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第74話
ローザンヌの部屋を出ると、既に夕方だった。
「メアリーはこれからどうするの?」
部屋の外へと見送りに来たメアリーへ、アルフォルトは問いかけた。
「アリア様からの頼みでもあるので、ローザンヌ王妃が落ち着くまでは臨時の侍女としてこちらにいる予定です。その後はまた、ギルドへ戻ろうかと」
「そっか、じゃあもし時間があればいつでも離宮に来て。美味しい紅茶でもてなすから」
ソバカス顔の侍女はアルフォルトの提案に微笑むと、頷いた。
「まさかローザンヌ王妃が母様と友達だったとはね」
廊下を歩きながら、アルフォルトは苦笑いした。アリアが存命の頃から既に対立していたと思っていたが、そもそも敵対していたのなら、幼いシャルワールがマルドゥーク家に遊びに来る事はなかっただろう。あれはローザンヌがお忍びでアリアに会いに来ていたからなのだと言われて、納得した。
現に、アルフォルトは一度もエイレーン公爵家に行ったことはないのだ。
「嫌がらせたと思ってた行為が善意だったのは······ちょっと、申し訳ない気も、する」
「何事も裏目に出る人っていますからね」
ライノアも苦笑いして同意する。
今まで数々の嫌がらせを受けてきたが、ローザンヌなりの気遣いだったと言われて、アルフォルトは目が点になった。
記憶に新しい嫌がらせは例の媚薬入り香水の一件だが、あれもローザンヌなりにアルフォルトが不能だったのをどうにかして上げたい一心で行動を起こした、らしい。
立場上素直に心配出来ないので、嫌がらせのように振舞っていたようだ。正直場所と時間は考えて欲しかったし、何よりあの後大変だったのだ。
(······思い出すだけで、恥ずかしい)
思わず頬が熱くなり俯くと、ライノアが異変に気づいて心配そうにアルフォルトの顔を覗き込んだ。
「ルト?大丈夫ですか?」
「あ、うん大丈夫なんでもない」
蒼い瞳に見つめられ、アルフォルトの心臓が跳ねる。
(今はもう、怖くない──ライノアが相手なら)
まだ最後まではしていないが、触れる指の感触も唇の柔らかさも、知ってしまった。
吐息の熱さをうっかり思い出して再び赤面したアルフォルトは、誤魔化すように早歩きになる。
一人で百面相する主人を訝しがるライノアに気づかないふりをして、目的の部屋の前まで来た。
今日はもう一つ、やる事がある。
ライノアと顔を見合わせ、アルフォルトはドアをノックした。
すぐにドアが開き、アトレイが顔を出した。
「アルフォルト様にライノア様、ごきげんよう」
丁寧にお辞儀したアトレイは、しかし顔には疲労が見える。
「シャルワールの調子はどう?」
アルフォルトの問に、アトレイは表情が陰った。その様子から察するに、良い方向には向かっていないようだ。
「変わらず、部屋に引きこもっておいでです。お食事もあまり喉を通らないそうで」
「そう」
項垂れたアトレイも、数日前より少し窶れていて、このままでは倒れるのも時間の問題に思える。
それならもう、ここは強硬手段に出るしかない。
アルフォルトは「お邪魔します」と断りを入れ、部屋の中へと足を踏み入れた。
シャルワールの自室は先日オズワルドが爆発させたせいで現在修復中で、部屋が直るまでの間は使用されていない客間を使っている。
応接室の奥にある部屋が寝室になっていて、シャルワールは数日前からそこに引きこもっていた。
ドアをノックしてアルフォルトは声をかけた。
「シャルワール、いつまでそこにいるの?ご飯もろくに食べてないって聞いたよ。ちゃんと食べないと·····中に入ってもいい?」
アルフォルトの声に数秒遅れて、部屋の中からシャルワールの声が返ってきた。
「······食欲がないんだ。それに合わせる顔がない」
覇気のない声。この返しも、何度目だろうか。
