飲み込んでいく。
必死に水を飲むニアを見つめたまま、クロエがひとりごとのように呟く。
「散々な目にあいましたね」
その言葉に、ニアは目を瞬かせた。まだ半分寝ぼけているニアを見て、クロエがサイドテーブルの引き出しから手鏡を取り出す。グラスと交換に渡されて、ニアは困惑したまま手鏡を覗き込んだ。途端、ギョッと目を見開く。
「ぅ、えぇえぇ……?」
また妙な声が勝手に溢れる。手鏡に映ったのは、やや目元が赤く腫れた自分の顔だ。だが、問題は顔の方じゃない。
鏡を引くと、自分の胸元辺りまで映った。V字に大きく開かれた上着の襟元、首から下辺りに赤い鬱血痕が点々と刻まれているのが見える。首元を片手で伸ばして服の中を覗き込むと、上半身の至るところに鬱血痕が残っていた。
「こ、これは、なに……」
「まったく、独占欲も程々にして頂きたいですね」
ニアがわなわなと唇を震わせていると、クロエがどこか呆れた口調で漏らした。その言葉に、ニアはクロエを見上げた。
「独占欲?」
「ええ、こんなにもあからさまに自分のものだと見せびらかして、他の者を寄せ付けないようにしているんです。ニア様のことになると、フィルバート様はちっとも余裕がなくなる」
ダサいですよね。と砕けた口調で呟いて、クロエが肩をすくめる。
その正直過ぎる言葉に、ニアは寝ぼけていた意識が一気に覚醒していくのを感じた。途端、昨夜の記憶が怒濤のように脳裏に押し寄せてくる。
そうだ。昨夜は散々フィルバートに貪られた後、最後には耐えきれず意識を失ったのだ。体力自慢な自分が音(ね)を上げるくらい、フィルバートはまさしく絶倫だった。ベッドで抜かずに三回も中に出されて、もう無理、もう入りません、と何度も泣きついたことを思い出す。
そのときにはフィルバートが中を突く度に、ぶぢゅぶぢゅと聞くに耐えない下品な音が、繋がった部分から鳴り響いていた。後孔周りも泡立った精液にまみれていて、尻の下のシーツまでべっとりと濡れそぼっていたほどだ。
結局フィルバートは一度は陰茎を引き抜いてくれたが、腹の中の精液を掻き出すと、またニアの中に突っ込んできた。最後にはほとんど意識朦朧なまま、上下に揺さぶられていた記憶しかない。
昨夜の記憶に、顔が燃えるように熱くなって、額からだらだらと変な汗が流れてくる。恐る恐る自身にかけられた布団をめくると、有り難いことに下もちゃんと履いていた。シーツも取り替えられたのか、さらりと心地よい感触がする。
手を伸ばして自身の内腿に触れる。ひどい筋肉痛でも起こしたかのように、内腿はガチガチに強張っていた。更に昨夜ずっと左右に押し開かれていたせいか、両足が半開きになったまま閉じられない。
怖くて仕方ないが、後孔にも意識を向けてみる。尻にわずかに力を込めると、後孔はまだ何かが挟まっているような感覚が残っていた。中の精液はすべて掻き出されているようだが、快感の余韻を残したように粘膜が火照っているのを感じる。
慌てて下半身から意識を逸らして、ニアはクロエを見つめた。クロエは相変わらず無表情のまま立っている。
だが、先ほどの言葉から考えると、クロエはニアがフィルバートに何をされたのか知っているのだろう。そう思うと、顔中が熱くなってクロエの顔を見れなくなった。
「あの、俺は――」
「貴方は怒った方がいいです」
言い掛けた言葉を遮って、クロエが硬い声で言い放つ。その言葉に、ニアは思わず顔を上げた。
「お、俺も、怒ってはいますよ」
「もっとです。フィルバート様に馬乗りになってボコボコに殴って、裸のまま街中を引き摺り回して、城門に逆さ吊りにするぐらいのことはされた方がいいです」
過激すぎるクロエの台詞に、ニアは思わずヒクリと頬を引き攣らせた。フィルバートが目の前にいないとはいえ、第一王子をここまで罵倒するとはなかなか肝が据わっている。だが、それはクロエがニアを思いやってくれていると解っているからこそ、その言動を咎めようとは思わなかった。
「さ、流石にそれはやりすぎじゃないですか?」
「いいえ、妥当どころか温情を与えているぐらいです」
キッパリとクロエが言い切る。ニアは曖昧な笑みを浮かべたまま、ぽつりと呟いた。
「でも、俺も同意したんです」
「違います。貴方を追い込んで、無理やり同意させたんです」
小さな子供に教えるみたいにクロエが強い口調で言い放つ。ニアが眉尻を下げると、クロエは短い嘆息を漏らした。
「大体の経緯(いきさつ)はフィルバート様にお伺いしましたが、私は怒りで頭が焼き切れそうでした。私は、フィルバート様をこんな最低な男に育てた覚えはありません」
「育てた?」
耳に入った一言に、とっさに素っ頓狂な声が零れた。目を丸くするニアを見て、クロエが、あぁ、と小さく相づちを漏らす。
「私はフィルバート様の乳母ですから。フィルバート様のお母様がお亡くなりになってからは、私がずっとお世話をしてきました」
フィルバート様のおむつ替えもしてきたんですよ。とクロエはのどかな口調で言っているが、フィルバートの乳母ということは三十代後半は確実に過ぎているだろう。だが、目の前にいるクロエはどう見ても二十代の若々しい女性にしか見えなかった。
「え、えぇ……? あの、クロエさんは、おいくつなんですか?」
引き攣った声でニアが訊ねると、クロエはスッと目を細めた。自身の唇に人差し指を当てて、静かな声で言う。
「ニア様、女性に年齢を聞くとは野暮ですよ」
その指摘に、ごもっともとばかりにニアは無言で頭を下げた。
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