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1)狛 犬 〈5〉

◇  時計が夜の深い時間を差す頃。階下からテレビの音が小さく聞こえるのに気付いて、和都は読んでいた本から視線を外す。  ──あ、帰ってきてたんだ。  帰宅が遅いとこちらに声を掛けてくることもない両親の存在は、テレビの音の有無で把握していた。  ──ちゃんと居るかどうかくらい、確認すれば良いのに。  どこにも行かず家に居なさい、と言うわりに、両親が自分の部屋を見に来ることは少ない。高校に入ってからは、中学の時のように大きな問題が起きないよう気を付けているので、それが功を奏した結果だろう。  二階の自室にあるのは、机と本棚とクローゼット、そしてベッドぐらい。ゲームもテレビも悪影響だと禁じられているけれど、和都としては本が読めればそれでいいので充分だった。  そろそろ寝るかと本を閉じて明かりを消し、ベッドに深く沈み込む。  朝から色々ありすぎて、今日は一日がすごく長く感じた。  そう、朝から。  ──……あの、犬のお化けはなんだったんだろう。  見た目とは裏腹に異様に明るくて、なんだか少しだけ懐かしく感じる声。 〔それってボクのことー?〕  うとうとし始めた頭の中に、今朝聴いたのと全く同じ声が響いたので、驚いて起き上がる。  明かりを消したため暗いが、天井付近の明り取りの窓のお陰でぼんやりと判別はできる。青闇の中、辺りを見回していると、部屋の入り口のほうになにか白いモヤのようなものが視えた。 「お前、そこにいるの?」 〔ボクはずぅっとカズトの近くにいるよぉ?〕  白いモヤだったものが小さく渦を巻きながら、ゆっくりゆっくり粘土をこねるようにして変わっていき、半透明な首から上の、頭部だけの犬の形を作り出す。  輪郭は朧げだが、確かに今朝視た犬のお化けに似ている。 「……夢じゃ、なかったんだね」 〔今朝はごめんねー。ビックリしたよね。話せるのに時間制限あってさー〕 「いや、まぁ。……うん」  その『ハク』と名乗ったお化けは、自分よりも年齢の低い少年のような声で、異様な見た目のわりにやたら明朗快活な喋り方をするため、どこか拍子抜けしてしまう。  こういった怪異の類は、いつもなら『いいもの』か『いやなもの』かくらいなら分かるが、やはりこのハクに至ってはよく分からない。 「お前は、なんなの?」 〔んーとねぇ、ボクは元々神社にお仕えしてた狛犬でね。ずっとカズトをこっそり見守ってたんだよぉ〕 「背後霊、みたいな?」 〔そうそう!〕  言われてみれば、白い犬のような獣で、紅白の紐を巻いているなんて、狛犬と言われたら、そう見えなくはない。ただ、首から上しかないが。 「その元狛犬が、なんでおれの背後霊なんかやってるの?」 〔カズトの中にはボクの(つがい)だった狛犬の『バク』がいるんだ。ボクとバクは魂が繋がっちゃってるから、バクのいるとこにボクもいくの!〕  元狛犬の、ハクの片割れだった狛犬が、自分の中にいる。  ということは? 「……えっと? つまり生まれ変わりとか、前世みたいな?」 〔そうそう、そんな感じ!〕 「マジか」  転生とか生まれ変わりとか、そんな感じなのだろうか。しかし残念ながら狛犬だった頃の記憶なんてものは一切ないので、そんな物語の主人公でないことは確かである。 「ずっと見守ってるだけだったのに、なんで急に出てきたの? 今朝言ってた『鬼』のせい?」 〔そう! 新しくガッコーに来た、赤い目のヤツいたでしょ? あれが『鬼』だよ!〕 「やっぱり、そうなんだ……」  始業式で紹介された新任教師の二人。あの異様な気配といい、何かの見間違いかと思ったが、人間とは違う色に視えたあの瞳は、そう言うことかと納得する。 「その『鬼』は、なんでおれを狙ってるの?」 〔カズトは『狛犬の目』を持ってるからね〕 「『狛犬の目』?」  そもそも狛犬とは、神社などにある神様を悪いものから守る、一対の唐獅子の石像だ。どうやらあれらは、ただの置き物ではないらしい。 〔言ったでしょう? カズトの中には『バク』がいるって〕 「あぁ、うん」 〔『狛犬の目』はバクが持ってたトクベツなチカラだよ。神社にいる神様のために、なんでも招き寄せちゃうの。ものすごーく強いチカラがあるから、鬼にはご馳走なんだ!〕 「……ご馳走」  なんとも嫌な響きである。