横浜市内ではまだ新参者のミックスバー『マレフィセント』は、男性同士の出会いを求める客が足繁く通う店だ。 　会員制度もなく同性を好む男性はもちろん、いわゆるノンケや女性客にとっても間口の広いことで、ここ最近では人気の店だった。 　週末の金曜日ともなれば、出会いを求めに来る者、ただ酒を楽しみたい者などの様々な客で賑わいを見せている。 　一人で訪れても積極的にアプローチをするか、若しくは相手から声をかけられるのを気長に待ってみる。うまくいけば寂しい夜を過ごさず、目眩く一夜を堪能できるかもしれない。 　そんな人間が大半の中、カウンターの隅で一人、自分の手のひらをジッと見つめる男がいた。 　男はロックグラスの内側を滑る丸氷を指で撫でたあと、程よく冷えたウィスキーを一口含んだ。 　喉を通過する僅かな心地よさを堪能し、グラスをコースターへ戻したとき、着地を邪魔する、柔らかな感触に触れる。それが隣から差し伸ばされた手の甲だと認識すると、男はその手の持ち主の方へと顔を向けた。 「お兄さん一人？　それとも待ち合わせ？」 　軽いノリで話しかけてきたのは店の常連なのか、慣れた様子で男の隣へと腰を下ろしてきた。 　常連らしき男をチラリと一瞥し、男は再びグラスへと視線を戻した。 「ねえ、ねえ。歳は？　ここへは初めてなの？　あ、俺、アキってんだ。三十になったばっか。お兄さん、美人だよね。名前教えてよ」 　アキと言う男は馴れ馴れしく声をかけてくると、無邪気に肩を組んできた。 　男が何も言わないのをいい事に、今夜の獲物を捕らえたようにアキが体を密着させる。 　何も言わない男の頬を、嬉しそうに指でなぞっては、つついたりと、反応を伺っているようだ。 「無口だね。でも俺おしゃべりな奴は苦手なんだ。それにきれいな顔の子が好みでね、だから、お兄さんはビンゴ！」 　一人で勝手に盛り上がるアキを、素知らぬ顔でやり過ごす男は、隣の存在を気にも留めず、グラスの氷を指でくるくると回していた。 「いやぁ、マジ唆るわ。その薄い唇に気の強そうな黒い瞳。この束ねてる髪もいいよな、ほどいた瞬間がたまらないよね。な、マジでこれからどう？　俺どっちも出来るしさ」 　物色するよう男の髪に触りながら、アキの頭の中は既にベッドの上で喘ぎ声を上げる男の姿を想像しているのだろうか。 　その証拠に息は荒くなり、目が血走っている。 　エロさをアピールしているつもりなのか、舌を自身の唇に這わせ、上下の唇をテカテカと光らせていた。 「──そんなにヤリたいの」 　男が囁くように言うと、それがまたアキを興奮させたのか、男の下半身に手を滑らせてこようとする。それを男はやおらに払い除けた。 「……ヤリたい。ヤらせてくれる？　俺上手いよ」 「へー、上手いんだ」 　男はアキの視線に絡ませながら、冷嘲して見せた。 「お兄さんとヤレるなら、金払ってもいいよ。それくらいヤリたい」 「ふーん」 「それ飲み終わったら店出ようよ。あ、そうだ名前。お兄さんの名前教えてくれよ」 　男は少しだけ顎を上げると、天井から吊るされている、円錐形のペンダントライトを数秒見つめてからアキを流し目で見た。 「──シュウ」 　 　吐息混じりに名前を伝えると、触れていなくてもアキの体温が上昇したのがわかる。 「シュウね。歳は──ってまあいっか。俺とタメくらいっしょ。それ、俺が奢るよ。先に会計済ましとくから、飲んだらすぐ店を出よう」 　弾んだ声で言ったかと思うと、アキがカウンターを離れ、ウェイターに声をかけて清算を済ませている。 　男──シュウは、その様子を横目で見ながら、ククっと笑い声を漏らした。 「馬鹿な男だ。脳みその中、精液まみれなんじゃねーのか」 　シュウは頭の中でシナリオを描くと、これから起こる、いや起こそうとしている事象を描き込んだ。 　時には変わった趣向に手を出す。その変化が気持ちいい。 　シュウはグラスの中で小さくなった丸氷を指先で弾くと、弄ぶように指先で何度も何度も転がしていた。