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第8話 掃除だ。掃除!

 前回靴を履いたままだったので、今回も靴のまま廊下を進む。どうしても物を踏まないと歩けない。靴の下からバキッだのベキッだの、不吉な音が鳴る。  人の家の物を踏むのは抵抗があったが、忍者のように天井を歩けないのだから仕方ないと諦める。ボールペンの蓋のようなものを踏んで転びかけた。 「うわっ!」  背中からひっくり返りかけたが、伸びてきた腕が手首を掴んで引っ張ってくれた。男の逞しさにドキッと胸が鳴る。  ぱっと目を逸らす。 「あ、ありがと」 「どんくせえな」 「掃除してないせいだろ!」  怒鳴るも、広い背中はすたすたと行ってしまう。  ゴミの樹海をかき分け、テレビのある部屋へとたどり着く。 「もう疲れた……」  昨日お世話になったソファーに腰掛け項垂れる。洗濯をしてここまで歩いてくるより、この家の中を数歩歩いただけの方が疲れた。  やる気のない埃っぽい風が頭に当たる。顔を上げると伸一郎が扇風機のスイッチを入れてくれていた。クーラーのリモコンはまだ見つかっていないようだ。最新型のクーラーあるのに、勿体ない。 「ありがと」 「ああ」  どかっとでかい身体が隣に腰掛ける。体重もそこそこあるのか、反動で尻がわずかに浮いた。  偉そうに両腕を背もたれに乗せ、両足を限界まで広げて座るもんだから狭い。藤行は端っこに小さくなって座る。  せっかく端によってやったのに、肩を抱かれ引き寄せられた。ぽすっと男の胸にもたれかかる形になる。 「暑いからくっつきたくないんだけど……」 「何しに来たんだよ。お前」  どう見てもカタギではない眼光が見下ろしてくる。怖いはずなのに。  ちらっと肩に目を向ける。大きい手のひらががっちりと藤行の肩を抱いている。  ドキドキと鼓動がうるさい。さっそく何かの病気になったんだろうか。 「何しに来たって……」  うつむいていると顎に手を添えられ、目線を合わせられた。 「っ」  男の整った顔に、ぶわっと顔が赤くなる。伸一郎はからかうように笑う。 「なんだその初心な反応は」 「う」 「まあ、まだ童貞だもんなぁ? 仕方ねぇか」 「童貞童貞言うなよ。非童貞がそんなに偉いかよ」  拗ねているとするっと頬を撫でられ、くすぐったさに肩が小さく跳ねる。 「んっ」  文句を言おうとしたが伸一郎の唇が間近に迫っていた。唇が重なる寸前で―― 「掃除しにきたんだ!」  勢いよく立ち上がった。 「ああ?」  ぽかんとした伸一郎が口を半開きにする。  藤行はふんっと腕まくりをする。 「掃除だよ。掃除! このくっっそ汚い部屋を。片付けるんだよ」  鞄から黒のエプロンを引っ張り出し、後ろで結ぶ。こっちがやる気を出しているのに部屋の主は大あくびをしていた。  面倒臭そうに手を振る。 「あー。よせよせ。いるんだよたまに。そうやって世話焼きたがる奴」  エプロン姿を眺めながら長い足を組む。 「そーいうの、求めてねぇんだわ」  あーウゼェーとぼやく男を、藤行はぎっと睨む。 「お前は良くても俺は良くねぇの! こんな火事になったらよく燃えそうな家を近所に置いておけるか。火事になってみろ! 俺とここら一帯の人が焼け死んでも良いけど、弟になんかあったらどうしてくれる」 「…………」 「手伝わないのなら、外に出てろよ。邪魔なんだよでかい図体で」 「…………」  マスクと軍手を装着し、窓を全部開けていく。空気籠ってんだよ。  風を通せよ。風を。  がたがたと素直に開かない窓と格闘していると、伸一郎がのそりと腰を浮かす。 「なに。お前ってブラコンなの? アニメオタクでブラコンとか痛すぎだろ」 「はあ? アロエちゃんが気になるならDVD貸してやるぞ?」 「いらね」 「ふん」  年の離れた弟だ。母親と父親はよく仕事で家に居ないから寂しいだろうに、そんな顔を一切見せずバスケ頑張ってんだぞ。兄として、応援して気にかけるのは当然のことだ。  ようやくすべての窓を開けると、伸一郎が背後から腕を回してきた。ホールドされる。 「どうした?」 