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第1話
この世界の平和を祈るために異世界から聖女が召喚された後、いろいろなことがあってお役目を返上し帰還してから、季節を二つ跨いだ。
暑さから寒さへと変化した気候に、聖女に聞いた『くりすます』という行事を思い出し空を見上げる。
『くりすます』は簡単に言えば神の子の誕生を祝う日、らしい。
家族や恋人や友達といった近しい人たちと、鶏料理を食べ、ケーキを食べ、酒を飲んで過ごす。
相手のことを思って選んだ贈り物を交換したりもするとか。
そして、『くりすます』に雪が降ると『ほわいとくりすます』と呼ぶそうだ。
「・・・降るわけないか・・・」
山間部ならまだしも、ここ王都では雪など降らない。
そもそも今日が『くりすます』とは限らない。
こちらとあちらでは複雑に暦が異なるのだ。
学力の高い聖女でさえ、自分の世界の暦と照らし合わせて同じ日を探る事はできなかった程だ。
「無事に戻られましたか? 弟君と仲直りはされたのでしょうか・・・」
空を仰ぎ見ながら暫し思いを馳せる。
この世界の誰よりも美しく、優しく、温かかった聖女。
弟と喧嘩をしてすぐに、こちらへ召喚されたのだという。
だからなのか一介の騎士である僕を気に入ったらしく、何かにつけて構ってくれた。
僕の名前“ユリアン”の愛称である“ユリ”が、故郷でも使われる名前だから懐かしい、と目を細めて言っていた。
「無事に決まってるだろう」
「っ!?」
不意に後ろから抱きつかれ、声が出そうになる。
耳元に唇を寄せられて、吐息を感じる度にぞわりと鳥肌が立った。
「・・・殿下・・・お戯れはお止めくださいっ」
腕から逃れようと体を捻れば、更にきつく抱きしめられる。
殿下は僕よりも頭二つ分大きくて筋肉の付き方も違うし、勿論力も僕には全然かなわない。
そしてとんでもなく顔がいい。
正に王子様と言わんばかりの綺羅綺羅しい美形で、その人気は国内だけに留まらず近隣諸国にまで及ぶ。
「離してくださいっ、殿下!」
「ユリ・・・・・いい匂いがするね・・・」
ひぃっ!
そんな声が上がりそうで、必死に口を噛みしめる。
元々王族なんて嫌いだったけど、王も王弟殿下もそこそこいい人間だし大嫌いではない。
そして王弟殿下の息子である近衛騎士団長は、良識のある立派な人物で尊敬している。
でもこの、人の話を全く聞かずに思い込みで突っ走る、下半身が本体としか思えない変態殿下は大っ嫌いだ。
「は、離してくださいぃっっ!」
「ああ、この匂い、素敵だ・・・。ねぇ、ユリ、焦らさないで?」
「ひっ!」
「はあああっ、もう我慢できない、ぐっちゃぐちゃになるほど突っ込んで突き上げて、ユリの身体の奥の奥まで抉じ開けて私の種を注ぎ続けたいっっっ!!」
「ひゃっ!嫌ァっ!!」
服の上からとはいえ身体中を弄られて、堅くなった股間を擦り付けられ、我慢の限界に達した僕の行動に罪はないと思う。
例え咄嗟に自由だった足で殿下の足を蹴り上げ、怯んで弛んだ腕を逆に掴み前方へ投げ飛ばし地面に叩きつけ、その腹の上に思いっきり足を振り下ろしたーーーとしても。
「・・・っ、酷いなぁ、ユリ。・・ああ!なんだ、騎乗位が好みか!いいぞ、さあ、来い!」
「こっの、変態っっっ!!」
渾身の力を込めてもう一度腹を踏みつけてから、殿下が起きれないうちにそこから逃げた。
「何だ?随分ひどい顔をしているな。大丈夫か?」
「フィリオン団長・・」
変態殿下の従兄弟である団長は、すぐに僕の様子に気が付いたようだ。