シャルワールの気持ちもわかる。わかるが、このままでは埒が明かないので、アルフォルトは今日、強硬手段に出る事にしていた。
「シャルワールが入れてくれないなら、自分から行く」
アルフォルトはそう呟くと、ドアノブに手をかけた。
案の定鍵をかけているようで、ガチャガチャと音を響かせるだけでドアは開かない。
ドアノブから手を離すと、アルフォルトはドアから数歩下がった。
それから──。
「アルフォルト様!?何を·····」
激しい音を立ててドアを蹴り始めたアルフォルトに、アトレイが駆け寄ろうとし、ライノアに阻まれる。ドアを蹴り破るのには少々コツがいるが、以前にも何度か蹴破った事があるので問題ない。
それに、このドアは重い金属製でもない。
騒音に近くの衛兵が駆つけて来たが、ライノアに「問題ありません」と言われ帰される。
何度か蹴っていると、一際大きい音を立てて、施錠されていたドアが倒れた。
部屋の中、ベッドの上で寝間着のまま膝を抱えたシャルワールが、驚愕の表情で固まっている。
「入れてくれないなら、勝手に入る」
文字通りドアを蹴破ったアルフォルトは、そのままシャルワールに近づくと、胸ぐらを掴んだ。
「合わせる顔がないって何!?シャルワールは何か悪い事したの!?」
目を釣りあげたアルフォルトに、シャルワールはたじろいだ。
それくらい、アルフォルトは怒っていた。
「······して、ない」
絞り出した声で、シャルワールは答える。緑の瞳はゆらゆら揺れて、アルフォルトから逸らされた。
「でも、俺は······血が繋がってないから、兄う······アルフォルトの弟じゃ······」
兄上、と言いかけてやめたシャルワールの態度に、アルフォルトの胸が締め付けられた。
「血の繋がりが何!?そんなに大事!?」
捲し立てるアルフォルトに、シャルワールがキッと目を細めた。
「大事だろ!!俺は罪人の子で!!ずっと皆を騙して······そうだ、俺には······王になる資格なんて無い······」
再び項垂れたシャルワールに、アルフォルトは──。
振り上げた手が、シャルワールの頬を叩いた。パアン、と乾いた音が響く。
「っ······」
叩かれた頬を抑えて、シャルワールが目を見開いた。
「アルフォルト様!?何を!!」
アトレイが慌て駆け寄るが、アルフォルトに睨まれて立ち止まった。
「いい加減にしろ!!シャルワールは何も悪くないし、オズワルドを罪人だなんて言うな!!あんなに──」
毎日、睡眠時間が足りないとボヤいていた。食事も儘ならない日があって、軽食を渡したら嬉しそうにしていた。方法はどうであれ、いつも国の事を考えて、その身を削っていたのは紛れもないオズワルドだ。
「あんなに、国の事を考えていた彼を悪く言うな。それに······血が繋がってなかったら、僕の事を兄だとは、思えないの?」
先程までの勢いは無く、アルフォルトは俯いた。
「もう、兄上って呼んでくれないの······?」
そっとシャルワールに手を伸ばすと──シャルワールは首を振り、緑の瞳から大粒の涙を零してアルフォルトの手を握った。
「兄上って呼んでも、いいの?俺の事をまだ弟だと思ってくれるのか······?」
震える声が、恐る恐る問いかける。アルフォルトは、シャルワールの少し痩せた身体を抱き寄せた。
「当たり前だろ······血の繋がりが何?繋がってなくても、いままで僕らが過ごしてきた時間は変わらない」
背中をそっと撫でる。震える身体は、自分よりも大きいのに、今は小さな子供のように頼りない。
腕の中で泣きじゃくる弟は、必死にアルフォルトにしがみついた。
「僕は、シャルワールが大好きだ。それは、そもそも血の繋がりとか関係なく、シャルワールだから好きで、だから僕は君を守ってきた──それこそ、命懸けで」
ふわふわで柔らかい泣き虫だった小さな弟は、いつしか逞しく、勤勉で努力家で、聡明な弟として立派に成長した。
逃げてばかりの、弱い自分とは違う。
