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18)玄月の音〈1〉

 狛杜高校文化祭、当日。  学校内は朝からたくさんの来場者で溢れていた。  本校舎の各教室では、学年ごとの展示が行われており、昇降口周辺は運動部や保護者有志による模擬店が並ぶ。第一体育館では文化系各部や有志によるステージ演目、そして第二体育館では大型作品の展示が行われ、学校の敷地内はどこも騒がしい。  狛杜高校の文化祭は、地域住民や生徒の保護者だけでなく、近隣他校の生徒や次年度の入学希望者も多数来校するため、体育祭の時よりも明らかに外部からやってくる人が多いのが特徴である。 「……おれ、ずっとここでいい」  保健室では開会式が終わってからずっと、『救護班』と書かれた腕章を付けた和都が、談話テーブルの椅子に座ってぐったりしていた。保健委員なので救護班として待機しているだけなのだが、学校敷地内に溢れる人の多さに、保健室から出たくないという気持ちのほうが強い。 「午後から上の階の見回りでしょ、お前」 「やーだー!」  普段のようにコーヒーを飲みつつ、一緒に保健室で待機している仁科の言葉に、和都が駄々っ子のような声を上げた。  狛杜高校は男子校ということもあって、近隣高校の女子生徒も男子生徒を目当てに多数来校する。  ただでさえ人混みが好きではないのに、苦手な同年代の女性もたくさん来るという文化祭は、和都にとって鬼門のイベントであった。 「お前、去年はどうしてたの?」 「……屋上の、階段とこにずっといた」 「ははあ、なるほどね」  文化祭の間は屋上が解放されていないため、屋上に繋がる階段付近は人が来ることは殆どない。一年生の時ならば教室も四階なので、そこにいても不自然ではなかったようだ。 「まぁ、下手に動かれるよりは良いけどね」  学校行事なので、当然『鬼』に憑かれている堂島や川野も、校内をうろついている。  そのうえ担任や部活顧問ではない教師たちは、当番で校内を巡回する以外に自由行動が多いので、和都を狙ってくる可能性は高かった。  しかし、当の和都はこの状態である。  向こうからすれば、ターゲットである和都が、人混みがイヤというだけの理由で、開会式以降全く保健室から出てこないのは、誤算だったのではないだろうか。 「見回りも、先生一人で行ってきてよぉ……」 「ダーメ。お前がごねたから教室階だけにしたんだぞ。他は清水たちが行ってくれてんだから」 「……先輩たち、乗り気だったじゃん」  文化祭で救護班を担当する保健委員は、交代で保健室に待機して手当ての補助をする係と、校内を回って傷病者がいないか見て回る係に分かれている。文化祭を楽しみたい生徒からすれば、保健室での待機は暇で仕方ない時間なのだが、引きこもりたい和都が大半の時間で待機係を担当することになったため、他学年、特に三年生たちは喜んで見回る係を引き受けてくれた。  人混みが苦手とはいえ、文化祭も大事な学校行事である。教員としてはずっと保健室に引きこもらせるわけにいかないので、教室階だけでも見回りの時間を、と仁科がねじ込んだのであった。 「まぁ、あいつらはお祭り好きだからね」 「準備すんのとかは嫌いじゃないけど、人がいっぱい来るのはヤダ」 「ワガママな子ねぇ」  今年の文化祭は人出のわりに保健室も平和なほうらしく、時々小さなケガで人が来る程度。本校舎の一階は展示エリアではないこともあり、廊下を行き交う人たちの話し声や足音がドアや壁越しに聞こえているくらいで、屋外に比べると随分静かだ。  そろそろお昼も近づいてきた時間。  談話テーブルで本を読んでいた和都が、ふと顔を上げた。 「……あれ? 何か聞こえない?」  耳を澄ませると、普通の話し声とも足音とも違う音が、廊下の奥のほうから聞こえる。  ぐずぐずとしゃくりあげるような、小さな子どものすすり泣く声。それが少しずつこちらに近づいてきているようだ。 「泣き声、か?」 「ちょっと見てきます」  気になった和都は読んでいた本を閉じ、保健室のドアを開けて廊下のほうを覗き込む。  三〜四歳くらいだろうか。小さな男の子が、顔中を鼻水と涙でぐしゃぐしゃにしながら、歩いてくるところだった。 「どうしたのー?」  和都は廊下へ出ると、男の子の前にしゃがみ込み、目線を同じくらいにして話しかける。男の子は突然話しかけられて驚いたように目を丸くしたが、すぐにまた涙声で喚き出した。 「おがあさんが、い゛なくな゛ったぁ!」 「あー、そっかぁ」  再び泣きだした男の子の頭を、和都はよしよしと優しく撫でる。  出入り口の騒ぎに、仁科もドアの前までやってきた。 「ありゃ、迷子かぁ」 「そうみたい。実行委員か風紀委員が通ってくれればいいんだけど……」 「春日クンに連絡してみる?」 「あー、そうですね」  仁科とそんな話をしていると、保健室のすぐ近く、東階段のほうから知った顔が降りてくるところで。 「あ、ユースケ」 「和都、どうかしたか」  左腕に『風紀』と書かれた黄色い腕章を付けた春日だった。  文化祭での風紀委員は、揉め事などの問題が起きていないか、警備を主として校内を見回っている。 「ちょうどよかった、迷子みたいでさ」 「そうか」  人出の多い行事では、こういった迷子は必ず出てくるものだ。  もし迷子などを見つけた場合は、文化祭実行委員のいる本部テントで迷子の預かりとアナウンスをしてくれる手筈になっており、見回り担当の風紀委員か実行委員が近くにいるなら、彼らに任せればいい。  春日は和都の近くに駆け寄ると、その場に膝をついて屈み、男の子に手を伸ばす。 「一緒においで、お母さん探そう」  言われた男の子は驚いて泣き止んだものの、プイっとそっぽを向き、そのまま和都のほうに抱きついてしまった。 「ここにいても、お母さん見つからないよ?」 「やだ!」 「えぇ……」  男の子の頭を撫でつつ、和都は困ったように眉を(ひそ)めながら春日を見つめる。 「お前、顔が怖いんだよ。もうちょい何とかならない?」 「なるわけないだろ」  ムッとした顔で春日が返すと、様子を見ていた仁科が小さく吹き出した。 「相模、こっちは大丈夫だから、一緒に行っといで。ついでに何か食べる物とか買ってきてよ」 「……分かった」  喉で笑いながら言う仁科からお金を受け取ると、和都はため息をつきながら男の子を抱えて立ちがる。 「おれと一緒なら、お母さん探してくれるとこまで行ける?」 「……うん」 「じゃあ、一緒に行こっか」  男の子が頷いてくれたので、和都は不服そうな顔の春日と一緒に、実行委員のテントへ向かった。

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