がっしり頭を掴まれて顔を上に向かされる。
団長はあの殿下とは違い、絶対に僕を女扱いというか、ああいう目では見ないし、態度も結構大雑把なところがあるけどとても優しい人だ。
「・・ハァ、また殿下に絡まれたか・・・」
やっぱりすぐ分かったらしい。
「あいつも悪い奴ではないんだが。人の話を全く聞かないし、かなり思い込みが激しいだけで」
「うー・・・っ、でも変態ですよ、ほんっと身の危険を感じました!」
目に涙が滲む。
あんな屈辱的な仕打ちを許すなんてできない。
せっかく聖女との思い出に浸ってたのに。
「確かに惚れっぽいが、浮名は流してない筈なんだが・・・どうしてユリアンには、その、ああも露骨になるのか。ふむ」
「知りませんよ。惚れっぽい上にあんな変態じゃ、普通の女性ではうまくあしらえないでしょうから、百発百中でしょ。流れてないだけで実際は遊び放題なんじゃないですか?」
「・・・・・それはないと思うがなぁ」
がしがしと頭の後ろを掻きながら、団長は言う。
あんなのでもこの国の王位継承権一位な王子様だし、団長にとっては身内だから庇いたい気持ちはわかるけど、僕からすれば最低最悪の変態殿下でしかない。
「ユリーっ、置いていくなんて酷いじゃないか。はっ!まさか私じゃなくてフィリオンが好きなのかい?!そんなの許さないよ!私以外に気を取られる前に、今すぐ既成事実を作ろう!さあっ!さあっ!」
「また殿下かよ!来るな!触るな!・・・ああああっ寄るんじゃねぇっっ!!」
「・・・・ユリアン、言葉が汚ないぞ?」
「大丈夫だフィル、これはユリの愛情だからね。あああ、もう可愛いっ。いい匂いっ。はあっ、もう待てないよ」
「くそっ、離せ!万年発情期!・・っひぁっ!やめ、ちょ、どこ触ってっ!だ、団長!助けて!嫌ああっ!」
カオスと化した場を納めたのは、団長の愛の鞭という名の、重い重い拳骨だった。
変態殿下にだけ落とされたのは言うまでもない。
「お前は少しは落ち着け!どうして往来でまぐわおうとする!」
え、団長そこ?
「だって、ユリは私の事嫌いだろう?だからせめて身体から堕とそうかと思って」
え、殿下気付いてたの?
「だから、どうしてそうなるんだ?それではユリアンにもっと嫌われると思わないのか?」
「 うーん、それでも私がいないと生きられない身体になれば離れられないだろうし、ユリが手に入るなら些末な事かと思うけど?」
団長が顔を左手で押さえ、がっくりと肩を落とした。
そもそも、ずっと聖女との結婚を押し進めようとしていた筈の殿下が、聖女の帰還後、何もなかったかのように僕みたいな平の近衛騎士、しかも男に狙いを定めるなんて、おかしいと思う。
だからつい疑いの目を向けてしまう。
何を企んでるのか、と。
「ああ、ユリ、私の気持ちに早く応えておくれ。その身体で私の全てを受け止め、快楽の波に乗りはるか彼方まで行き着こう。決して後悔はさせない。満足のいくまで激しく熱い時を過ごそう。私の熱情を深くまで溺れる程に注ごう。ああ、想像するだけでイってしまいそうだっ」
恍惚とした表情で変態殿下が何か語り始めた。
「ユリ、ああ、ユリ、なんていやらしい身体なんだっ。艶やかな濡れ羽色の髪を振り乱し、白く滑らかで艶かしい肌を桃色に染めて私を咥えこむお前は腰を揺らめかせて快感を求め、高く甘い声を響かせ時折叫ぶように啼いて・・・さあっ、とろとろのぐちゃぐちゃに蕩けたそこをもっともっとぐずぐずにしてあげようっ!」
「うるっせぇ!この変態殿下!!勝手に変な想像するな!!」
ぞわぞわと鳥肌が立つ。
俺が変態殿下と何をするって?