「僕は、いつか君が王様になって、この国を治める日を楽しみにしているんだ」
まだまだ先の話になるだろう。それでも、ベラディオやオズワルドが守って来たこの国を、シャルワールが更に良くしてくれる、とアルフォルトは信じている。
それから──先程の行為を思い出しアルフォルトは気まずげに呟いた。
「······その、未来の王を殴ってごめん」
感情にまかせて頬を平手打ちしてしまったのだ。怒っていたとはいえ、弟を叩くなんて、と今更ながら後悔した。
腕の中で身じろぐ気配がし、そっと腕をゆるめると、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったシャルワールが、ようやく微笑んだ。
「結構、痛かったし今も痛い」
少し紅くなった頬を見て、アルフォルトは狼狽えた。
「ああっごめんっ赤くなってる!アトレイ、君のご主人様殴ってごめん!!何か冷やす物持ってきて」
慌てるアルフォルトに、二人のやり取りを見て真っ赤になった目を擦りながら、アトレイは冷やしたタオルを持ってきてくれる。正直君も目を冷やした方が、と言おうとしたら、すかさずライノアが、濡らしたタオルを手渡していた。
──相変わらずそつが無い。
シャルワールの顔を拭き、目にタオルを当ててあげると、弟は急に肩を震わせた。
「ど、どうしたの」
不安になり尋ねると、シャルワールは笑い声を上げた。
「兄上は見た目からは想像出来ないほど豪胆だなって。普通ドア蹴破るか?」
「だって開けてくれないならそうするしか······シャルワールの部屋だって壊れてるし、今更ドアの一枚や二枚壊れても別にいいかなって」
「いや、良くないだろ」
すかさず突っ込んでくるシャルワールに、もう先程までの沈鬱さはない。
アルフォルトは安堵して、笑った。
「可憐で繊細な見た目なのに、平手打ちまでするし。俺はまだまだ、兄上の事何にも知らないんだな」
「これからもっとお互いを知っていこうよ。夫婦だって最初は他人なんだし、血は繋がってなくても──家族に変わりは無い、そうですよね、父上?」
アルフォルトの問に、いつの間にか部屋の入口で事の成り行きを見守っていたベラディオが頷いた。
「ああ。立場や家に縛られず、私達はもっと話をするべきだった。これからでも遅くはない。もっと話し合おうじゃないか──家族として」
ベッドの上で泣き笑いながら身を寄せ合う息子二人を抱きしめ、ベラディオは微笑んだ。
きっとこれから、自分達はいい方向へと向かって行ける。
そう、アルフォルトは確信し、二人を見つめた。
「──しかし、これはどういう状況だ?」
騒ぎに駆けつけたらしいベラディオは、倒れたドアを指差した。アルフォルトはすかさず視線を逸らす。
「······あー、シャルワールの部屋も大破してますし、今更ドアの一枚や二枚、追加で壊れても変わらないかなと······」
もごもごと言い訳するアルフォルトに微笑み、ベラディオはその頭に拳骨を落とした。
「痛っ!!」
「馬鹿者、修理する物を増やしおって!!それからシャルワール!!」
「はいっ······いっ······!!」
返事をしたシャルワールの頭にも拳骨が落とされた。
「お前が部屋から出ないから、アルフォルトがドアを壊す羽目になったのだぞ。全く······」
頭を抑える息子達に、ベラディオはお説教モードだった。
「いいか、アルフォルトは見た目の繊細さを裏切る、言わば天使の皮を被ったゴリラなんだ」
「······ふふっゴリラ······っ!!し、失礼しました!!」
思わず吹き出したアトレイに続き、ライノアも俯いて肩を震わせている。
「えっちょっと!!笑うって事は皆少なからず僕をゴリラだって思ってるって事?」
目を剥いて怒ったアルフォルトだが、シャルワールまで笑い転げる始末で、アルフォルトはその後暫くむくれていた。
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