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第40話

マルドゥーク家は、病院の他にも幾つかの事業を経営している。 その内の一つ、慈善事業として孤児院の運営がある。 慈善事業という言葉に偽りはないが、百パーセントの善意、という訳では無い。 孤児院に引き取られた子供達に読み書きを教え、将来的に自立出来る環境を整える。 更にその中から勤勉な子供に高等な教育を受けさせて、優秀な人材を育成する。勿論無理強いはせず、あくまで本人の意思に委ねるが、殆どの子供は教育を希望する。自分の価値を高める事がいかに大切か、孤児はよく理解しているからだ。 マルドゥーク家の孤児院は言わば人材確保の機関、としての意味合いが強い。孤児は衣食住が保証されるし、マルドゥーク家も常に人材に困らない。人身売買などという非人道的な手段より遥かに合理的だ。 因みに、アルフォルトが仮の身分で経営している、化粧品事業の従業員に読み書きを覚えさせるのは、マルドゥーク家の孤児院の方法を参考にしている。 教育が終われば独立する者もいるが、大抵はマルドゥーク家が関わる事業に就く。独立した者もマルドゥーク家に恩義を感じ、有事の際は力を貸してくれる者が多い。 アルフォルトをいつも診ている医者も、孤児院の出身だ。 優秀な人材に事欠かないというのは、貴族として実に有益だ。 昔からマルドゥーク家は毒や薬を専門としていて裕福ではあったが、アランの手腕でここまで大きくなったと言っても過言ではない。今は隠居したアランの代わりにアリアの兄──アルフォルトの伯父がマルドゥーク家を引き継いでいる。因みに、伯父のアレクも例に漏れず、尊敬に値するが変人だと各方面で噂されている。 男爵、という下位の身分でありながら国の中核を担うマルドゥーク家を煙たがる貴族は多いが、その分支持する貴族や国民も多く、敵に回すべからず、というのが社交界での暗黙の了解となっていた。 アルフォルトとライノアは、久しぶりに訪れた孤児院で別行動を取っていた。 アルフォルトは持ち前の雰囲気なのか、子供達に好かれやすく、訪れると必ず子供達に囲まれる。仮面を着けていても警戒される事は無く、子供の輪の中に自然と溶け込める。 一方のライノアは持ち前の無愛想が発揮され、まず子供に好かれない。怖々と遠巻きにされるならまだ良いが、最悪泣かれる。 ライノアとしては、アルフォルト以外割とどうでも良いので全く気にしていない。 しかし、アルフォルトはそんなライノアを見る度に「ちょっとは歩み寄ろうよ」と苦笑いする。 (子供は、苦手だ) 勿論ライノアにも子供だった時代はあるが、昔から感情を表に出すのが下手だった為、孤児院の子供達のような無邪気さは持ち合わせていなかった。 ライノアが怒ったり笑えるようになったのは、アルフォルトのお陰だ。 「──ではライノア様、こちらをよろしくお願いいたします」 「承知しました」 孤児院の院長からアラン宛の書類を預かり、ライノアは院長室を後にする。 後はアルフォルトを迎えに行って帰るだけだ。 アルフォルトの事だ。おそらく今頃は子供達にせがまれて絵本の読み聞かせでもしているのだろう。 施設の担当者にアルフォルトの場所を聞くと、今は中庭に居るというので足早に向かうと──子供達から少し離れた場所、木陰になっているベンチにアルフォルトの後ろ姿を見つけた。 声をかけようとし、隣に見慣れない赤い髪の少女が居ることに気づいた。 アルフォルトと同じ位の年齢だろうか。警戒心が無いアルフォルトと少女は何やら親しげに話している。距離の近さにライノアは胸の奥が焼け付いたように、呼吸が苦しくなった。 少女の手がアルフォルトの頬へ伸びたのが見え、気付いたらライノアは──アルフォルトを背後から抱え込んでいた。 「ぅわっ!?······え、ライノア?」 少女から遠ざけるように腕の中に囲いこんだアルフォルトは、素っ頓狂な声を上げて背後を振り返り、目を見開いた。 「無闇に、王子に触れないで頂きたい」 ギロリ、と少女を睨み付けると、少女は目をパチクリとさせた。 それから慌てた様に、アルフォルトに伸ばした手を上げて見せた。 「す、すみません。王子の髪に葉っぱが付いていたので······」 伸ばした指先に挟まれた木の葉を、少女は気まずそうに握りこんだ。 