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行方不明
「八束さん、今日ってゆき君シフト入ってますよね? もう来ててもいいのに、珍しくないですか遅れてるの」
さっきから時計を気にしていた八束は、憂慮 した顔で來田を見た。
「俺もさっきから気になっててね。いつも就業時間より早く来る子だからちょっと心配だな」
「もう三十分は過ぎてますよね。遅れるにしても絶対に連絡は入れますもん、ゆき君は。今日は土曜だから大学もないし、電車の遅延もなさそうですよ」
來田がスマホで交通状況を調べつつ、八束に言った。
「だよな……。ちょっと俺、電話してみるよ」
「そうですね。じゃあ俺はゆき君が担当する、新規さんの準備先にやっときますね」
「ああ、頼むよ」
來田は準備に必要な備品を手に、施術部屋へと向かった。
八束は來田の後ろ姿を見送りながら、ポケットからスマホを取り出し、アドレスから千乃の名前をタップしようとしたとき、激しくドアベルが鳴り響き、見慣れたコート姿の男が視界に飛び込んできた。
「嶺澤さん! 千乃はいるかっ」
息を荒げて叫びながら藤永が、転がるように入ってきた。
いつも冷静で落ち着いている様子とは打って変わり、白い息を吐くその顔には薄っすらと汗が滲んでいる。
「藤永さん、いきなりどうしたんですかっ」
「昨日から千乃と連絡が取れないんだ。メッセージを何度も送ってるが既読がつかない。眞秀──弟も同じことを言ってるから、ちょっと気になったんだ。悪い、俺、焦ってたな」
「えっ! 昨日からですか!」
「ああ……。弟も心配してて。こんなこと今までにないって」
初めてみた狼狽える藤永の表情に面食らいながらも、八束はまだ出勤してない千乃のことを伝えた。
「千乃は遅れても返信は必ず返してくれる……。昨日は大学もあったし、もし具合が悪かったとしても連絡は絶対にしてくるんだ」
「奨学金貰って通うくらいだ、欠席は早々しないだろう……」
「藤永さんはいつ連絡したんですか? 俺はこれからかけようと思ってたんですけど」
スマホを握りしめたまま、嫌な予感が浮上してくるのを八束は必死で遠ざけようとしていた。
「ここへ来る途中、何度かかけてみたが、電源が入ってないようなんだ」
いつもきちんとセットされている髪を掻きむしり、いつになく取り乱している藤永の様子から、たまたま連絡が取れない状況、例えばスマホをなくしたなどの、わかりやすい理由が原因じゃないということは八束にも窺い知れた。
「藤永さん、もしかして何か気掛かりなことがあるとか……」
切羽詰まった表情の藤永に詰め寄り、八束はさっきから視線の合わない藤永の腕を掴んで見据えた。
「教えて下さい。あなたは何が気になってるんですか。じゃないとそんな風に焦るのはおかしいっ」
通常より低い声で八束が言うと、ちょうど施術室から戻った來田が藤永の存在に体を萎縮させるのを目の端で捉えた。だが、それどころではない八束は、こぶしを固くして藤永を凝視していた。
「八束さん、落ち着きましょう」
來田の静かな声で我に返った頭を一振りし、八束は手をほどいた。
「嶺澤さん、もしかしたら俺のせいで、千乃を事件に巻き込んでしまったのかもしれない……」
「事件? どういうことですかっ!」
「──くそっ。こんな事になるとはっ」
自分の掌底でもう片方の手のひらを殴り、苦悩する藤永を凝視しながら、八束は側にあった椅子に怒りで震える体を座らせた。
「あなたも落ち着いて下さい。刑事さんがそんなんでは、解決するものも出来ない。それに『事件』ってのは來田君を疑った、例の連続殺人事件のことですか」
八束の放った言葉に、藤永の顔色が一瞬にして変わった。
座ったままの体を膝へと預け、項垂れたまま無言になっている。
藤永の様子に悪い予感が的中したと感じた八束は、腕に青筋が浮き上がるほど、怒りが込み上げてきた。
「……俺、お茶入れます。ちょっと冷静になりましょう」
來田が休憩室へ向かうと、二人だけになった八束は、自責の念に駆られ、口を閉ざしたままの藤永の前にゆっくりと腰を下ろした。
「操作内容は話せない、それは重々承知の上です。でもうちの従業員と連絡が取れない。それが事件に巻き込まれてるかもしれないっていうのなら、俺には聞く権利ありますよね」
刺さるように聞こえたであろう八束の言葉は、藤永の体をピクリと反応させた。
何としても真意を聞き出したい八束は、藤永を煽るように机を叩いて更に威嚇して見せた。
「そうだな。わかった、話しますよ」
いつもの顔を取り戻した藤永の声に安堵し、八束自身も冷静になれた。
藤永には常に自信たっぷりで強気な刑事でいて貰いたい。でないと、事件解決どころか千乃を探すことすら危ういのだ。
「あと、三十分ほどで店を開けますが、施術は來田で対応できます。だから藤永さん、真実を教えてください。予約以外の客は断りますんで」
ネクタイを緩め、気道を確保した藤永の唇がゆっくりと動き出す。そこへタイミングよく來田が湯飲みを差し出すと、口を湿らせる藤永を見届けてから、八束はソファに腰を下ろした。
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