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2-29 望まぬ結末

 豊緋(ほうひ)を殴りその手に刃物を握り締めた人物、それは姚泉(ようせん)の側近であった若い宮女だった。その眼は憎しみと悲しみが混じっていて、震える両手で握りしめた刃物にぽたぽたと涙が零れ落ちる。 「あんたみたいな奴がいるから····この地はいつまで経っても腐ったままなのよ」  (こう)宮に身を寄せている大勢の女子供。蓉緋(ゆうひ)が受け入れてくれなければ、生きていくのさえ難しい者たちばかりだった。姚泉がいなければ、希望もなくただ生きるだけの存在と成り果てていただろう。  それもこれも、この地を治めている()の一族の傲慢さと怠慢が招いたもの。宗主が代わったとろこで変化のない、最悪な環境。  それがやっと蓉緋という宗主が上に立ち、少しずつ民たちの生活も平均的な水準に戻ったというのに、くだらない自身の怨恨に皆を巻き込んだあげく、自分たちの大切な主をその手で亡き者にした、目の前のクズ。 「あんたは生きていない方がいい」  言って、刃物の先に豊緋を捉え、桃色の上衣下裳を纏った宮女、白桃(はくとう)が、悲しみと憎しみで歪んだ嘲笑を浮かべた。 「待て。それを勝手に殺すことは、残念だが今は許可できない」  正面からかけられた声に、白桃は顔を上げる。その一瞬の隙に花緋(かひ)がその手に握っていた刃物を取り上げ、それに対して抵抗することはなかった。顔を覆い、その場に泣き崩れる白桃に対して、豊緋は馬鹿にするように鼻で笑う。 「ふん、お前ごときただの宮女が、この俺に手を出そうだなんて! あとでじっくりその罪を償ってもら····がっ!?」  いつまでも減らない口を塞ぐように、花緋が刀剣の柄で豊緋の首の付け根を突いて黙らせる。そのまま血溜まりの中に転がった豊緋を冷めた眼で見下ろし、花緋はすぐ近くまでやって来た蓉緋に拱手礼をした。動揺していた周りの者たちも、同じように頭を下げる。 「罪を償うのはお前の方だ」  蓉緋はそう吐き捨てた後、倒れたままの姚泉の横に膝を付き、改めて生死を確かめる。血に塗れた首に手を当てて、首を振る。まさかあの姚泉が、嫌味のひとつも残さずに死ぬとは思っていなかった。妖鬼なのに本来の姿を現さないのは、彼女の能力のせいだろうということは知っていたが····。  姚泉はただの入れ物で、特級の妖鬼である夢月(むげつ)の魂魄はすでに離れているようだ。無明(むみょう)があの時口にした疑問が、なんとなくだがわかった気がする。 (別の身体の当てでも見つけたか? にしても、この終わり方は····)  せめて、自分の側近の宮女たちにはひと言残してあげても良かったのではないか? と、お節介ながら蓉緋は思った。それも全部、宗主である自分に任せるとでもいうのだろうか。 「光焔(こうえん)の民たちよ。一旦この場は老師である私が預かる。事の次第は後で説明する故、儀式は終了とし、これにて解散とする」  丸まった背と、皺だらけの顔。頭の天辺で団子にして括っている白髪と、長い眉、口と顎の髭もすべて白い老人が、いつの間にか護衛たちと共に舞台の上に降りて来ていた。その中には白笶(びゃくや)もおり、自然に無明の横に立つ。 「····平気?」  そ、と背中を支えるように腕を回し、心配そうに見下ろして訊ねる。舞を舞ったすぐ後であの戦闘、そして朱雀の陣。本当なら立っているのも辛いはずだった。なにより、今目の前で起こったことに、胸を痛めていないわけがいない。 『無明、夢月(あいつ)の魂魄が(こう)宮の方に飛んで行ったみたい。あの時もなにか考えていたようだから、気に病むことはないよ』  姿を消したままの逢魔(おうま)はずっと横にいたが、白笶が来て無明を支えてくれたおかげで、安堵の表情を浮かべる。 「俺はまた····守れなかったのかな?」  ぽつり、と無明の口から零れた言葉に、ふたりは同時に首を振る。 「それは、違う。おそらく、彼女ははじめから、」 『俺もそう思う。あいつ、無明と主従の関係を結んだでしょ? 紅宮を離れるために、姚泉という存在を殺したと考えるのが妥当だと思うよ、』  それはそれで、彼女たちから姚泉という大きな支えを奪ったことにならないだろうか? 無明はなんとも言えない表情のまま、横たわっている姚泉とその横に片膝を付いている蓉緋の背中を見つめていた。  鳳凰の儀は計画通りに終わることができた。豊緋の企みも阻止した。()の一族たちの多くが、蓉緋の言葉に賛同してくれた。朱雀の陣でこの地の守護も戻った。それなのに、どうしてだろう。全然嬉しくない。 「こんなの、誰も、幸せになってないよ」  無明、と白笶はその小さな背中に触れていた指先に力が入る。それは違う、ともう一度言ってあげたかったが、言葉を呑み込む。ただ、そっと肩を抱き寄せ、気持ちだけで立っている無明を気遣う。  逢魔はそんなふたりを見つめ、腰に手を当てて嘆息する。 (夢月、あとで文句を言ってやらないと。あいつは無明のことを知らなすぎる。それにあんなやり方、褒められたもんじゃないしね)  無明が瞼を閉じ、白笶に身を委ねる。白笶はそんな無明の身体を抱き上げ、舞台から離れることを決めた。  後はこの地の一族たちの問題だし、蓉緋や白鷺(はくろ)老師が上手く収めるだろう。すれ違った老師はなにを言うでもなく、白笶とその腕の中の無明に対して拱手礼をし、深く頭を下げた。 (無明殿。この国の神子として、申し分ないお方。そして、こちらが手を貸したくなるような、不思議な魅力を持ち合わせている)  白鷺老師は長い白髪眉から細い眼を覗かせ、見定めるように顎に手を当てて頷く。ここからは、自分たちの力でこの地を導いていく。正しい道。少しずつ、在り方を変えていく。元に戻していく。本来の一族の姿とはなにか。そうやって皆で模索しながら、理想を現実に。 「その者を捕らえ、最低限の治療をし牢へ放り込んでおけ。姚泉は丁重に運び、紅宮の宮女たちに訃報を知らせてあげなさい」  老師の指示の下、儀式の閉会と撤収が始まる。民たちはこの衝撃的な事態に言いたいことは山ほどあったが、老師と蓉緋の言葉を信じ、後の説明を待つことを納得したようだ。  観覧席であの一部始終をひとりで見る羽目になった清婉(せいえん)の姿はすでになく、無明たちが向かうだろう珊瑚宮へと駆け出していた。

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