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第4章:疑惑 3
過去に理人とやましい関係でもなかったし、現在も恋人関係だったり体の関係になっているわけではない。そう言っているのだが、頭に血が昇っているのか藍は聞く耳を持たないといった感じで性急に口付けてきた。
「ん、ぁ…!らん……っ」
「っは、兄さん、兄さん……他のアルファなんて見ないで。ベータもダメ。オメガなんてもってのほか。アルファとして誰かと"過ち"を犯して番にでもなったら……分かってるよね?」
「しない、そんなの……お前のほうがしそうじゃん。オメガの人と付き合ってたわけだし…」
「付き合ってたわけじゃない。ただ家に住んでただけ」
「それが付き合ってるって言うんだよ、世間では。付き合ってないにしろ、そんな爛れた関係の奴と俺を一緒にするな!」
「由利、僕は――」
藍が何か言いかけたところで、スマホがけたたましく鳴り響く。着信の発信源は藍のスマホからで、画面には『椿』と表示されていた。食事に誘っているのに藍が返事をしないから痺れを切らして電話をかけてきたのだろう。由利を押し倒したままチラリとスマホを見て、ため息をつきながら藍は電話に出た。
そんな彼の態度に、由利は心の中で『あれ?』と思ってしまったのだ。てっきり由利とのことを優先すると思っていた弟が、由利よりも『椿』からの着信を取ったことになんだか胸がモヤモヤしてしまう。きっと無意識のうちに自分は藍の『特別』だと、どこかで感じていたのだろう。藍には嫌だとかやめろとか言うくせに、こういう時だけモヤモヤしてしまうなんて都合が良すぎる自分の心に、由利自身困惑した。
「今日は泊まってくる」
「え……?」
「また明日現場で」
『椿』からの電話を切った藍は態度を翻し、家から出ていってしまった。あんなにしおらしく謝罪していたくせに、結局は優しくしてくれる人の元へ行ってしまうのか。好きだの愛してるだの言っていたけれど、それはやはり由利をからかうための冗談だったのだろう。
「……バカらし」
一瞬でも藍の気持ちが本気なのかと思ってしまった自分が恥ずかしい。ビッチングについて真剣に考え、医者にも本当にそんな可能性があるのか相談したくらいなのに。まぁ、ビッチングをしようと思って考えていたわけではなく、アルファからオメガへの転換をしない方法を考えていたのだけれど。藍が本気ならこちらとしても何か対策を考えないといけないと思っていたのだが、彼が女性を選んだのであればもう考える必要もないだろう。
「もう帰ってくんな、バカ……」
食べかけのサラダはそれ以上食べられなくて、由利は夕食を中断して眠りについた。
◆
「デート企画なので、モデルの藍葉椿 さんが由利さんの相手役として撮影に協力してくれることになりました!モデル界のダブル"椿"さんが本誌のために尽力してくれてとても嬉しいです。よろしくお願いします」
藍の過去の相手である『椿』からの連絡の後、かれこれ二週間ほど彼は由利の家に帰ってきていない。現場に行けば会うが、初対面の時と同じようにただ挨拶を交わすだけの関係になった。いつも藍の側を通り過ぎると甘い香水の匂いがして、アシスタントたちが「椿さんとヨリ戻したのかな?」と噂しているのを小耳に挟み、やはりそうなったのかと思ったものだ。
そして、新しく雑誌の企画として相手役に選ばれたモデルの名前が『藍葉椿』なんて出来過ぎた名前だなと苦笑する。挨拶をした時に彼女から香ってきた甘い匂いが藍と同じで、この人が藍の『椿』かと直感的に分かった。そんな人と仕事とはいえ笑い合って撮影しなくちゃいけないなんて、きっとこれは神様からの罰なのだろう。
「じゃあ、手を繋いで歩いてもらってもいいですか」
今日は野外撮影で、カフェに行ったり服屋に行ったりするらしい。雑誌の特集のテーマは『職業別、理想のデートプラン』というものらしい。特集の名前の通り何パターンか撮影するようで、この特集はシリーズ化していくのだとか。なので女性の椿のほうも半分専属モデルとして契約したそうだ。
「よろしくお願いします、由利さん!」
艶のある長い黒髪で、背が高く凛とした雰囲気の女性。それなのにつけている香水が甘めなのは男性からするとギャップ萌えだろう。彼女が由利の前に藍をお世話していた『オメガ』なら、甘い匂いはフェロモンの可能性もあったけれど、由利も周りのアルファも反応していないからフェロモンではないかもしれない。
初対面で軽々しく敏感な質問はできないので聞かなかったが、カメラ越しに藍からの視線が鋭く突き刺さるのは気のせいだろうか。自分の彼女に近づきすぎるなという牽制か、マスクと帽子で隠していても邪悪なオーラが滲み出ていた。
「……由利さん、今度は椿さんの腰を抱いて歩いてみてください」
「あ、はい…分かりました」
指示通りに椿の細い腰を抱いて数歩前に進んでみる。女性モデルと撮影をしたのが久しぶりすぎて距離感が掴めなかったが、周りのスタッフから感嘆の声が上がったので上手くできたのだろう。その証拠に椿もほんのり顔を赤くして由利を見上げていた。
「すみません、近すぎましたよね……!?」
「いえ、全然大丈夫です。ただ、由利さんがかっこいいなと思って見惚れてしまって…」
「そ、そうですか……?」
「はい。やっぱり実物は何倍もかっこいいですね」
「えぇ、あ、ありがとうございます」
クールビューティーな第一印象とは違い、笑うとふわっとした雰囲気になる椿に由利は思わずドキッとした。なるほど、藍が好きになるのも分かる気がする……。綺麗だけれど、甘い香水を使うような可愛い人が好みなのだなと『弟』の新しい一面を知った。
「わぁ、本当に絵になる二人……」
「椿って名前の人、綺麗な人しかいないのかな」
撮影中、スタッフのそんな声が聞こえてくるくらいには成功していたのだろう。椿とは初めて会ったがなぜだか他人のような気がしなくて、自然体で撮影ができた気がする。藍の彼女というのが少し気まずいポイントだが、いつか弟と結婚する人かもしれないのだから仲良くしていて損はない。椿とはこれからもいい関係が築けそうだなと思えたのだ。
「由利さん、次回の撮影もよろしくお願いします」
「こちらこそ。椿さんとの撮影すごくやりやすくてよかったです」
「本当ですか?由利さんにそう言われるの、すごく嬉しいです!」
確か、椿は藍よりも年下の22歳だ。5歳も年上の相手役をさせるのは気が引けたが、椿自身「憧れの由利さんとお仕事できて内心舞い上がってました」と言うので大丈夫なのだろう。養ってくれていた『お姉さん』だと言っていたのでてっきり年上キラーなのかと思っていたら、本命はちゃんと選ぶタイプらしい。藍と一緒にモニターを覗き込んでいる椿の姿を見つめながら、由利は言いようのない虚しさに襲われた。
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