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第34話

それは急遽起こった。 「いいですか、アナタは今日一日ここから出てはいけません」 エルトンの屋敷に来て三日目。朝一の業務に取り掛かろうとアルフォルトが掃除道具を準備していた所、メイド長に「来なさい」と腕を引かれ半ば強引に連れて来られたのは、小さな窓がある物置だった。 「決して物音を立てないように」 理由も目的も告げないまま、メイド長はアルフォルトに一瞥をくれると、部屋に鍵を掛けた。 (とうとう、閉じ込められちゃった) 昨日、メリアンヌと手分けして屋敷内をそれとなく探ったが、肝心の捜し物は見つからなかった。あと探していない部屋は、エルトンの自室と地下室だけだが、その二箇所は常に見張りがいて近付く事が出来ずにいた。いかにも何かありますと言っているようなものだ。 (だから今日はを起こして見張りの注意を逸らし、その隙に······って作戦だったんだけど) 肝心の陽動作戦を実行するアルフォルトが閉じ込められては、話にならない。 おそらく、アルフォルトの姿が見えなくなった事にメリアンヌは気づくだろうから、特に焦りはない。しかし、予定が大幅に狂った。 アルフォルトはため息を吐くと、古びた椅子に座った。 窓からは朝日が差し込み、少し眩しくて目を細める。窓際のテーブルの上にはパンとミルクが用意されていた。 (メイド長の真意がわからない) 入口のドアに鍵は掛けたが、窓に鍵は掛かっておらず、いつでも外へ出られる。 嫌がらせで閉じ込めたにしては、簡素ではあるが食事まで用意していて、配慮が伺える。 (屋敷から出て行って欲しいって事だけはわかるけどね) とりあえずパンをちぎって咀嚼していると、なにやら廊下の外が騒がしい。 そっと聞き耳を立てると、エルトンとメイド長の声がした。 「アリアは何処にいった!?今日から私付きのメイドにする話だっただろう!!」 エルトンの怒号に、アルフォルトは目を点にした。 そんな話、全く聞いていない。 エルトン付きのメイドになるなら、エルトンの部屋の捜索もしやすくなるのではないだろうか。 「残念ながら旦那様、あの子はあろう事か旦那様の部屋から貴重品を盗んで屋敷から逃げたみたいです。今朝から姿を見ていません」 (えええ?僕、やる前から泥棒になってる) 確かに今日エルトンの部屋に忍び込む予定ではあったが、いつの間にか既成事実が出来上がっている。 ドアを激しくノックしてここにいる、とアピールしようかと思ったが、不穏な空気に思いとどまった。 「それは誰の情報だ?······お前、また逃がしたんじゃないだろうな」 (逃がした?逃げた、じゃなくて?) エルトンの言い回しが引っかかり、ちゃんと聞こえるようにと、アルフォルトはドアに耳を付けた。 「なんの事だか」 メイド長の硬い声の後、エルトンの舌打ちが聞こえた。 「逃げたにしろ、屋敷の中に隠れてるしろ、まだそう遠くへはいってないはずだ。くまなく探せ」 「一介のメイドにそこまでなさらなくても」 「口答えするな!!」 エルトンの怒号の後、短い悲鳴と鈍い音、何かが倒れる音が聞こえた。 思わず部屋の外へ出ようとしたが、どうにか思いとどまる。そもそもドアには鍵が掛かっている。窓から出る事も考えたが、今出てはアリアを探す屋敷の人間に見つかるリスクの方が高い。 足音が遠ざかり、静寂が戻る。 ドアの向こうで身じろぐ気配がし、アルフォルトがドアから離れると、部屋の鍵が開く音と共にメイド長が部屋へ入って来た。 アルフォルトの姿を見つけると、メイド長は深いため息を吐いた。 「······窓から逃げなかったのですか」 やはり、最初からアルフォルトを閉じ込めるつもりは無かったようだ。 よく見れば、メイド長の右頬が腫れていて、口の端に血が滲んでいた。先程の物音はやはり、エルトンがメイド長を殴った音だったようだ。 アルフォルトはハンカチを取り出すと、そっとメイド長の口の端へあてる。 「汚れてしまいます」 「······構いません。他に痛む所はありますか?」 アルフォルトの声に、メイド長はハッとし──それから納得したように目を閉じた。 「大丈夫です。······話せないと言うのは嘘で、やはり男の子でしたか」 バレていないと思っていただけに、アルフォルトはドキリとした。 今までの棘がある雰囲気はなりを潜めて、メイド長は微かに笑った。 「安心しなさい、見た目では誰も気づいてないと思いますよ。手首を掴んだ時に、女性のそれとは違ったのでもしや、と思っただけです」 「──今まで、何度も僕を追い出そうとしたのはわざとですよね?」 アルフォルトは確信を持ってメイド長に問う。あえて冷たい態度なのも、嫌がらせも、屋敷から逃げ出して欲しいからなのだと思ったからだ。 