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第6章:想愛 3
空白の8年を作ったのは由利自身だけれど、その間に藍がどんな人と付き合ってどんなことをしたのかまでは追求するつもりはない。ただ。カメラマンとしての藍の素顔を見せた一番最初のモデルのことだけは気になった。最初は見せてもいいと思っていたのか、いつから由利のために顔を隠すようになったのか、それだけがただ気になったのだ。
「僕がカメラマンになって最初に撮ったのは麗だよ」
「え、うそ?そうなの?」
「うん。こんなくだらない嘘つくわけないでしょ」
「な、な、なんだ…麗さんか……!」
「麗がモデルのオーディションを受けるときに撮った写真が最初だった。まあ、麗と兄妹だっていうのも伏せてるから色々と変な噂が流れてたのは知ってたけど、否定するとまた面倒くさいし」
「そ、っか……」
藍が素顔を見せた最初のモデルというのは、由利の後輩モデルの藍葉椿こと藍の実の妹である藍葉麗のことだったのだ。そりゃあ実の妹なのだから素顔を隠すこともないし、それがおかしいことだというのも理解できる。蓋を開けてみれば麗との話だったので、知らなかったとはいえ嫉妬したような形になってしまい由利は顔に熱が集中するのが分かった。
「ごめ、なんか詮索して…!」
「由利がそんなこと気にするなんて思ってなかったから、めちゃくちゃ嬉しい」
耳元で囁かれ、そのまま耳の付け根や首筋に唇を押し付けられると、ぞわぞわとした興奮が体に走った。
「麗だけじゃなくて、僕がヒモ生活してたかどうかも気になる?」
「んっ、それも気になるけど……」
「信じてるなんて心外だなってこの前も言ったはずだけどなぁ」
「……信じていいんだよね?」
「僕が何もできなくなるのは由利の前でだけだから」
「あ!家事ができないってやつ、嘘だったんじゃん!」
「そうだよ。由利にお世話してもらうのが好きなんだもん」
そう言って、藍は甘えるように由利の胸元にこてんと頭を預ける。先日実家に帰省した際に両親から聞いた『藍は家事も料理もひと通りできる』という話はやはり真実らしい。彼は由利に甘えるために弟らしく何もできない自分を演じていただけだと知り、胸がきゅうっと締め付けられた。わざわざそんな演技をするほど由利に甘えたかったなんて可愛い一面もあるのだなと、ギャップに胸を打たれてしまったのだ。
それと内心、藍が先日言っていた『養ってくれていたお姉さん』が架空の話であることにホッとした。でも、ふとあの時のメッセージ内容が由利の頭の中に浮かんだ。
「あの時のメッセージ、今の人はご飯作ってくれないんでしょ?って送られてきてなかった……?」
「あ〜…怒らないって約束してくれる?」
「……俺が怒るようなことなんだ?」
「正直に言うから怒らないで?あれ、自分で持ってる別のアカウントから予約送信した」
「は?」
「ワンチャン、由利が怒ってくれたら嬉しいなと思って」
実際、結構嫉妬してくれたよね?
あっけらかんとそう言い放つ藍の言葉は図星だったが、なんだかそれを認めるのは兄としても人間としても負けた気がして認めたくない。藍の自作自演にまんまと引っかかって騙されていたなんて、末代までの恥である。まあ、末代がいるかどうかは分からないけれど。
「藍ならあり得そうだなと思って、もやもやした」
「まじで由利の中の僕のイメージやばいって。そこまでクズじゃないし」
「兄を脅迫した奴がよく言うよ」
「脅迫じゃなくて求愛ね」
「求愛って……無理やり引っ越してきて逃げ場なくしたじゃん」
「8年耐えたんだから許してよ、そのくらい」
くすくす笑いながら口付けられ、ぎゅっと腕の中に閉じ込められる。ぐりぐりと頬をすり寄せてくるのでなんだか悔しくなって額を叩くと、それでも彼は嬉しそうな顔をした。二人で過ちを犯していたあの頃もこういう『恋人』っぽいやり取りはしたことがないし、『兄弟』としての楽しさも知らないまま離れ離れになったので、藍は純粋に由利から構ってもらえるのが嬉しいのだろう。そんなところがやはり年下だよなと思っていると、何かを察したのか藍は目を男らしく細めた。
「子供っぽいなって思ってる顔だね、由利」
「………やっぱり藍って、特殊能力がある?」
「やっぱり。子供扱いしないで、由利。僕だって"男"だよ」
今まで可愛らしく甘えていたくせに子供っぽいと思われていると分かった途端、由利の細い手首を拘束してベッドに押し付けた。由利を逃さないように押し倒し、見下ろしてくる藍は『男性』そのもので、弟とは違う顔にどきりとする。
ただ、今まで彼を『弟』だと純粋に思っていたことなんて、親が再婚してから半年か一年くらいの短い期間だけだ。それ以降は彼を弟なんかと思えなかったし、一人の男として意識していたのは間違いない。でもそれをありありと見せつけられた途端、藍と自分が付き合っているのだなと実感してしまったのだ。
「ま、ま、待って、藍…ごめんって……」
「なにがごめん?」
「か、可愛いと思ってごめん…でもそんな急に"男"を出されたら、心の準備が…っ」
「あはっ、ゆうり、可愛いね」
「んんっ」
手首を拘束されたまま藍の顔が段々と近づいてきて、真っ白な由利の首筋に熱い舌を這わせる。唇が肌をなぞっていき、由利が着ているTシャツの縁をカリッと食まれながら見上げられると、どうしようもなく胸が高鳴った。
今まであんなに拒否していたのに、今更彼を欲しいと思うなんておこがましいと思われるだろう。でも藍は、それでいいのだと言う。由利の好きなように、由利の気持ちに素直に、わがままになっていいのだと囁かれたらまるで恋愛を覚えたての学生の頃のような、あの頃のようにがむしゃらに藍を求めていいのだなと由利の心が言っていた。
「……いい?由利」
挑発的な瞳で見上げてくる『男』に、由利はただ本能のままに頷いた。
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