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19)紫苑に揺れる〈5〉*

 儀式を終え、使ったものを片付けているうちに、あっという間に日が暮れてしまい、駐車場に駐めた車に戻ってくる頃には、近くに立つ街灯が煌々と辺りを照らし始めていた。  車に乗り込み、山を降り始めると、後部座席に座った和都は凛子に向かって口を開く。 「……あの、凛子さん」 「なぁに?」  助手席に座る凛子が、明るい顔を後ろに向けて返事をした。 「凛子さんは『鬼』を祓ったり、退治したりとかって、出来ないですか?」  先ほどの跡地で見た『本物』の仕事。あれだけの凄いことが出来るならもしかして、と和都はそう思っていたのだ。  しかし、凛子は困ったように眉を下げて笑う。 「……それは厳しいわね。正直なところ、安曇(うち)の傘下にいるチカラを持ってる人間を全員集めても、ようやく一体倒せるかどうか、じゃないかしら。昔はウチにも、かなりチカラの強い人たちがいたそうなんだけど、衰えるばかりだから……」  今の安曇家で『本物』として仕事ができるのは、凛子を含めて数名しかいない。だからこそ、強いチカラを維持するために、安曇家は必死なのだ。 「……『鬼』って、そんなに強かったんだな」 「そーよ! まったく『鬼二匹に狙われてる生徒がいるんだけど、なんとかなんない?』とか、あんな軽くメッセージしてこないでよっ」 「いやー、最初はちょっと強い悪霊くらいだと思ってたからさ」 「ヒロ兄は不勉強すぎなのよ」 「まぁ、家とか継ぐ気、なくなっちゃったからねぇ」  仁科は凛子に、すでに堂島と川野について話してあるらしい。そして凛子たちのような『本物』の仕事に関する知識を中途半端に知っているのは、どうやら家業を継ぐための勉強を途中放棄したせいのようだ。 「だからまー、実際にやるってなったら、『同業者』のチカラが強い人たちに集まってもらって、数人がかりでやらないと、鬼を二体もいっぺんに倒すなんて無理ね。でもこれも現実的じゃないわ。みんな忙しいし」  凛子が夜を迎えつつある窓の外に視線を向け、ため息をつくように言う。 「『同業者』? 同じような『本物』の仕事をする人が、他にもいるんですか?」 「ええ、もちろん。『本物』のチカラが必要な出来事は、全国で起きるから。それぞれ管理区域が決まってて、時々協力し合ったりもするわよ」  仁科が以前、視えることが当たり前のように言っていたのは、そういう人たちの中にいたからなのか、と和都は納得した。  視えることを呪いのように思っていた頃が、何だか遠くになっていくようだ。  ──世界って、本当に広いんだな。  まだこの国の中だけでも、自分の知らない世界がある。 「アタシたち人間じゃ、今のところ『鬼』はどうにもできないわね。だからその、和都くんの(つがい)だっていう神獣サマが食べてくれそうなら、それくらいしか今のところ方法はないかも」 「やっぱり、そうですよね」 「まだ、神獣サマを頼れるだけ、ラッキーだったかもしれないわ」  凛子に言われ、和都は確かにそうだな、と思った。ハクがいてくれるお陰で、鬼を何とかする最終手段は握っている。 「まーでも、神獣サマが『鬼』を食べられるようになるまでは、もう少し時間かかるのよね?」 「はい。安曇神社でだいぶ大きくなったんですけど、まだ完全じゃないらしくて……」 「一日で俺が分けられる霊力(チカラ)にも、限度あるみたいだからねぇ」  夏休み以降も、和都はなるべく仁科と一緒に過ごすようにしているが、やはり神社にいる時ほど霊力(チカラ)が一気に増えることはなく、ハクの成長はゆっくりになっている。 「じゃあ、和都くんと祐介くんには、これ、渡しておくわね」  そう言うと凛子は、大きなリュックのポケットから何かを二つ取り出し、後部座席へ回してきた。和都はそれを両手で受け取り、まじまじと見る。 「お守り?」 「そう。安曇神社(うち)特製の魔除けのお守りよ」  花の地紋が入った濃い紫色の生地で、表に『御守』、裏に『安曇神社』と金糸で刺繍された、シンプルなお守りだった。 「『鬼』は先生側に紛れてるんでしょ? 生徒として接することも多そうだし、持ってるといいわ。