「コラ、すぐ威嚇しない!!」 「(いた)······」 アルフォルトにおでこを軽く(はた)かれ、ライノアは額を抑えると少女に頭を下げた。 「失礼致しました」 生憎、愛想は持ち合わせていない。無表情で頭を下げると、戸惑いを隠せないながらも少女は「こちらこそすみません」とペコリと頭を下げた。そのままベンチから立ち上がる。 「私、そろそろ行きますね。お話できて楽しかったです」 赤毛の少女はお辞儀をすると、じっとライノアを見つめた。それからおもむろにライノアの耳に唇を寄せて──。 「貴方の秘密は、諸刃の剣よ」 先程とはまったく別人のような声が、ライノアの耳元で囁いた。 ドキリ、とした。 本能が警鐘を鳴らす。 (なんだ、この女は) 隙のない猛禽類を思わせる眼差し。得体の知れない雰囲気が、敵か味方か咄嗟に判断できない。 アルフォルトを庇うように再び腕の中に囲った。 距離を取らなければ。 ライノアの心臓が早鐘を打つ。 指先が冷えて上手く動けない。 呼吸が浅くなったライノアが息を吐き出すと、いつの間にか少女は元通りになり、声をかける間もないまま施設の中へと消えて行った。 (何を、知っている?······それより、今のはアルフォルトに聞こえただろうか) 焦る気持ちとは裏腹に、怖くてアルフォルトの顔が見れない。 煩い程早い心拍数で動揺を悟られないように。離れなければいけないのに、アルフォルトを囲んだ腕を解けないでいた。 「······──ノア、ライノア!!」 腕の中からアルフォルトが声を上げる。 「腕、苦しいよ」 思いのほか強い力で囲いこんでいたらしい。 ハッとし、ライノアは腕の力を緩めた。 「すみません。──それより、何もされてないですか?というか、彼女は何者ですか?」 肩を掴み矢継ぎ早に尋ねれば、アルフォルトは苦笑いしてライノアの手を引いた。 「ちょっと落ち着いて、子供達がびっくりするから」 施設の子供達が、何事かと窺うようにこちらを見ている。 アルフォルトは「なんでもないよー」と声を張り、手をヒラヒラさせた。子供達はすぐ興味を失ってまた遊びに戻る。ライノアは小さく詫びると、アルフォルトの隣に腰掛けた。 一際強い風が、イタズラに頬を撫でる。 風に舞った髪に隠されてその表情は見えなかった。 それでもアルフォルトは手を離さずに、そのままライノアの指に自分の指を絡めた。 くすり、と笑う気配がする。 「大丈夫。彼女には何もされてないし、普通に世間話してただけだよ?彼女が何者なのか──そんなの、僕も知らない」 ちょっと拗ねたように、アルフォルトは頬を膨らませた。 「その割にはだいぶ仲良く話し込んでましたよね?」 ライノアはつい棘がある物言いになってしまうが、止められなかった。 「見てたの?」 「見られたらまずい事してたんですか?」 つっけんどんな物言いに、アルフォルトは眉を顰め、何かに気づいたのか目を見開いた。 それから、勝ち誇ったようにライノアの眉間をつついてきた。 「ははーん?さては僕が女の子とお話してたから、嫉妬したんだな?ん?」 ニヤニヤと口元を抑えたアルフォルトは完全にからかいモードだ。それなら、アルフォルトに便乗しようとライノアは思う。 「そうですよ。好きな人が私以外と楽しそうにしてるだけで──嫉妬で狂いそうになる」 耳元で囁くように呟けば、アルフォルトは耳を抑えてライノアから離れる。 その顔は仮面越しでもわかる程真っ赤で、口をパクパクとさせてはいるが、言葉にならないうめき声しか聞こえなかった。 ──ああ、良かった。 いつも通りのアルフォルトだ。 アルフォルトの様子から、彼女の声は聞こえていなかったようで、思わず胸を撫で下ろす。 (諸刃の剣、ね) ライノアはベンチから立ち上がると、遠く──故郷がある方角を見つめる。 (いつかは、話さないといけない) でも、今はまだ話せない。 ライノアが秘密にしているのは、アルフォルトを守る為でもある。 話したらきっと、今までのようにはいられないだろう。 「どうしたの、ライノア?」 「いえ、なんでもありません」 ぼんやりとしていたライノアの手を引き、アルフォルトは微笑んだ。 「帰ろう」 ライノアは、アルフォルトの手を握り、少しだけ笑った。 (今はまだ、このまま──)

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