どうやら鬼の狙いは自分というより、その『狛犬の目』のようだ。 「でも、招くだけなの? それじゃあ悪いモノがきたら食べられちゃわない?」 〔そこは『狛犬の牙』を持っている(つがい)のボクが! 近寄ってきた悪いモノを食べてやるんだ〕  そう言ってハクが大きな口を開けて見せた。と言っても、ぼんやりとしたシルエットなので、そこまでの迫力はない。  ハクによれば、『狛犬の目』は信仰する人間達を神社に招き寄せつつ、その地域の人たちや祀られている神様へ、悪霊や鬼などのよくないモノが近づかないようおびき寄せるものらしい。そうして寄って来た悪霊は『狛犬の牙』が食べて消滅させることで、神社周辺を守っているのだ。  神社の入り口にいる一対の狛犬たちが持つ役割に、和都はなるほどと感心する。だが、それと同時に気付いてはいけないことに気付いてしまった。 「……そっか。じゃあその『狛犬の目』のせいで、おれには色んなモノが寄ってきてたのか」  見知らぬ飼い犬も、恐ろしい姿のお化けも、話したことのない上級生も。きっと全て『狛犬の目』に惹き寄せられてきたものなのだろう。 〔特にニンゲンの中でも『鬼』に近い心を持ってるニンゲンは、より執着してくるからねぇ〕  長年の謎が、まさかこんな形で判明することになるとは思わなかった。  にわかには信じられないが、自分を欲してきた人たちを思い返せば、確かに『鬼』のようだった。自分勝手で恐ろしい、欲望の塊でぶつかってくる、身勝手な人間の姿をした『鬼』。 「……なんだ、やっぱり全部、おれのせいじゃん」  妄想に浸って勝手に思い込んで、馬鹿みたいに近寄ってくるヤツらが悪いのだ、と、強く思うことで跳ね返してきたのに。  人を惹き寄せ、色々なものを狂わせてしまったことの原因は、結局自分だったのだ。 〔え?! 違う、違うよ、カズト。狛犬のチカラだよ。カズトはなんにも悪くないよ?〕 「ハクはずっとおれのこと見てたんでしょ?」 〔う、うん。そうだけど〕 「……おれがいなかったら、みんなあんな風に、おかしくなったりすることはなかったんでしょ? それならやっぱり、おれのせいだよ」  壊れてしまった全部が、自分のせい。  存在そのものが、人間の中にあってはいけないのだ。  ハクは頑張って否定するが、事実、自分にそのチカラがなければ、生活も、家族も、人間関係も、現在のような状況には至っていないはずだ。 〔でもでも、みんな自分たちの中の『鬼』が膨れた結果だから、カズトに逢わなくても、そのうちそうなってた人たちだよ。遅いか早いかの違いだよぉ〕 「そうなのかな……」  自分と出会わなかったら、まともに生きていた人もいたのではないかと、どうしても考えてしまう。 「……おれ、いっそ鬼に食べてもらっちゃったほうが、いいんじゃないかなぁ」  無意識とはいえ他人に迷惑をかけて狂わせてしまう存在なんて、いっそ綺麗に食われて、跡形もなくいなくなってしまったほうがいいんじゃないだろうか。 〔それはダメェ! こまるぅぅ!!〕  半透明の犬の生首が上下に揺れて、まるで駄々っ子のように叫ぶ。 「……どうして?」 〔カズトが鬼に食べられちゃったら、カズトの中のバクも、バクと繋がってるボクも消えちゃうよ! そんなのヤダァ!〕 「消える?」 〔そう! 普通に人として死んだら次があるけど、鬼に食べられたら消滅して終わりなんだよ! だから気をつけてって言いにきたのにぃ!〕  確かに他人の行動のせいで、自分や自分の大切な存在まで消えてしまうというのは嫌かもしれない。だからこそ、この元狛犬だというお化けは必死なのだろう。  ハクがあまりに必死なので、和都はなんだか少し可哀想な気持ちになってきた。 「でも、気を付けろって言われてもさ。どうしたらいいの?」 〔なるべく関わらないのが一番いいんだけど、同じガッコーだと絶対会っちゃうよねぇ〕 「教科担当になったら、定期的に会うことになるよ。授業中に突然襲ってくる……とかは、さすがにないと思いたいけど」  和都は腕を組んで考える。  まだ新任教師として始業式で紹介されただけである。初日の授業に体育も日本史もなかったので、教科担当かどうかはまだ分からない。 〔ニンゲンに紛れ込んでる以上、人前で何かはしてこないと思うよ。だからなるべく一人にならないようにする、とか?