絶対に有り得ない。
僕は更に怖気の走る妄想を垂れ流そうとする変態殿下を強く睨み、団長に一礼するとその場から去った。
ああ、聖女。
あなたが去ってから、あの変態殿下のせいで、僕にはあなたとの日々を思い出す余裕があまりありません。
あなたを懐かしく思う暇も、寂しいと思う暇もないんです。
空を見上げてそんなことを考えていたら、凍えるような風に吹かれて咄嗟に目を瞑った。
気のせいだと思うけど、一瞬、白いものがちらりと見えた気がした。
「“めりぃくりすます”」
気が付いたら聖女に教わった言葉を自然と口にしていた。
その言葉は沈みがちな心を浮き立つような、楽しい気分にしてくれる。
「あなたにも楽しい“くりすます”が訪れますように・・・・」
幸せに過ごしているだろう聖女を思っていたのに、いつの間にか変態王子の笑顔を思い、何故か口元が緩んでいったーーなんて気付きたくはなかった。
「で?それはわざとなんだろう?」
騎士団長フィリオンは、呆れた顔で王太子シーサリオンに言った。
「おやおや、流石だねフィル。よく気が付いたよ」
「お前があんな、閨でさえ絶対に言わないような事を素面で言うわけがないからな」
「ユリが相手だと興奮するだけさ」
しれっとシーサリオンは答えた。
そして、暫し考える素振りを見せてから、その碧眼を揺らめかせた。
「んー・・・内緒だよ?帰還前の聖女に言われたんだ。“ユリちゃんを気にしてあげてね”って。“ユリちゃんはすぐ我慢してしまうから、心が固くなってしまう。柔らかく包んであげないと、幸せになれないと思う”んだそうだよ。」
「それだけで、あれか?」
怪訝そうにフィリオンが言えば、にやり、とシーサリオンは笑った。
「“シーサリオン様も心配です。もっと周りをよく見た方がいいですよ。何が大事なのか、本当は誰を求めているのか、気付かない人ではありませんよね?”とも言われた」
「・・・・・・」
「で、気付いたって訳だ。私は相当な茨の道を選んだとは思う。でも、今度ばかりは引く気はない。今までの私は愚かだった。ユリ以上の人間なんていなかったのに」
「例え聖女でも?」
「ああ。確かにあの美貌に惑わされはしたけど、今思えば聖女はそういう対象じゃなかったな。ユリが一番だね。美しさも優しさも気の強さも、あの子だからこそ魅力なんだ。ユリなら、充分王太子妃としてやっていけるだろう?」
嬉々として語るシーサリオンにフィリオンはきっぱりと言う。
「ユリアンは王族が嫌いだぞ。いくらなんでも無理だろう」
「大丈夫。口説き文句は考えてあるさ」
重大な問題をさらりと流すシーサリオンには迷いはなかった。
そんな従兄弟を見て、フィリオンも考えを改める。
「なら、精一杯口説くんだな。ユリアンはなかなか手強いぞ。おまけに、昨今では珍しい異性愛者だ」
「ああ。勿論、全力で向かうさ。私はこれでも諦めが悪いんだ。絶対に惚れさせてみせる」
互いに笑い合い、それからそれぞれの仕事へと戻る。
フィリオンはそこで気付いた。
シーサリオンが、人の話を素直に聞き、またそこに全く思い込みがなかったことをーーーーー。
一方、執務室へ向かうシーサリオンは、小さく呟いた。
「私がああしていれば、頭の中は私でいっぱいになって、ユリは寂しさを感じている暇もないだろうね」
王太子シーサリオンと近衛騎士ユリアン。
二人の気持ちがどう変わっていくのか、それはこの先のお楽しみ。
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