「ええ。アナタのような子は、遅かれ早かれ旦那様にしまいますので。どうにか見つからないうちに屋敷から追い出そうとしたのに·····」 アルフォルトがしぶとくて、おそらく困憊していたであろう事が伺える。少し申し訳ないと思ったが、こちらも目的の為だ。 「今までも、そうやって子供達を逃がしていたのですか?」 軽傷とはいえ、殴られたメイド長を立たせておくのは気が引けて、アルフォルトはメイド長を古びた椅子へと座らせる。 「私の手の届く範囲で、上手く逃げ出した子なんてほんの数人です。殆どは──助けられなかった」 震える声を吐き出すように、メイド長は手のひらを強く握りしめた。 「周りは私のせいで逃げ出した、と思ってます。他のメイドが旦那様へ苦言を呈した話も聞きましたが、旦那様が何も仰らなかったのはその方が都合がいいからですよ」 新しく入った使用人が次々消えても、またメイド長が嫌がらせをしたから、と思わせておけばいい。その内、何人かは本当に逃げ出したのだろうが、メイド長は隠れ蓑に最適だった。 「メイド長、僕は旦那様──エルトンが人身売買に関わっている証拠を探しにここへ来ました。貴女は何か知っているのですね?」 本来の目的は人身売買の証拠を探す事だった。 しかし、いざ屋敷に来てみれば、今までエルトンが買った子供の数に比べて、屋敷の使用人は圧倒的に少ない。 ここ二日でわかったのは、使用人として迎え入れた子供は、ほぼ全て消えている。 売り捌いたとしても、数が合わないし、そもそも一度屋敷に迎え入れる理由がわからない。 アルフォルトが問い詰めると、懺悔でもするかのように両手を握りしめて天井を見つめた。 「旦那様はを屋敷には連れて来ません。そんな事をしたらリスクが高い、と商談相手と話しているのを聞きました。──ええ、メイドを長い事続けるという事は口が固くなければ務まりません。旦那様が使用人として屋敷に連れて来るのは決まって金髪か、アナタのように紫の目の子供です」 本当は成人してるので子供ではない、とアルフォルトは言いたいが、女装も相まって幼く見えるので我慢した。今はそんな事を気にしている場合ではないからだ。 「人身売買の証拠となる売られた子供達のリストや小切手は旦那様の自室、鍵の付いた引き出しにまとめてあるはずです。部屋の掃除をするふりをして持ってくるから、アナタはここに隠れてなさい」 決意を固めたメイド長の腕を、アルフォルトは掴んだ。 「危険です。場所がわかれば僕と僕の仲間で探します」 屋敷を熟知しているとはいえ、メイド長を危険な目に合わせるのは気が引けた。慣れた様子から、殴られたのも一度や二度では無いのだろう。 「鍵の場所がわからないでしょう?それに、屋敷中で今、アナタを探しているのですよ?一歩でも外に出たらすぐ見つかってしまいます」 メイド長は困ったように微笑んだ。おそらく、本来は優しい人なのだろう。無理に冷たく振舞っていた事が伺えて、ずっと一人で耐えていたのかと思うと、アルフォルトは胸が締め付けられた。 「どうして、ここまでしてくれるのですか?」 悪事を働いているとはいえ、主人を裏切る事になる。長年仕えてきた彼女の心情を考えると、複雑だろう。 「私は元々、旦那様の乳母をしておりました。先代が亡くなった時、私は既にお暇を頂いていたのですが、心配になり伯爵家に戻ってみたら······」 メイド長はそのまま言葉を噤んだが、何を言おうとしたのかアルフォルトにはわかった。 「私には旦那様をお止めする事は出来なかった。それなら、せめて少しでも犠牲になる子を減らそうと考えました。しかし、私に出来る事などたかが知れてる」 苦い顔で俯いたメイド長の手に、アルフォルトはそっと触れた。年齢を重ねた手は、日々の仕事で荒れているが、見苦しくないようにケアしているのがわかる。アルフォルトは首を振ると、メイド長に微笑んだ。 「一人でやれる事は限界があります。貴女がしてきた事は決して無駄ではありません」 アルフォルトの言葉に、メイド長は俯いていた顔をあげた。 目には涙の膜が張っていて、瞬きをしたら零れそうだった。 「······気になったのですが、先程から犠牲、と言う言葉を何度か仰ってましたよね?······連れてこられた子供達は、どうなったのですか?」 壊される、とも言っていた。不穏な言葉にアルフォルトが訪ねると──メイド長の目が見開き、アルフォルトの背後で嘲笑う声がした。 「何、心配しなくても今からわかる」 ハッとして振り返ろうとしたアルフォルトの後頭部に衝撃が走る。 床に倒れる直前、笑うエルトンの顔が視界に映り──アルフォルトの意識はそこで途絶えた。

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