「昨日無茶させたかと思ったが、元気そうだな」  のしっと藤行の頭に顎を乗っけてくる。お、重い。 「元気だよ。尻以外は」 「あんな小せえケツの穴は初めてだぜ。小柄だもんなーお前」  小柄? 平均はあるわ。ふざけんな、と内心で叫ぶ。  熊の横に並べば誰だって小柄に見えてしまうだろう。 「お前がでかいんだろ。つーかどけよ。力ありそうだし、重い物運ぶの手伝えよ」 「えっらそうに」  がしっと尻を掴まれ、飛び上がりかけた。片方の手でもみもみと胸も揉まれる。 「やめろ!」 「うーん。肉が少なくてプリケツには程遠いな。もっと肉付けろ、肉」 「う……」  左手が胸を掴んだまま、右手はエプロンの中にするりと忍び込む。ズボンの上から足の付け根を擽られ、昨日の熱がぶり返す。 「あ、ちょ……。俺は掃除しにきた、だけ、でっ」 「男の部屋に入り込んどいて何言ってんだ。こうされたかったんだろ?」 「違……ぅ、ん」 「なにが違うんだよ」  胸と股間を同時に触れられ、まったくその気じゃなかった身体に快感が染み出す。逃れようとするたびに胸をきつく掴まれる。心臓を鷲掴みにされている気がした。 「あ、やだ。そんなとこ……くっ」  股の間に入った手が、かりかりと股間をくすぐるように引っ掻く。ズボンと下着に守られているのに、刺激がソレに伝わる。 「んぐ。さわ、るなって……ああ」 「んー? どこを触らないでほしいんだ?」 「あ、あ、あ……。やだ、ん」 「言えって」  耳朶にふうっと吐息をかけられ、膝から力が抜けそうになる。 「はあっ、あ、はあ……ん、いやっ」  膝から頽れそうになるも、がっちりと胸と股間を堪能している腕がそれを許さない。執拗に揉まれ、大事な個所をくすぐられる。 「はっ、は、ん……ああ」 「濡れてきたか?」  平らな胸を揉んでいた手が、脇の下に潜り込む。  びくっと震えた。 「あははは! ちょ、そこ、そこはやめえええ! ひゃああ、あひゃあははははっ」 「お」  色気のない声に面白いオモチャを見つけたような表情で、伸一郎は指の動きを速める。 「ああっ、ははああ! ひゃめてええ。駄目、だめそこあはははは!」 「ほーん。くすぐりに弱いのか」  突然のくすぐったい刺激に、打ち上げられた魚のように暴れる。 「無理無理! やめ、いやあああ」 「胸では感じないのに。敏感なのかそうでないのか、分っかんねぇな。お前」 「そこは誰でも弱いだろ! あひゃああはははははっ。ちょ、くるし……」  流石に立っていられなくなりその場にへたり込む。支えていた腕はすんなりと離れた。  鼻ではなく口からも酸素を取り入れる。ぜーはーとしばらく肩を上下させたのち、脱いだエプロンを男の顔面に叩きつけた。 「何しやがる」 「こっちの台詞! いらん汗かいただろうが。掃除全然進んでないのに!」  びっと男を指差す。  窓を開けただけだぞ、まだ!  エプロンを投げ返してくる。 「なんだよ。エプロンなんか持ってきているから、エプロンプレイをしたいのかと」 「なんだそれ!」  エプロンを後ろで結び直す。 「掃除だ掃除! いったん全部外に出して仕分けるぞ。売れる物は売るから、大事なものはこの青いシートの上に避けておいてくれ」  エプロンと一緒に持ってきたビニールシートを広げる。  伸一郎は心底うんざりした顔を見せた。 「はぁー……だっる。だがまあ、掃除するのはお前の勝手なんだ。手伝ったら褒美になにかくれるなら、考えるぞ?」  ニヤついた端正な顔が近づけられる。 「うう。まあ、確かに」  わずかにのけ反り、藤行はポッケに手を突っ込む。手にした物を彼の手の上に乗せる。  ころんと転がる、でかでかと黒糖と書かれた丸い物体。 「……ああ?」 「褒美欲しいんだろ? 黒飴」 「なんで?」 「美味いぞ?」  黒糖が大好き。あのまろやかな甘さ。健康にもいいって聞いたぞ。 「…………」 「お前その、残念なものを見る目やめろよ。失礼だぞ」 「はあ」  大きなため息をつかれた。  しかしながら意外なことに、伸一郎は家具の運び出しを積極的に行ってくれた。目はずっと据わったままだったが。

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