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甘美な一滴

 ――ずっと一緒に居なきゃ嫌だ、君もそう思うだろ?  琥珀色に輝くグラスをゆっくり傾けた。夕日に照らされて水でさえもきれいに映る。こんな瞬間にさえ感動できるのだから来てよかった。爽やかなレモンが香る少し甘い水。対して特別なものではないけれどそれでも今はきれいに見える。水の反射が宝石のようで美しい。   「はぁ~いいなぁ」  思わず言葉が溢れた。高級レストランなんて初めてだからこんな風に思うのか。いや違うな。彼と来たからそう思うのだ。 「ご主人、先ほどからずっとうっとりされていますね」  桃色の美しい髪の毛とチャームポイントの大きな耳、馬のようにさらさらとした尻尾を持った彼は聖獣のアドリアーノだ。聖獣とは本来は人の形をしていないのだが彼は好き好んでその形をとっている。獣の耳が生えた人間のように見えるからかなり目立つし、奇異の目で見られる。そうでなくても身長が高く目立つのだが。アドリアーノは僕と契約しているから僕のことをご主人と呼ぶ。 「だってこんなに綺麗なところ初めてじゃないか」  そうだろう?と問いかける。確かにそうですねとアドリアーノは言った。アドリアーノの返答ににっこり笑って答える僕はクラウディオ。クラウディオ・オルランド。オルランド家の跡継ぎで現在唯一の生存者だ。二年前の厄災で両親は行方不明、死亡と推定されている。アドリアーノに守られて生き残った僕は彼と契約し、家業である一人前の「聖獣使い」になるため自分探しの旅をしている。  そんな旅の途中で立ち寄ったのがブロメリアという国で一番有名なレストラン。高級なレストランには初めて来た。ちょっとお金のことは心配だけど、存分に楽しむつもりだ。 「貴方のお父様とは来たことがありますよ」 「うわ、自慢だ」  父の話題を出されて機嫌が一気に悪くなる。父とはあまり一緒に居なかった。というのも彼も旅をしていたからだ。一人前の聖獣使いになるには自分の人生の意味を見つけないといけないらしい。だから僕も旅に出て自分探しをしている。父と来たことがあるという言葉に少し嫉妬して、不貞腐れながら水を飲みほした。 「ご主人……そんな顔しないで」 「だって!羨ましいんだもん」  というのもアドリアーノとの生活はまだ二年しか経っていない。父は生まれた時からアドリアーノと居たそうなのでその時間がうらやましいのだ。この二年でアドリアーノのことを好きになった。周りから言われるほど溺愛している。そんな彼が、肉親だとしてもほかの人の話をする時間が嫌いだ。父の前だってほかの人と契約していたはず。そんな話をされたら気がくるってしまうかもしれない。僕だってアドリアーノを独占したいと思っている。父と契約しているのがこんなに魅力的な聖獣だと知っていたらそれこそおかしくなっていたかもしれないので結果オーライとも言えるのだが。 「ご主人とはこれからですから、ね?」  顔に出ているらしくアドリアーノは困った顔をしている。おどおどとした顔もすこし垂れた耳も愛おしいが折角いいレストランにいるのだから楽しまないと損だし、今回は水に流すことにした。 「まぁいいよ、しょうがないことだし。それより今は美味しい料理だよ」 「そうですね」  とは言ってもまだ料理は届いていない。混雑時に入ってしまったものだから時間がかかっているのだろう。頼んだ料理も時間がかかりそうなものだった。 「もうおなかペコペコだよ。まだかなぁ」  水はもう飲みきってしまったし、手持ち無沙汰で足をぶらぶらさせる。待ち時間と言うのはあまり好きではない。アドリアーノと一緒だから待てるけれど1人だったら飽きているだろうな。 「きっともう少しですよ。待ち時間は私と話していましょう。そうすれば気も紛れるでしょう?」 「そうだね、アドリアーノの話は好きだよ。面白いことが多いし」  アドリアーノの誘いに乗って雑談を始める。アドリアーノは経験豊富なので話が尽きない。そりゃ300年以上過ごしているのだから経験が豊富でもおかしくはないのだが、人並み以上には経験があるように思う。昔から旅をしているから知らない土地はないみたいだし。 