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第14話(閑話)

11話の翌日の話。 「王子、今日のお召し物は私がお手伝いしますわね」 「ぅわあっ!······びっくりした」 もそもそと寝間着を脱いでいると、メリアンヌが背後から顔を出した。 相変わらず気配も足音もない侍女に、アルフォルトの心臓が跳ねた。 「ごめんなさい、驚かせてしまったみたいね」 悪びれた様子もなく、クスクス笑いながら手伝ってくれるメリアンヌはおそらくわざとやっている。 「そういえばライノアは?」 朝起こしに来て以来、顔を見ていない。 キョロキョロと視線をさ迷わせると、メリアンヌが答えた。 「ライノアは宰相に呼ばれたみたいで苦虫を噛み潰したような顔で出ていきましたわ」 ただでさえ仏頂面なのに、とアルフォルトは苦笑いする。宰相に呼ばれる時は大体雑務を押し付けられるかお小言を言われるかなので(主にアルフォルトの件で)ライノアは心底嫌そうな顔だったそうだ。 「あとで慰めてあげよう」 「そうね、多分頭でも撫でてあげたら二、三日は寝ないで働きそうだわ」 「じゃあ二人で撫で回そうか!」 メリアンヌと顔を見合わせて笑い、アルフォルトがシャツに袖を通すと、襟を整えてくれるメリアンヌの手が一瞬止まった。それから、なんとも言えない顔をしてアルフォルトを見つめた。 「······襟を少し高くしてもいいかしら?」 「うん?別に構わないけど······昨日、ライノアも同じ事聞いたんだよね」 首に何かあったのかと姿見を見ようとしたがメリアンヌに阻まれて見えなかった。 「このシャツは首元の襟が高い方が大人っぽくて素敵ですよ」 ニッコリ微笑むメリアンヌの言葉に、アルフォルトは目を輝かせたが、咳払いをして誤魔化す。 「大人っぽいっていうか、僕はもう大人なんだけど」 未だに子供扱いされている気がする。口を尖らせると、メリアンヌに頬をつつかれた。 「私からしたら十七歳なんてまだまだ子供なのよ」 上着を着て髪を整えて貰っていると、仏頂面のライノアが戻って来た。仏頂面の大会があったらおそらく優勝して殿堂入り出来るくらい、The仏頂面だった。勿論そのような大会は無い。 「おかえりー」 アルフォルトが手を振ると、ライノアの仏頂面が微笑みに変わった。 「戻りました」 足早にアルフォルトの前に駆け寄ろうとしたライノアを、メリアンヌは仁王立ちで阻止する。不服そうに眉を潜めたライノアの耳を引っ張って、メリアンヌは隣の部屋へ連れて行く。 「王子、ちょっとお待ちを」 「?うん」 「······耳、ちぎれそうなんですけど」 「ちょっと!どういうつもり!?」 耳をさするライノアに、メリアンヌが怒鳴った。勿論アルフォルトに聞こえない小声で。 「何がですか?」 煩わしそうに視線を寄越すライノアに、メリアンヌは目くじらを立てた。 「首のキスマーク!なに考えてるの!?万が一見誰かに見られたらどうするのよ」 一昨日の媚薬の件で二人がをしていたのは勿論知っている。最後までしてはいないのも、隣室に控えていたので知っている。 精神的な負荷が大きかったのか、その時の記憶がアルフォルトには無いとわかり、何も無かった事にしようと昨日話したばかりだった。 それなのに。 「王子がうっかり鏡でもみたらどうするの」 睨むと、ライノアはバツが悪そうに視線をさ迷わせた。普段は淡々としている従者が年相応の若者に見える。 「······聞かれたら蚊に刺されたと伝えます」 「もはやテンプレすぎて笑うわ」 メリアンヌは呆れてため息を吐いた。冷静に考えれば、好きでたまらない相手のあられもない姿を前に、キスマーク程度で済んだ鋼の精神力を褒めるべきなのだけれど。 メリアンヌはライノアのおでこを軽く(はた)いた。 「見える位置に付けるなんて言語道断よ」 「······次は見えない位置に」 ボソッと呟いたライノアの頭を今度は強く叩いた。 叩かれた頭を擦りながら、ライノアはアルフォルトが待つ隣の部屋に足速に戻る。どれだけ王子の近くにいたいんだコイツ、と思うが、気持ちはわからないでもない。 従者の後ろ姿を見つめながら、メリアンヌは苦笑いした。 「本当は、この間の歯型の事も言おうかと思ったんだけど······」 あれはシャルワールが離宮を訪れた次の日だったか。アルフォルトの肩に歯形がついていたのを思い出す。 王子にそんな事をするのはライノアしかいない。ただ、王子が何も言わないので、メリアンヌも気づかないフリをしていた。 「兎や角言う程私は野暮じゃないのよ。······馬に蹴られたくないしね」 独り言ちて肩を竦めると、メリアンヌも仕事に戻った。 ♢♢♢ 午後のティータイムの準備を終えて、メリアンヌは執務室のドアをノックした。 「王子、お茶にしましょう」 ドアを開けるとアルフォルトはいつのものデスクではなく、ソファに座って人差し指を口に当てていた。 疑問に思い視線を下げると、アルフォルトの膝に頭を乗せて、ライノアが静かに寝息を立てていた。見かけないと思ったら、どうやら執務室にいたらしい。隙あらば王子の近くにいる従者にメリアンヌは肩を竦めた。 「相当疲れてるみたい。撫でてたら寝ちゃった」 クスクス笑い、アルフォルトは愛おしそうにライノアの頭を撫でる。 黒い髪が、白く細い指の間をすり抜けていく。眠っているからか、普段の冷たい雰囲気はなりを潜め、あどけない寝顔は年相応に見えた。逆に、普段はあどけない王子が大人びて見える。 王位継承権を放棄しても、アルフォルトの周りは敵ばかりで、ライノアは常に周囲に目を光らせている。気を張りすぎているのか、緊張の糸が切れるのか、こうして時々急に眠り出す。眠る時は必ずアルフォルトに密着しているのがなんともライノアらしい。依存しているのははたしてどちらの方なのかという疑問を、頭の隅へと追いやった。 窓から差し込む午後の陽射しに照らされて、まるで幻想の中を描いた絵画のようだ。 だからだろうか。二人を見ていると時々、消えてしまうのではないかと、不安になる。 「撫でてたら寝たって、犬か猫なのかしら」 「ライノアは犬っぽいよね。······なんか疲れてるみたいだからちょっとでも休んで貰おうと思って」 運び込んだワゴンから、メリアンヌは静かにティーセットをテーブルに並べる。 王子の膝枕で寝る従者なんて本来なら言語道断だが、メリアンヌは何も言わない。言うつもりも無い。 (これで恋仲じゃないのがある意味凄いわ) ティーカップに注ぐ紅茶の香りが、部屋に優しく広がる。 「もう少しだけ、寝かせてあげてもいいかな?」 頭を撫でる手を止めずに、アルフォルトが視線を寄越す。メリアンヌは懐中時計を取り出し、午後の予定を思い出した。 「三十分後に宰相がいらっしゃいますので、その前に叩き起してくださいまし」 このまま宰相が部屋に来て、膝枕される従者をみてどんな反応をするのかみたい気もするが、メリアンヌにだって人の心はある。 「ありがとう、メリアンヌ」 アルフォルトが嬉しそうに微笑む。仮面越しでもわかる愛らしさに、メリアンヌは優雅にお辞儀した。

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