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【番外編】衣装部SS(前編)

 松柏(しょうはく)キネマの衣装部には三人の職業婦人がいる。  名は桐子(きりこ)小梅(こうめ)(つばめ)。  それぞれ化粧、髪結い、衣装の担当をしている娘たちである。  およそ二年前のことだ。  脚本家の小山内桜蒔がを連れてきたとき、三人娘はとにかくおどろいた。  仕事柄、二枚目俳優などは見慣れているはずなのだが──これほど綺麗な男の人を、はじめて見たからだ。  異人みたいな髪と肌の色。  ちゃんと男性だとわかるのに、女性的な美しさと艶っぽさを纏ったような、不思議な美貌の持ち主だった。  青年というより、まだ少年と呼んだほうがいい年頃かもしれない。現在より背丈も低く、骨格も華奢だった。  そして、脚本家の指示も予想外だった。 「んじゃ、試しにこれとそっくりにしてみてほしいんじゃけどー」  と、気軽な調子で渡されたのは、伝説の大女優残菊の写真である。 「あ、新しい女形(おやま)の方ですか? お綺麗ですもんね」 「ちがうちがう。わしはな、こいつを女優にしたいんよ。じゃけえ、女形とは別のやりかたでやってくれん?」  要は、女優のように女性向けの自然な化粧を施してくれということだ。  それでは、いくらなんでも男だとわかってしまうのでは──  だが、自分たちもプロである。  衣装部の三人は、とりあえずやってみようと彼を鏡の前に座らせた。  似た(かつら)と衣装を用意し、写真を見ながら化粧をのせる。  そして、またおどろいた。 「すごい。残菊にそっくり……」  一番年上で幼い頃に初代残菊の舞台も観たことがある桐子が、ごくりと喉を鳴らす。  目元は少し切れ長だが、目張りでやや垂れるように下げると、完全に瓜ふたつだ。  髪や瞳の色からしても、残菊の血縁者であることは明白だった。    完成した姿を見た小山内桜蒔は大絶賛だった。 「さっすがうちの衣装部! ええ仕事するのう!」 「あの、こちらの役者さんのお名前は?」 「も──」 「残菊」  横から被せるように、桜蒔が答えた。 「こいつは残菊じゃ。正体が男ってことは撮影所内だけの秘密にするけん、他言無用で頼むで」  と、脚本家は満足そうに笑った。    彼が衝撃的なデビューを飾り、世間に二代目残菊と呼ばれるようになるのは、それから数ヶ月後であった。  *** 「今日から残菊さんの撮影!!」 「きゃー! やったー!」 「この衣装着てもらうの楽しみ!!」  鮮烈なデビューから、二年近くも過ぎた頃。  三人娘はすっかり二代目残菊に夢中だった。  そのあいだに背丈は伸びて、体つきも青年らしくなった。  撮影に体型を隠すための工夫は必要になったが、成長して漂う色香は増した。  他人を寄せつけない孤高さも、ますますその魅力に磨きをかけるようだった。  熱心なファンであることには違いないが、ハンサムな俳優にキャーキャー騒ぐのとは少し違う。  同性の女優に対して憧れる感情のほうが近いかもしれない。 「残菊さん、今日からウィンダミーヤ夫人役ですね。とっても似合いそうな衣装を用意しましたので、よろしくお願いします!」 「……どうも」  二代目残菊は口数も少なく無愛想だったが、撮影所のスタッフに対する当たりは決して強くなかった。  ただ喋らないだけで、無茶や文句をいうことも、機嫌を悪くすることもない。    共演した俳優やお偉いさんには、残菊にちょっかいをだそうとする者や、誘いをかけてくる者もいたようで、そんな相手には非常に冷たかった。  変に踏み込もうとさえしなければ、スタッフにとってはおとなしくてやりやすい役者である。  女癖が悪かったり、反対に男癖が悪かったり、そんな人間たちばかり集まるこの業界だ。  うら若き娘である三人にとって、二代目残菊はある意味安心して応援できる、孤高にして清廉な存在だったのである。  『ウィンダミーヤ夫人の扇』を撮影が順調に進み、終盤に差しかかった頃──  残菊の楽屋にて、事件は起こった。 「では、まずこの長襦袢を着てくださいね。そのあとお化粧して、着付けするので」 「わかった」  衣装担当の燕にそう指示され、青年は着ていた男物の着物をためらいもなく脱いで、肌を晒した。 「ふう……深呼吸しなきゃ。これは芸術なの。彫刻、あるいは裸婦の絵画……。いいえ、もはや宗教画……?」 「また燕がぶつぶついってるわ」  仕事とはいえ嫁入り前の娘なのだ。  目の前に美青年の裸体があって、落ち着いてはいられない。  なぜいつも(ふんどし)をつけていないのかという疑問も、もちろん訊けるはずもなかった。  燕が平静を装い、残菊の背後から襦袢を着せようとしたそのとき──  青年のうなじに、あきらかな情事の跡を見つけた。  赤く染まったいくつもの吸い跡。肩甲骨や胸のほうまで続いており、ところどころに歯型まである。 「…………ッ!!」 「燕、どうしたの…………ッ!!」 「なぁに、桐子まで。残菊さんが風邪引いちゃう…………ッ!!」  全員が動きをとめ、声を飲み込んだ。  三人娘はいずれも嫁入り前だが、浮き名を流す役者たちの話を聞かされる機会が多く、耳年増である。  ものすごく独占欲の強そうな跡を前にして、そろって固まってしまった。  しかし、思考はぐるくると回転している。  ──え、うそ、まさか残菊さんに限って。  ──え、そんな素振りあった? 台詞以外で一行以上喋ってるところすら見たことないのに。  ──えっ、相手だれ?  三人で目配せをして、一瞬で意思の疎通をする。  なによりもとにかく気になるのは、「相手が誰か」である。  この孤高の美人を落とせる者がいるのかと、証拠がそこにあるにもかかわらず、信じられない気持ちだった。 「…………?」 「あっ、いえ、首筋にちょっと赤味が」  襦袢を握りしめて止まっている燕に、残菊が不思議そうな目線を寄越した。 「ん……ああ。隠せるか?」 「は、はいっ!! 白粉でなんとか」 「じゃあ頼む」  すごく平然と流された。  それからはいつもどおりに化粧と着付けを終え、娘たちは残菊をスタジオに送りだした。

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