「いつの話をしましょう。まだあなたの父上と出会っていない頃の話の方が面白いでしょうか?」  アドリアーノは父の前の主人ころの話をし始めた。そのころはまだブロメリアが発展途上だったころのようで、いまとは似ても似つかなかったそうだ。こんな高級レストランはなかったしスラム街もあったそう。そんなブロメリアは想像がつかないが、そういうものなのだろう。ここ数十年で急激に発展しているらしく、来るたびに新しいものを見たと話してくれた。高級レストランができたころに父と来たそうで、そのころから変わらないという話も。故郷からブロメリアまではあまり離れていないので何度か来たことがあるが発展した後だったんだなぁと思った。 「そうそう、まだブロメリアが発展途上だったころはデホカ共和国が栄えていたんですよ」  そうなんだ、と驚いた。デホカ共和国はあまり栄えてるイメージがなかった。発展途上の国というイメージがあったが昔はそうだったんだ。そのころを一目見てみたかったなと思うが僕はまだ20そこらだ。ブロメリアが発展する前となると50年は前のことだからどうあがいても見られていなかった。こういう時に若いっていやだと思う。若くないとできないこともあるが、長年知識を積み上げてきたアドリアーノを見ると羨ましく思うのだ。僕だって何百年も生きて世界を見てみたい。人間だからそれは無理なのだけれど。 「いいなぁ、僕も長生きできたらなぁ」 「長生きがいいものとは限りませんよ?私は短命の方が命を全うできて素晴らしいとも思います」 「でも早く死んだらアドリアーノと一緒に居られないからやだ。長生きさせてよ」  わがままを言うとアドリアーノは苦笑いする。アドリアーノは聖獣だが魔法使いではない。勝手に寿命を変えたりできるわけではないとわかっているのにアドリアーノならできる気がしてついついわがままを言ってしまう。でも長生きしたいのは本当だ。僕は恋愛的な意味でも彼のことが好きだから余計そう思うのかもしれない。彼とできるだけ長く一緒に居たい。 「今を大事にしましょう、ね?」 「…、そうする」  少し拗ねて唇を尖らせた。700年は生きると言われている聖獣だから僕が居なくなっても主を探すんだろうな…。そう思うとまたいっそうもやもやした。 「そんな顔ばかり……。今日はすねることが多いですね?」 「だって」  僕の恋心を知ってか知らまいか、彼は優しく包んでくれることが多い。だからこそ嫉妬もするし期待もする。いつか僕が彼の番になってやる。子孫は残せないけど……。 「ほら、料理が来ましたよ」    話を変えられたが、仕方がない。顔を上げるとおいしそうな料理が机に運ばれてくる。これは……、前菜かな?詳しい料理名はわからないけれど美味しそうなことに違いはない。僕は気分を入れ替えて手を合わせた。 「いただきます!」  一口、二口。すごくおいしい海鮮だ。僕の故郷は山に囲まれているので新鮮な海鮮を食べるのはたぶん初めてだろう。もっと食べようと思ったのに口に入れて少し経った頃、自分の体の異変に気が付いた。何だろうすごく気分が悪い。すごくおいしい前菜なのに何故か吐き気がしてきた。どうしても我慢できない吐き気に口を手で覆った。 「ご主人?大丈夫ですか?顔色が優れないようですが……」 「だ、ダメかも……」  手に持っていたスプーンを落としてしまう。吐き気に加えて手足のしびれもある。視界もなんだかおかしいし、まさかこれは……。 「毒…?」 「まさか!毒だとしたら早すぎます、貴方は二口しか……」  確かにそうだ。しかし思い当たることが一つだけある。柑橘系の匂いがするのに水は甘く感じた。料理が届くまで僕は水を飲んでいたし、彼と話しているうちに時間も結構経ったと思う。 「水かも、なんだか甘い気がしたんだ……もしかしたら」  旅をするうえで野草も食べることがあるから多少の知識はある。もしかすると毒草を混ぜた水だったのかもしれない。強い毒なら溶けていても作用するはずだ。夕暮れで水の色が反射していてよく見ていなかったし、甘い水というのもおかしな感じだ。高級レストランだから警戒心が薄かったのもある。管理が行き届いているという固定観念は少なくともあっただろう。だとしてどうして僕だけが?