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鬼界の王

凄惨な町を通り過ぎ、やがて山道に入った。足場も悪く、籠もガタガタとかなり揺れる。  急に止まったかと思えば、牛車を引いていた遣いが籠を開けた。 「ここから先は道がかなり狭く、牛車が通れません。私がお送り出来るのはここまでです。」  静蘭(ジンラン)はこの夜道をここから先は歩いていけと?と思ったが、そもそも鬼王に嫁を引き渡すなんて、誰もが嫌がるようなかなり危ない役目を請け負ってくれただけでもかなり親切なのかもしれない。 「分かった、ありがとう。」  暗く狭い山道を松明一本で歩いていけなんて遣いの男も言い難いのか、哀れに思っているのか、申し訳なさそうな顔で松明を渡される。  自分にこんな顔を見せた者はかなり久しぶりで、一気に心がぎゅっと締め付けられた。随分と精神が弱ってしまったようだ。 「ご無事を祈っております、どうかお元気で」  遣いの男のその言葉に何も言わず、口角を上げて微笑む。そして背を向けて歩き出した。    *  一体どれ程歩いただろうか。靴は歩きにくく、道はちゃんと舗装されていない山道であるため何度も躓き、足も腫れている。  皇城を出たのは真夜中だった。それから恐らくもう数時間も経過しているのに、一向に夜は明けない。  しかし細かった道はだんだん広くなっていき、少し横を見ると墓場があった。薄暗く異様な空気感を少し不気味に思いながらも、静蘭は足を休めるために少しの間休憩する事にした。  よくよく見てみると、墓場はあまり手入れされていないようで、花も備えられていなければ苔が生えていたり罅割れている物もある。少し休ませてもらったので少しばかり拝み、再び歩き出そうと立ち上がった時だ。  だんだんと近付く足音に気が付く。一人……いや二人だろうか。何か話しているようで、声も聞こえる。男と女のようだ。 「もう、またですかