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第2話 僕の日常には色が無いんだ。
夢を見ているのだろうか。僕は、夢と現実の区別ができる。大袈裟な特技ではないのだが。眠っているときに、これは夢、あれは現実と、手に取るようにわかる。従って、今見ている記憶は夢。夢というよりは、毎晩繰り返される悪夢に近い。その悪夢はたびたびノンフィクションをさらにぐちゃぐちゃに刻むように手酷い夢であったりもする。夢から覚めると、阿月はいつも嫌な汗を全身にかいてしまう。疲れがピークに達しているから、仕事の休みの日は一日中眠ってばかりいた。土日の休みは一日12時間睡眠の日がほとんどだった。12時間ずっと熟睡しているのではなく、数度目が覚めて、眠気が強くて起きられずに一日の大半をベッドに横になって過ごしていた。何も気力がわかないのだ。食欲も、性欲も全てがゼロに振り切ってしまっていた。それも、原因はよくよく理解できていて、自分なりに改善した結果、失敗したから余計に憂鬱になってしまっている。
僕には物心ついた頃には親はいなかった。実父と実母は、僕が赤ちゃんの頃に船の事故で亡くなったと、おばあちゃんから聞いている。僕を産んですぐに、船旅に行く親も親だと思った。2人は僕のこと本当に愛していたのかな? 僕はたまたまできてしまった子どもなのかな。そんなに願ってない妊娠だったのかな。赤ちゃんの僕は2人が愛するに値しないほどかわいげがなかったのだろうか。僕はいつも両親のことを考えるとこめかみがきりきりと軋むような痛みに襲われた。後におばあちゃん─母方の祖母─から聞いた話では、生後8ヶ月の僕のことを祖母に押し付けて2人して豪華なフェリーに乗って世界一周旅行に出かけたらしい。
子育てに飽きてしまったのだろうか。子どもよりも2人の愛を優先したのだろうか。詳しい要因はおばあちゃんもわからないと説明されているけれど、おばあちゃんは優しいから。きっと僕に都合の悪い話はしない。
幸い、無責任な両親とは異なり、おばあちゃんは温かく僕を育ててくれた。親子参観にも当然のように来てくれるし、運動会の親子二人三脚も、腰が悪いのに一緒にやってくれた。だから僕は、両親がいないという状況は他の子達から見たら変だけど、おばあちゃんがいるから大丈夫と思っていた。
だが、そんなささやかで平穏な生活にヒビが入る出来事が起きた。
中学一年生の学校の健康診断で僕に「第2の性」の診断が下りたのだ。僕はそこで、オメガと診断を受けた。それからだ。僕の生き地獄が始まったのは。
僕の生きる世界では、男性・女性という第1の性の他に「第2の性」というものが存在する。
「第2の性」は3種類ある。
α。社会地位が高く、頭脳明晰文武両道な素質を持つエリートのアルファ。ピラミッドの頂点に君臨する人達。古来から特権階級に位置する。
β。一方、平均的な素質を持つ一般人の部類と呼ばれるベータ。社会的地位、富などは平凡的な人達。
Ω。そして僕が診断されたオメガ。希少性が高く、世の中の0.1パーセントに満たない人口がオメガだ。
オメガは、生まれ持った体力が少なくて病気になりやすく、繊細な心を持つ人が多いと聞く。実際、阿月もそうだった。オメガの色にしっかりと染まっていた。季節の変わり目にはマスクを付けたり手洗いうがいを徹底して対策をとっているのに風邪をひきやすくて、心は繊細な中学生そのもの。語気が強い言葉や、威圧的な態度は怖くて仕方ない。萎縮するように笑って耐えてきた人生だった。
オメガで厄介な要素にフェロモンというものがある。フェロモンは、オメガの|発情期《ヒート》中に無意識のうちに発してしまうもので、そのフェロモンを嗅ぎつけたアルファが性欲に翻弄され、オメガと無理やり行為に及ぶほどの媚薬のようなものである。
アルファとオメガが性行為に及んだ結果、オメガが妊娠、出産するケースも少なくはない。ただ、そういった家庭でいい話を聞いたことがない。僕らオメガはアルファの性欲の吐き溜めにしか過ぎないのだと学生の頃から感じていた。同級生同士でオメガとアルファが交わった話はよく聞いていた。そのほとんどが愛ではなく欲で繋がるか細い糸だということも知っていた。だから阿月は今まで一度もアルファとそういう行為になったことはない。幸い、獰猛なアルファに襲われることなどもなく慎ましく忍びながら生きてきた。
これは僕の叶わない夢の話なのだが、この世の中には運命の番というものが存在するらしい。生まれつき相性のよいアルファとオメガが出会うと、2人にしか感じられない特別な匂いがするのだという。なんでもその匂いは西洋の庭園にある花々全てを抽出した香水のように、華やかな香りらしい。いつかはそんなふうな……などとは、夢を見ることさえ自分にはできない。運命の番というものは、とても希少な組み合わせで誰にでも訪れるものではないからだ。運命の番を探して恋活や婚活をしている人も増えた。時代が変わってきたのだろう。世にはオメガとアルファをマッチングさせるマッチングアプリや結婚相談所などが幾つもできており、皆おもいおもいに利用していた。阿月の職場でも互いに惹かれ合うオメガと結婚したアルファが寿退社をしていくというのも一度見たことがあった。2人はとても幸せそうに見えた。それが羨ましくもあり、自分にはそんなことは絶対に起きないだろうと夢を断たれたような気持ちになり塞ぎ込んだ日もあった。
おばあちゃんに、自分はオメガだと伝えるときにはすごく億劫で不安でいっぱいだった。両親とおばあちゃんはベータと聞いているから、余計にごめんなさい、と心の中で謝った。家系に迷惑をかけるオメガでごめんなさい。オメガが産まれた家系ではその子どもが生涯苦労することがわかりきっているため、養子に出す家もあると聞いていた。だから阿月はおばあちゃんの反応が怖くてたまらなかった。阿月の元にはもう両親は帰ってこないだろうと薄々感じていたから、血の繋がりのある家族はおばあちゃんしかいなかったから。
しかし、おばあちゃんは
『そんなの気にしないものよ。阿月はおばあちゃんの宝物なんだから』
そう言って、その晩僕の大好きなフルーツポンチを作ってくれたっけ。缶詰の桃、みかん、パイナップル、ナタデココ、さくらんぼ。色とりどりのフルーツたち。その日味わったフルーツポンチの味が阿月は忘れられなかった。
自分がオメガだとわかってから僕は猛勉強をした。せめてオメガでも何か突出した特技や技能を身につけて自分に自信を持って生きていきたかったから。自宅学習で塾に通わずに、県内の公立高校に進学した。所謂そこは進学校で県内で一番偏差値の高い公立高校だった。おばあちゃんにたくさん褒めてもらった。
『おばあちゃんは鼻が高いよ。阿月があの有名な高校に通えるなんて。ほんとにお利口さんねえ』
合格発表の日には、お赤飯とカツ丼、カレーを作ってくれた。「そんなに食べれないよ」と言うと『いいんだよ。明日も食べればいいんだから』と、2人して2日かけて食べたこともあったっけ。
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