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2-24 不穏な動き

 姚泉(ようせん)は目の前で繰り広げられている戦いに対しての興味よりも、神子である無明を見守っていた。豊緋(ほうひ)がこれからなにをしようとしているのか、知っている。だがどの段階でそれを仕掛けるかは彼次第なのだ。  無明はおそらくそのなにかに勘付いたようだが、明確にはわかっていないだろう。舞台の上から観覧席(こちら)の方へ視線を向けていた。 (彼は愚かだけど、それなりに頭は回るわ。悪い方なら尚更ね、)  その労力を別のところに使えば、それなりに使い物になるのだろう。初めの頃は復讐に囚われていただけだったが、今となってはただ単に蓉緋(ゆうひ)が気に食わないというその一点で動いている気がする。  これから起こることをすべてを彼のせいにして、民からの信頼を不信に変えるのが目的だ。実に考えなしの策略だといえよう。  そしてそのことを姚泉(ようせん)は無明たちには教えていない。これは、無明やその周りの者たちにとって予期せぬ出来事でなければならない。  すべて知っていて好きにやらせていたと知られる方が、寧ろ問題だからだ。あくまで知らない状態で対処してこそ、蓉緋の宗主としての腕の見せ所といってもよいだろう。 (まあ、どうにもできない時は、私が動くだけ。あの子の望みは、誰ひとりとしてこの争いに巻き込まないこと、だもの)  主の望みを叶えるのが、その従者となった者の務めだ。どうにもならない時は、自分が本来の姿を晒す。それによって(こう)宮を離れることになっても仕方がないだろう。  それにしても、神子の力はやはり目を瞠るものがある。あれは四神の力の片鱗だろうか。 (本当に不思議な子····あの子にとっては、ひとも妖者も関係ないみたい。自分が正しいと思ったことをする。でもそういうところ、共感するのよね)  自分もまた、特級の妖鬼でありながらひとを守っている。男はどうでもいいが、女子供が酷い目に遭うのは赦せない。ひとだった頃の自分が、最期の時に誰にも助けてもらえなかったことが原因かもしれないが。 (····でも逆に、あの時、狼煙(ろうえん)が助けてくれたから、今の私が在るとも言えるのよね。そう思うと、複雑な気分だわ)  あの森の中で、助けられたこと。なんの見返りもなく、手を差し伸べてくれたこと。彼がそんな風にひとを救っていた理由も。辿って行けば無明ではなく、物語の中で語られている存在である、あの神子からの"約束"を守っているだけらしい。  彼とその神子との繋がりまでは知らないが、彼にとっては絶対的な存在といえる。それは無明も同じで、でも違うのだという。 「姚泉様、紅宮から知らせが····、」  桃色の上衣下裳を纏った宮女、白桃(はくとう)が姚泉に耳打ちする。その内容に対して姚泉は眼を細め、小さく嘆息した。 「そう····すぐにでも行ってあげたいけれど、席を立つことはできないわ。黄蘭(おうらん)緑夏(りょくか)、私が行くまであなたたちで彼女を慰めてあげてくれる? 彼女が思い詰めたりしないように、慎重にね」 「わかりました、お任せを」  黄蘭が代表して答え、緑夏は了承の意を示して頷いた。席を立ち、すっと後ろから静かに退席するふたりを見送り、姚泉《は冷静な面持ちで再び舞台へと視線を戻した。  あの子が、亡くなった。まだ九歳と若いのに。これからだというのに。  長く生きてきた分、ひとの死は多く見てきたが、子供が亡くなるのは悲しかった。あの子の母親も、あの子を失えばどうなってしまうかわからない。  すぐにでも行ってあげたかったが、自分にはこの舞台を最後まで見届ける義務があった。あのふたりなら役目以上の働きをしてくれるだろう。姚泉は薄紫色の下裳を握り締め、唇を噛み締める。なんでもできるわけではない。神でもない。  ひとから恐れられる存在である妖鬼であること。知らないからこそ慕われているだけで、本来の姿を知れば、皆が手のひらを返したように自分を拒絶するだろう。 (やはり、私はここで終わるべきなのかもしれない····あとは、彼女たちがその基盤を受け継いで、上手くやってくれるはず)  姚泉はひとり、ある決意を胸に抱く。  紅宮の主としての、覚悟。 (その時が来たら、私は····)  迷わずに選ぶ。  姚泉はまっすぐに無明を見つめ、口元に微かに笑みを浮かべるのだった。 ******  清婉(せいえん)は無明に襲いかかる屈強な男たちのせいで、ひとり百面相をしながら、声にならない声をあげていた。  そんな清婉の心配をよそに、無明に近付く者たちはどんどん場外に追いやられ、時に不思議な力で地面に沈まされている。清婉はあることに気付き、「あれ?」と首を横に傾げた。 「無明様って、もしかして強いんですか?」   清婉が今まで見てきた無明の姿は、紅鏡(こうきょう)にいた頃の()れ者としての偽りの姿と、無茶をして鬼蜘蛛に攫われたりした時の印象が強く、こうやって目の前でそれらしく戦っている姿を見るのは実は初めてだった。神子だと知った時も、『物語に出てくるなんだかすごい存在』程度の、曖昧な認識しかなかったのだ。 「いや、無明は神子になる前から強かったが····あいつが戦っている姿を見るの、もしかして初めてだったか?」 「この目で見たのは初めてです。話だけなら、玉兎(ぎょくと)でのこととか、色々と聞いてはいますが」  こくこくと清婉は大きく頷く。竜虎は後ろを向きながら苦笑を浮かべ、頬を掻いた。玉兎(ぎょくと)でのこと、とは白笶(びゃくや)が重症を負った原因のことだろう。 (意図的にそうしていたのか、たまたまなのか····けど、わかってたことだけど、思い知らされる。あいつは神子で、すごい存在なんだってこと)  四神の主である神子。この国を守るために存在する神子。この先、何度もこんな風に思わされる場面に遭遇するのだろう。その度に自分の不甲斐なさを思い知り、遠くに感じてしまうのかもしれない。 「····無明は無明だ」  暗い気持ちに覆われていた竜虎の耳に、低いが優しい声が届く。その声の方を向けば、白笶が珍しく柔らかい表情を浮かべていた。その言葉の意味を、竜虎はちゃんと理解していた。  無明は確かに神子であるが、ずっと傍で見てきた無明であることに変わりはない。だからこそ、旅の最後までついて行こうと決めた。 「無明様は無明様····なるほど、」  清婉はその言葉にうんうんと頷く。 「さすが白笶様ですね!」  素直な反応に、白笶は少し驚いたような表情を見せたが、すぐにいつものように無表情へと戻った。竜虎は白笶がこんな風に自分たちにも心を開いてくれている事を、嬉しく思っていた。これもきっと、無明のおかげだろう。  そんな中、白獅子である虎斗(こと)が眼を細めて舞台とは違う場所を見据え、顎に手を当てて考えるような素振りをした。 「····どうやら、動き出したようだね」  観衆たちとは違う方向を向き、掻き分けるように逆の方向へ歩いている者がいる。それも複数、それぞれ違う場所で。それを気付かれないように少し距離を置いて追尾する者たちもいる。あれは銀朱(ぎんしゅ)の仲間だろう。  彼らの向う先はバラバラで、それぞれが違う目的をもって動いているようだった。虎斗と白笶は先に席を立って早足でどこかへと向かって行く。竜虎は清婉と向き合い、あるモノを袖から取り出す。 「清婉はこのまま舞台を見ていてくれ。なにかあったらこの符で教えて欲しい」  碧水(へきすい)の地にいた時、無明と白冰(はくひょう)が完成させた符を清婉に渡し、竜虎も遅れてふたりを追った。  清婉は渡された符を握り締める。 (どうかこれ以上、皆さんに危険なことが起こりませんように····)  なにもできないことが、歯痒い。自分はただの従者でしかない。  せめて悪いことが起きないようにと、なにかに祈るしかなかった。

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