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59 外堀どころか内堀まで
処刑騒動後、あらかじめ準備していたのか、フィルバートはマルグリットを支援していた貴族たちの屋敷に即座に騎士団を送り込んだ。魔女を呼び出すような者に協力した罪という名目で、全員有無を言わさず捕らえ、容赦なく牢にぶち込む。もしかしたら何名かは恩情で国外追放は免(まぬが)れるかもしれないが、それでも貴族としての地位を失うことは間違いなかった。
「これで残っていた小虫共を全員駆除できるな」
そう言って、フィルバートは満足そうに笑った。
城に戻った後は、すぐさま国政を担う大臣たちがそろって会議を求めてきた。
仕方なく会議を開くと、みなの視線はフィルバートの隣に立つニアへと一斉に向けられた。その視線にかすかな居心地の悪さを覚えていると、フィルバートが落ち着けと言わんばかりにニアの腰を叩いてくる。
二人の親密な仕草を眺めて、大きな眼鏡をかけた小柄な大臣が恐る恐るといった様子で挙手をする。数字に強く、一桁たりとも計算間違いをすることのない慎重派の財務大臣だ。だが、やや気弱でいつもフィルバートに押され気味な大臣でもある。
「王子殿下、あの、先ほどのご婚姻の宣言についてですが……」
「何か意義でもあるか?」
フィルバートの端的な返しに、財務大臣がヒクリと口角を戦慄かせる。
「い、いいえ、まさか……ただ、お世継ぎはいかがなされるのかと思いまして……あの、もし宜しければ、側室などをご用意した方がいいのかと……」
ご機嫌をうかがうような財務大臣の台詞に、フィルバートは一気に目尻を吊り上げた。その怒りを滲ませた視線に、財務大臣が途端身をすくめる。
「先ほど宣言したはずだ。私は、ニア・ブラウンを『唯一の伴侶』として迎えると」
愚かな子供に言い聞かせるような口調で、フィルバートが言う。そのまま肘掛けに片肘をつくと、フィルバートは居丈高(いたけだか)な口調で続けた。
「王となる者が、私の子である必要はない。私の次に王座に座る者は、王族の中から優秀な人間を選ぶ。異論がある者はこの場で挙手しろ」
そう告げると、フィルバートは長机を囲む大臣たちを見渡した。だが、誰一人として挙手する者はいなかった。
わずかな沈黙の後、フィルバートが立ち上がって言う。
「私へ言いたい内容がそれだけならば、会議は以上で終了とする。今後も諸君らの働きに期待している」
話を打ち切るように言い放つと、フィルバートは会議室の扉へと向かって歩き出した。ニアもその後ろに続く。だが、会議室から出ようとしたとき、ふと声が聞こえた。
「どうしてニア様だったのですか?」
振り返ると、大臣の一人が微笑んだままこちらを見やっていた。元々は下位の貴族だったが、実力で法務大臣にまでのし上がった切れ者の壮年男性だ。
法務大臣を見やって、フィルバートは淡々とした口調で問い掛けた。
「お前は、今の妻とは政略結婚か?」
「いいえ、私が惚れ込んで求婚しました」
少し恥ずかしそうに法務大臣が頭を掻く。それを見ると、フィルバートは穏やかな声で言った。
「お前と同じだ」
そう答えて、フィルバートがかすかに口元に笑みを浮かべる。照れくさそうににも見えるフィルバートの表情を見て、一瞬大臣たちがざわつくのが見えた。
「ただ、愛する者と生涯を共にしたいんだ」
柔らかな声で囁かれた言葉に、ニアはまた顔が火照っていくのを感じた。目を丸くした法務大臣が、ちらりとニアを見やる。その確かめるような眼差しに、ニアはゆっくりとうなずいた。途端、法務大臣が大きくなった我が子を見たように笑みを深める。
「おめでとうございます。お二人をお支えする栄誉に預かれて、心から光栄です」
そう言って、法務大臣が頭を下げる。短い沈黙の後、フィルバートが唇を開いた。
「理解に感謝する」
短く言い切ると、フィルバートは会議室から出て行った。ニアは法務大臣へと深々と頭を下げてから、フィルバートの後に続いた。
会議室から出た後も、周りから向けられる温かい視線が堪らなく恥ずかしかった。フィルバートとともに城内を歩いていると、メイドや従者たちから引っ切りなしに拍手を送られるのだ。
「ニア様、ご婚姻おめでとうございます!」
「お二人に、神の祝福がありますように!」
祝いの言葉を投げられる度に、ニアは穴を掘って埋まりたい衝動に駆られた。だが、フィルバートは感謝を示すように、声をかけてきた相手に向かって軽く片手を挙げている。フィルバートに反応を返して貰ったメイドたちが、キャアッ、と嬉しそうな声をあげているのが聞こえた。
「こんなの、針のむしろです……」
ニアが泣きそうな声で呟くと、フィルバートは目を軽く瞬かせた。
「何を言っている。みな祝福してくれてるじゃないか」
「それは本当に有り難いんですけど……とてつもなく恥ずかしいんです……」
でかい図体をしていて何を清純ぶったことを言っているんだと思われそうだが、これがニアの正直な気持ちだった。一日のうちに『英雄』と『第一王子の伴侶』という称号を二つも獲得するなんて、許容オーバーにも程がある。
城内の廊下で足を止めると、フィルバートはくるりとニアを振り返った。