アドリアーノは種族が違うとはいえ毒性のあるものには反応するはずだ。おかしな味がしたら味覚に敏感なアドリアーノは一言いうと思う。ということは彼の水には何も入っていなかった可能性が高い。僕だけなんて、どうして。 「ご主人!!」  僕はついに耐えられなくなって倒れてしまった。辺りは騒然とする。吐き気を必死にこらえて丸くなる。 「お客様どうされましたか!?」 「今は何とも……ですが毒か何かを盛られたかもしれません。彼は食事を二口しか食べていないので食中毒ではなさそうです」  アドリアーノが説明をしている。僕は藻はもがくことしかできなくて症状を伝えられなかった。口を開こうものなら吐いてしまいそうだ。 「ど、毒ですか!?そ、そんな馬鹿な……」 「確かにありえないような話ではあると思います。ですが今、食事を碌にしていないご主人がこんなに苦しんでいるんです。食中毒だとしてもここまで急激に苦しむことはありませんよ」  アドリアーノが背中をさすってくれる。体は楽にならないが気持ちは少し楽になった。アドリアーノがそばにいてくれるだけで、今はいい。 「そ、そうですね……警察に通報してきます!あなたは倒れた方を見ていてもらえますか?」 「もちろんです」  レストランは悲鳴でいっぱいだった。客は急いで帰ったり呆然と立ち尽くしたりしている。町中にあったこともあって10分もしないうちに警察がやってくる。警察は一通り現場を見るととあることを言い出した。 「水に毒……。先月も別のレストランであったのです。そのときは貴族の人が狙われていました。共通点があるとするなら髪の色ですね」 「髪の色ですって?そんな単純な理由だけでご主人が犠牲になっていいものですか!!」  先月、ブロメリアの別のレストランで貴族を狙った毒殺事件があった。その時は処置が間に合わず、貴族の方は亡くなったそうだ。その時に使われた毒はとても複雑なもので、解毒薬はノユラエ山脈でしか手に入らないという情報を提示してくれた。それを聞いて僕は絶望した。ノユラエ山脈へは馬車でも二日はかかる。そこまで行くのに僕は耐えられないかもしれない。 「僕……もうダメかも」 「ご主人!気をしっかり持ってください!!私が何とかします!」  アドリアーノの手の周りが少し光ったと思うと僕の中に光が収束する。アドリアーノの浄化の力だ。毒を解毒する効果はないが僕をしばらく守ってくれるのだろう。人前で力を行使するのはよくないことだが、いまは急を要する時だ。警察はその力に驚きざわつく。聖獣という種族自体、僕の故郷にしか居ないものでポピュラーではない。そのうえ人の形をとっている聖獣なんてアドリアーノくらいなのだ。ブロメリアの人が見たことがあるわけがない。 「な、なにをしたのですか」 「すこしばかり私の力を分けただけです。今見たものは忘れてください」  体がかなり楽になって、起き上がれた。ふらふらするが、うずくまっているよりは座っていた方がいい。しびれも吐き気もまだ残っているが、症状を説明することができるほどには回復した。警察はかなり動揺した様子だったが事情聴取を行ってくれる。 「では、私たちは調査に向かいますね」 「待ってください。それは私たちがこの国で待たないといけないということですか?それではご主人の体は持ちません。私たちはノユラエ山脈へ向かいます」 「それでは犯人が見つかったとして報告できませんが……」 「構いません。私たちはただの旅人。犯人が見つかったときはほかの犠牲者の方に説明をしてください」  僕を背負いながら引き留めようとする警察を押しのけてアドリアーノはレストランを後にした。これからの行き先はノユラエ山脈。足早に馬車乗り場へと歩きながらアドリアーノが優しく声をかけてくれる。 「貴方を必ず助けます。だからどうか気をしっかり持っていてください」  返事はできなかった。ただ荒い息を肩にかけることしかできない。でもきっとアドリアーノならわかってくれる。 「あ…ど……」 「はい、私はここに」  彼のぬくもりを感じながら目を閉じた。少し眠ってもいいかい?いいよね、アドリアーノ。

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