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scene 3. Back Door Man
朝、農場周りをジョギングするドリュー。スマートフォンで庭のガチョウを撮影し、楽しげに誰かとメッセージのやり取りをしているジェシ。中庭に出て、持参したダンベルを使いトレーニングするタンクトップ姿のユーリ。ゾルトはそんな何気無いシーンを、次々とファインダーに収めていた。
朝食のあと、スタジオで肩慣らし的に始めるジャムセッションも、ゾルトは邪魔にならないようひっそりと隅から撮っていた。一言も発さず撮影をする様子を見てルカは、そういえばニールもこんなふうに存在感を消していたなと思いだした。
初めのうちこそつい気にしてしまって落ち着かなかったが、慣れてしまえば、カメラを構えたまま視界のなかで動かれても不愉快とは感じなかった。常に見られているという緊張感さえもない。それはドリューたちも同じなようで、演奏にも特に集中できていないような様子はなかった。
――ただひとりを除いては。
テディは苛立ちを隠そうともせず、いきなり演奏する手を止めると、ベースギターのストラップを脱ぐように外した。
「ああもう、邪魔!」
こんな物言いをすることなど滅多にないテディに、皆が驚いて顔を見る。「おいテディ――」とルカが名前を呼んだ声も聞こえないふりで、テディは不満も顕に続けた。
「ずっとそこにいられると気が散るんだよ。もう何枚か撮ったんだろ? じゃあもういいじゃない」
「これでも気は遣ってるんだけどな。じゃ、もう少しこっちから撮ろうか。そしたら君の視界に入らない」
ゾルトは気を悪くしたふうでもなく、テディとベースキャビネットの背後側にまわろうとした。が。
「そうじゃないよ、近寄らないでくれる? 出てけって云ったんだ、鈍いの?」
ルカは溜息をつきながら、なんとなくユーリと視線を交わした。強面で睨めつけるように片眉をあげ、ユーリがなんなんだと尋ねるように首を傾げる。ルカはそれに対し、ひょいと肩を竦めてみせた。
ゾルトがこうして撮影を始めてから、ずっとテディの機嫌が悪い。否、ほとんど当たり散らしているといった様子だった。その所為か演奏も調子があがらず、曲作りなどまったく捗らない。
おそらく皆、テディはいったいどうしたのかと疑問に思っていただろうが――ゾルトがハンガリー人だと気づいたと同時に、ルカの頭にはひとつの可能性が浮かんでいた。
ゾルトがここへやってきたとき、テディは彼の顔を見て驚いていた。だがゾルトのほうはそんなテディに対し、特になんの反応も示さなかった。
ルカとテディのふたりはバンドを始める前、ほんの短いあいだだけだったが、ハンガリーのブダペストで暮らしていたことがある。もっと以前、ふたりが出逢うより前にもテディは母親とブダペストにいたことがあると、ルカは聞いたことがあった。
ウェブサイトで確認したゾルトのプロフィールにはやはりハンガリー出身とあったし、ブダペストにもいた時期があるらしかった。ルカは初めに浮かんだ考えを否定したくて、ひょっとしたらテディの子供の頃の知り合いで、向こうはおとなになった姿を見てもわからないだけかもしれない、と自分に言い聞かせてみた。
だが、もしもそうなら、テディがあんな態度をとる必要はない。
子供の頃は嫌いだった相手だとしても、向こうが憶えていないようなら無視していれば済むことだ。やはり、初めに思い浮かんだほうが正解である可能性が高い。と、いうことは――
まいったな、とルカは頭を抱えた。
ゾルトが退室しないことに肚を立てたのか、テディは愛用している碧いジャズベースを置いて、スタジオを出ていってしまった。バンドの創始者であり、いちおうリーダーということになっているユーリはやや途惑った顔をしていたが、ドラムスティックでとんとんと肩を叩きながら、いったん休憩にしようと皆に云った。
ここ何年かは落ち着いているが、テディはもともと精神的に不安定なところがある。だからルカの次にテディと付き合いの深いユーリも、こんなふうに荒れる彼には慣れっこなのだ。
じゃあ、ちょっと早いけどお茶にしましょうかと、キーボードを離れたジェシがドリューと一緒にスタジオを出る。ジェシお気に入りのフェンダーローズとVOX コンチネンタルにカメラを向け何度かシャッターを切ると、ゾルトもようやく出ていった。
ルカもやれやれとそのあとに続きかけると、「おい」とユーリの声がした。
ああ、きたか。どこまで云うべきかと考えながら、ルカは足を止め、振り向いた。
「いったいどうしたっていうんだテディの奴。明らかにあのカメラマンの所為だよな?」
「あー……、まあ、俺もはっきりとはわからないんだけど」
鋭い目がこっちを睨めつける。
「そんな顔で睨むなよ。俺も、たぶんこういうことだろうなって推測くらいしかできないんだ」
しかもその推測を話すと、こいつまで機嫌が悪くなるんだろうな……と、ルカはうんざりした表情でユーリを見た。
「かまわん。云ってみろ」
「……あいつは、ハンガリー人だ」
「……それで?」
「で、たぶん……俺とテディがブダペストに住んでた頃に、その……会ったんじゃないかと」
「会った」
ユーリも、ここでもうぴんときたらしい。ルカは小刻みに何度か頷いてみせた。
「ブダペストか。……前に、テディがバーに行ってたって話を聞いたが」
「それ」
「……つまり、あの野郎はその頃に、テディを」
口には出さなかったが、思い浮かべた言葉は同じだ。ルカはゆっくりと頷いた。
ブダペストの寒い、狭い部屋でルカとテディが暮らしていた頃。仕事がみつからず、ふたりはルカの親の金で生活している状態だった。それを厭い、テディはせめて自分の食い扶持だけでもと、ゲイが集まるクルージングバーで男娼まがいのことを繰り返した。
テディを金で買った男――つまり、躰の関係をもった男。しかし単純に元恋人などというのと違い、どう心の整理をつければいいのか、どう扱っていいものかもわからない。それに、テディの様子からして彼はゾルトのことを憶えているようだが、ゾルトのほうはどうなのか――
「……今からでも遅くない。ロニーに、この企画はボツにしろって話を」
ユーリの言葉に、ルカは首を横に振った。
「無理だろ。セレブに引っ張りだこだ、時の人だってあんなに舞いあがってたじゃないか。それに、なにをどう云えってんだ。無理だよ」
そう答えながら、ルカはロニーの言葉を思いだした。ジー・デヴィールなら撮りたいと、来年まで詰まっているスケジュールを調整してすぐに来てくれた――確かロニーはそう云っていた。
「あー……、向こうもちゃんと憶えてるのか……」
「なに?」
ユーリには答えず、ルカは頭を掻いた。
ふつうなら。自分の恋人と躰の関係のある人物が現れたとして、それが過去のことだからと気にせずにいられるなんてことはまずないだろう。況してや再会のチャンスがあったからとすぐ飛んでくるような相手である。下心ありと見るのが当然だし、恋人に近づかないよう警戒するべきなのだろうが――
「……なーんか、テディの態度のほうが気にかかるんだよなあ……」
「おい、独り言ばっかり云ってんじゃねえ。あいつを追い払わないなら、おまえ、なるべくテディから離れないで一緒にいるようにしろ」
ルカは苦笑した。自分よりも、自称『ファックバディ』であるユーリのほうが正しい恋人の反応をしていると感じる。
「ああ、なるべくそうする」
しかし、とルカは思った。
きっと、テディは自分を避けるだろう。ユーリに説明できるほど、はっきりと理屈で理解しているわけではないが――だが、ルカにはわかる。テディとは寮制学校 の寮 で同室になった十四歳の頃から、もう十五年もつきあっているのだ。
いろいろなことがあった。いろいろな彼の貌を見てきた。護ろうとした。愛した。失望した。裏切られた、それも何度も。疲れきった。泣き崩れた。突き放した。諦めた。諦めきれなかった。
そして、離れられないまま今も傍にいる。
だから、ルカにはわかるのだ――テディがゾルトにやたらと突っかかっているのは、彼を疎ましがってのことではないと。
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