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18)玄月の音〈5〉*

〈もうすぐ、後夜祭が始まります。参加される生徒、職員は、第一体育館に集合してください〉 「うわ、やっべ! いかねーと!」 「じゃーねー先生!」  放送を聞いた小坂と菅原が慌てて椅子から立ち上がり、保健室を飛び出していった。バスケ部として何かしらすることがあるのだろう。 「あ、春日クンも後夜祭に参加するの?」  二人を追いかけるように、保健室を出ていこうとしている春日に、仁科は声をかけた。 「はい。参加というか、警備のほうなんですが。和都は……」  そう言って、和都の座っていた椅子を見ると、座ったまま器用に寝落ちている。 「あれ、いつの間に」 「気ぃ張ってて疲れたんでしょ。元々体力ないんで、コイツ」  そう言えば、体育祭の時は昼休憩の時にベッドで休んでいたが、今回の文化祭では休憩という名の昼寝をしてなかったな、と仁科は思い出した。 「今日はずっと、動き回ってたもんねぇ」  午前中こそ暇ではあったが、昼前からは迷子を運び、午後からは見回りと、騒ぎの中でたくさんのケガ人の手当てをしている。  慌ただしい一日が終わり、気が抜けたようだ。  仁科は椅子で眠り続ける和都を、ベッドに移すために抱え上げる。 「少し寝かせて、起きたら参加するか聞いてみるよ」 「多分、参加するとは言わないんで、あとはお願いします」 「えっ」  まさかの丸投げに驚いていると、春日がじっと仁科を見つめてから言った。 「……学校内で襲うは、やめてくださいね」 「だから、襲わないっての!」 「それじゃ」  眉を(ひそ)めて仁科が返すと、春日が小さく笑って保健室を出ていく。  残された仁科はやれやれ、と息をついて和都をベッドへ運んだ。 ◇ 「……あれっ?!」  ハッと気付いたら、見慣れているが久々に見る天井が視界に入る。  そのまま勢いよく身体を起こすと、椅子に座っていたはずがベッドの上だった。 「お、やーっと起きたか」  声のしたほうを見ると、談話テーブルで仁科が何か作業をしている。  今日保健室を訪れた人の、利用者名簿の整理のようだった。 「え、あれ、みんなは?」 「みんな後夜祭に行ったよ」  仁科に言われて窓の外へ視線を向けると、すでに日は暮れて暗くなり始めている。とっくに後夜祭は始まっており、そろそろ最後のキャンプファイヤーが始まろうかというような時間だ。 「なんかもう終わりそうだけど、お前はどうする?」 「……疲れたからもういいよ」  和都は仁科の質問に、うんざりしたような、本当に疲れた顔で答える。  今日は本当に、いろいろなことがあり過ぎて、心身共に疲れてしまった。 「そう。じゃあ、これ片付けちゃうから待ってて。送ってくから」 「……うん」  和都はベッドから降りると、グラウンドの見える窓へ近寄り、普段は下がっているブラインドを上げる。  落葉し始めた桜の木々の間から、グラウンドの中央付近に薪が組んであるのが見えた。後夜祭は第一体育館で盛大に騒いだ後、最後はグラウンドでキャンプファイヤーを囲み、火が燃え尽きたら終わりである。  組まれた薪の前で、誰かが話をしていた。グラウンドには、それを遠巻きに囲むように、生徒たちが集まっている。窓を閉めた状態なので、流石に声までは聞こえない。  と、いきなりボォッとオレンジ色の炎が、薪の中央から立ち上った。薪の前では、どうやら着火開始のカウントダウンをしていたらしい。 「先生、キャンプファイヤー始まったよ!」  和都がはしゃいで窓の外を指差す。 「お、始まったか」  ちょうど作業が終わったらしく、仁科も楽しげにグラウンドを見つめる和都の隣に行き、木々の隙間から見えるオレンジ色に立ち上る炎を眺めた。  ふと思い立ち、仁科は入り口のほうへ行くと、保健室内の明かりを消す。  オレンジ色の光がより明るく見えた。 「あ、いいね」  薄暗い室内で、和都が嬉しそうに笑う顔が光に照らされて浮き上がる。  仁科はその隣に戻ると、そっと和都の肩を抱き寄せた。驚いた顔で見上げていたが、何も言わずにそのまま凭れかかってきたので、その頭を優しく撫でる。  長い、長い、一日の終わり。  紺色に染まり始めた空に向かって、煌々とした炎がゆらめきながら立ち上る。  グラウンドにいる生徒たちも、炎を囲んでそれぞれ自由に眺めているようだった。  ただ、ちらほらとその輪から離れていく人影も見える。あまり遅くなると、少し面倒なことになりそうだ。 「……さ、帰ろっか」 「うん」  上げていたブラインドを下げると、炎の明かりが遮られて、室内は一気に暗くなる。  と、仁科が和都の頭に触れ、そのまま少し屈んで、小さい額に唇で触れた。 「今日の分ね」 「はぁい……」  そういえばしてもらっていなかったな、と囁く声に返し、そのままジィッと見上げていると、またすぐに顔が近づく。  そして今度は唇に唇が触れて、すぐに離れていった。 「……学校で、するなってば」 「えー? して欲しそうな顔してたよ?」 「……う」  和都はムッと膨らませた頬を、笑う仁科につままれながら、春日に昼間言われたことを思い出す。今は多分、顔が赤くなっているはずだ。 「すこし、思っただけだし」  こんなに薄暗くて、表情も分かりにくい状態なのに分かってしまうなんて、自分はそんなに顔に出てしまうのだろうか。そう思うと、少し恥ずかしい。  そろそろ行こう、とほんの少しの明かりを頼りに帰り支度をし、保健室内の戸締りを確認しながら、和都は、ああそうだ、と思い出した。 「今度、先生の家に行っていい?」 「……いいけど。文化祭終わったから、すぐ実力テストじゃないの」 「テスト終わった後! 先生の実家にあった本の解読、まだ終わってないんでしょ?」  和都に言われ、仁科は疲れたように眉を下げる。 「あー、うん。文化祭準備とかもあって、マジで進んでないんだよね」  本当なら何よりも最優先したい作業なのだが、本来の仕事も疎かに出来ないので、なかなか難しい。 「でしょー? 手伝いにいく。それにきっと、おれが知らないといけないことだと思うから」 「……そうだね」  仁科はそう答えて、和都の頭を撫でた。  それは、彼が知らない、彼のための調べ物。  今を最後にしないために。 「さ、帰ろうか」 「うん」  そう言って、二人で一緒に保健室を後にした。

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