何かあったらそれ投げつけちゃって。倒せるほどじゃないけど、怯ませるくらいならできるだろうから」 「ありがとうございます」  和都は春日にもお守りを渡し、お礼を言う。学校内ではハクを呼ぶのを躊躇ってしまう時もあるので、そういうものを持っているだけでもなんだか心強かった。 ◇ ◇ 「相模先輩! 彼女いるって本当ですか?!」 「はぁ?!」  翌日、健康観察記録簿を届けにきた和都は、ちょうど鉢合わせた保健委員の一年生たちに、そう詰め寄られていた。 「ナニソレ……」 「なんか昨日の放課後、学校に相模先輩の彼女が来てたって!」 「昨日、部活動してた人たちが言ってたんです!」  和都は昨日のあれそれを思い出して、軽く眩暈を起こす。  ──凛子さんのことかぁ……!  確かに、部活動の生徒や帰宅する生徒たちが見ている正門付近で、年上の女性に抱きつかれ、そのまま腕を絡めた状態で(ほぼ引っ張られていたのだが)校舎に戻ったのは、事実だ。 「いや、あれはね。おれと仁科先生と共通の、親戚にあたる人でね……」 「え、親戚?」 「年上の彼女さんじゃなくて?」  和都が困ったように答えていると、その様子を見ていた仁科が呆れた顔で助け舟を出しに、その隣にやってくる。 「本当だよ。昨日来たのは俺の親戚で、相模(こいつ)の親戚でもあってね」  そう言いながら、仁科は和都の頭を撫でた。 「えっ、先生と相模先輩って、親戚だったんですか?」 「まぁねぇー。そいつは俺に用事があって来たんだけど、そこにたまたま相模がいたから、案内させたって感じだよ」 「本当、そんな感じだから、彼女とかじゃないからっ」 「そうだったんですねぇ」 「よかったぁ」  一年生たちは仁科の言葉に納得すると、観察簿を渡して嬉しそうに保健室を出ていく。 「……ねぇ、なんで『よかった』なんだろ」 「しらなーい」  仁科はケラケラと笑いながら、受け取った観察簿の確認を始めていた。  和都はげっそりして教室に戻ろうとしたのだが、今度は三年生の保健委員が保健室にやって来て。 「あ、相模! なんか昨日、お前の彼女が学校きたらしいじゃん?」 「……チガイマス」  大きく息をついて、和都は呆れつつも一年生に言ったことと同じような弁明をした。そしてこれを、あと二度ほど繰り返す羽目になる。  普段はもう少し遅く来るので、こんなに他の保健委員と顔を合わせることはないのだが、たまたま少し早めに来たばっかりにこんなことになろうとは。  休み時間も終わりに近づき、人の波が途絶えたタイミングで、ひたすら弁明する様子をそばで見守っていた仁科が、そういえば、と和都に尋ねた。 「……俺と凛子が『婚約者』だって話はしないんだ?」 「だって、余計ややこしくなるじゃん」  ウンザリした顔で仁科を見上げながら和都は言う。  確かに、凛子が自分の恋人ではない、と印象付けたいなら仁科の婚約者だと言ってしまったほうが早いは早い。けれど本人同士がその気がないということを知っているし、自分でそう言ってしまうのは、それはそれで少し、(はばか)られるところがあって。  ──よく分かんないけど、なんか、言いたくない。  上手く言語化できない感情が、頭の中で渦を巻いてしまう。  むむむ、と頬を膨らませていると、仁科の大きな手のひらが、ぽんと頭に乗せられた。 「……なに?」  ムッとした顔で睨むと、仁科はどこか楽しそうにしている。 「べつに?」  そう言って、仁科はふっと屈むように頭を下げてきた。そういえば今日の分はまだだった、と思ったのだが、仁科の唇が触れたのはいつもの額ではなく、唇のほう。  ゆっくり離れた顔は、心配しなくてもいいのに、と言わんばかりに楽しそうに笑っていた。  ──やっぱり、バレてる……!  どんなに取り繕っても、顔には出てしまうし、仁科に自分の考えていることは筒抜けらしい。自覚してしまったささやかな独占欲のような感情に、当分慣れそうにはないが、上手く付き合うしかないのだろう。 「……学校で、しない!」 「はいはい」  耳まで赤くした顔で和都が言うのを、仁科はただ笑って、頭を撫でるだけだった。

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