〕 「えぇ……」  ファンタジーな相手に対して、出来そうな対策がすごく現実的なストーカー対策でしかないのは、なんとも心許ない話だ。 〔あとは簡単に食べられないように、カズトの中の霊力(チカラ)を強くするしかないね!〕 「それが強くなれば、食べられないの?」 〔うん! カズトのチカラが強くなれば、カズトと魂が繋がってるボクのチカラも強くなるの! そうすれば、ボクが守ってあげられる!〕 「なるほど」  狛犬だった頃の役割を考えれば、確かにハクに守ってもらうのが一番良さそうに思える。 「でもどうやって強くすんの? よくある修行的なヤツだったら、おれはちょっと無理だよ」  部活や塾すら制限し、ただ家にいろという保護者の元にいるのだ。霊験あらたかな山や滝での修行なんて、もってのほかだろう。  そしてもう一つ、和都に通常の男子高校生のような体力がないという問題もある。 〔いやいや、そういうのは要らないよ。チカラの強い人を探して、分けてもらえばいいんだよ!〕  ようやくそれらしい話かと思えば、なんとも地道な内容である。 「そういうチカラって、そんな簡単に分けてもらえるものなの?」 〔波長の合う人で、強いチカラを持ってる人がいたら、一緒にいたり触れ合ったりしてれば、分けてもらえるよ!〕  今まではただ視えるだけで気にしたことはなかったが、こういったチカラにも強い弱いがあるらしい。 〔今のカズトは、下手したらその辺にいる小さな悪霊にも負けちゃうくらいチョー弱いからね!〕 「……もしかして、おれがすぐ倒れるのもそのせい?」 〔そうだよ! 本当ならお化けも視えないんだけど『狛犬の目』のチカラで視えてるんだろうねぇ〕 「ああ、そういうことかぁ……」  うなだれつつも和都は納得する。  これまで『いやなもの』に遭遇しただけで、具合が悪くなったり、心臓を握り潰されるような思いをしてきたが、そういうことらしい。 「んじゃあその、波長が合うっていうのはどう判断したらいいの? 見つけたら何か分かるもんなの?」 〔分かりやすいのは、一緒にいても『狛犬の目』の影響を受けない人、かな。ユースケとか、スガワラとかコサカみたいな!〕  春日は中学の頃から、菅原と小坂は高校に入ってからの知り合いだが、確かに三人は一緒にいても普通に接してくれている。そんな彼らと一緒にいても、倒れる頻度がそこまで変わらないということは、やはり彼らは霊力を持たない、視えていない人間なのだろう。 〔カズトと波長が合う人はそれなりにいるんだけど、その中に分けられるほど強い霊力(チカラ)を持ってる人は、いなかったみたいだね〕 「なるほどなー」  どうやらその霊力(チカラ)とやらは、自分自身では増やせないものらしいので、誰かに分けてもらうしか増やす方法はないようだ。 「ん? でも、チカラが増えたら倒れなくなるんだよね?」 〔うん!〕 「高校に入ってから、中学の時よりは倒れてないんだけど、成長して増えるわけじゃないなら、なんで強くなってるんだろ?」 〔あーたしかに! もしかしたらガッコーでたまに会う人とかに、チカラを持ってる人がいるのかもしれないねっ〕  今日は『鬼』に出会ったせいなので除外するとしても、高校に入ってから倒れる頻度は少しずつではあるが減っている。であれば、学校関係者に自分に霊力(チカラ)を分けられるだけの人間がいる可能性は高い。 「誰かは分かんないけど、学校で会う人の中にいるのなら、まだ希望はあるのかな……」  自分にチカラを分けられる人間の特徴は、波長が合って『狛犬の目』の影響を受けないこと。  手がかりがゼロではないなら、何とかなるかもしれない。 「鬼に食べられるとかなんか嫌だし、ハクも困るっていうなら、霊力(チカラ)を持ってる人、探してみようかな」 〔本当? やったぁ! ありがとーありがとー〕  半透明の犬の生首が、空中でクルクルと楽しそうに旋回する。見た目はアレだが、声の感じも相まって、幼い子どもを相手にしてるような気持ちになってきた。  ハクの様子を見て小さく笑うと、和都はふたたび横になって布団をかぶる。 「さ、明日も学校だし、もう寝なきゃ」 〔うん! おやすみ、カズト!〕 「……おやすみ、ハク」  誰かに『おやすみ』を言うのは随分と久しぶりで、そんなことを言える相手ができたのは、その日唯一の良いことだった。

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