「慣れろ。これからお前は俺の伴侶として、国内でも国外でも認識されることになるんだぞ」
「こ、国外でも……」
「そうだ。名乗るのもニア・ブラウンではなく、これからはニア・エルデンだ」
「ニア・エルデン?」
ニアが反芻すると、フィルバートは嬉しそうに目を細めた。その両腕がニアの腰裏に回される。ニアの身体を引き寄せると、フィルバートは間近で顔を覗き込んできた。
「ああ、ニア・エルデンだ」
その幸福感に満ちた声音に、胸がギュンッと跳ねるのを感じた。フィルバートがニアの首元に頬を擦り寄せてくる。その懐っこい犬のような仕草にも、ときめきが止まらなかった。
――か、かわいい……この人、ものすごくかわいい……。
今更ながらに天啓を受けたような気持ちだった。ニアの前でだけ、甘え上手な年下の男になってしまうフィルバートが愛しくて堪らなかった。
思わずニアが両腕を伸ばしてその背を抱き返しそうになったとき、絶対零度な声が聞こえてきた。
「乳繰り合うのは部屋に戻ってからにして頂けますか?」
その声に、ニアはとっさにフィルバートの肩を掴んでバッと引き剥がした。フィルバートがムッとした表情で、声の方を見やる。そこには左腰に手を当てたクロエが立っていた。その右手には、なぜか折りたたまれた大きな紙を持っている。
「邪魔をするな」
「衆人環視のもとでおっぱじめる前に声をかけて差し上げたんですよ。そんなことをしたら、ニア様が速攻で城から出て行ってしまいますから」
クロエがゆっくりと辺りを見渡す。その視線の先を見やって、ニアはギョッと目を剥いた。柱や大きな壺や窓の向こう側から、メイドや従者たちが微笑ましそうにこちらを覗き見ている。ニアに気付かれたと悟ると、蜘蛛の子を散らすようにメイドや従者たちは去って行った。
「クロエさん……ありがとうございます……」
フィルバートとイチャついているところを皆に見られなくて良かった。そんなことになったら、恥ずかしさのあまり二度と城には戻れなくなっていたところだ。
ぷるぷると震えながら半泣きな声でお礼を言うと、クロエは哀れむようにニアを見上げた。
「ニア様も、とんでもない人に目をつけられましたね。どうか心を強く持ってください」
意味深げな言葉を呟くと、クロエは右手に持っていた一枚の紙を差し出してきた。戸惑いながらも、その紙を受け取る。半分に折りたたまれた紙を開いた瞬間、ニアはギョッと目を見開いた。
「ぅ、えぇっ!」
思わず素っ頓狂な声が口から溢れる。紙にはデカデカとした文字で、こう書かれていた。
【王子殿下とロードナイトの世紀の婚姻! 七年に渡って育まれてきた純愛の軌跡を辿る!】
俗っぽい見出しにニアが唖然としていると、クロエはなだめるような口調で言った。
「今、街中でこの号外が配られています。おそらく国外まで今回のことが知れ渡るのに、それほど時間はかからないかと。ついでに言えば、すでに吟遊詩人がお二人の歌をそこら中で歌っていますし、劇団もお二人の愛の物語を演劇にして明日から公演を開始するとか」
クロエが更に絶望的なことを言う。その言葉に愕然としつつ、ニアは素早く記事に視線を滑らせた。
そこには、ニアとフィルバートの出会いから、信頼と愛を築き上げるまでの経緯(いきさつ)が過剰なくらいロマンチックに書かれている。もちろんやたらと大袈裟に書かれている部分もあるが、温室でともに暗殺者と戦ったことや、フィルバートからの告白の際に一万本の青薔薇を贈られたことなど、おおむね内容は事実に基づいていた。
記事を一通り読んでから、ニアはバッとフィルバートに視線を向けた。白々しく視線を逸らすフィルバートを、わなわなと震えながら睨み付ける。
「やっ……やりましたね……」
「何のことだ」
「絶対にフィル様がリークしたでしょう!」
そう言葉を突き付けると、フィルバートは口元にニヤッと笑みを浮かべた。
「人は皆、ロマンチックな恋物語が好きなものだろう?」
なぁ、クロエ? とフィルバートが問い掛けると、クロエは恭しくスカートを掴んで頭を垂れた。
「ええ、フィルバート様のおっしゃる通りです」
クロエの返答を聞くと、フィルバートは満足そうにうなずいた。
「これで今日あの場にいなかった者たちも、俺たちを認めざるを得なくなる」
「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られてなんとやら、と言いますものね」
クロエの軽快な言葉に、フィルバートが笑みを深める。
「『運命の恋』を邪魔しようとする奴は、馬に蹴られる前に周りから袋叩きにあうさ」
【運命の恋】と書かれた記事の文章を指先で弾きながら、フィルバートが楽しげに笑う。その晴れやかな笑みを見て、ニアはかすかに眩暈を覚えた。
誰にも文句は言わせない、と以前フィルバートが言っていたことを思い出す。この人は、本当に有言実行したのだ。裏で手を回して世論を操り、自分が望む方向へと世界を作りかえている。
「もう外堀どころか、内堀まで埋めてきてるじゃないですかぁ……」
ニアの弱々しい声に、フィルバートは、ははっ、と声をあげて笑った。
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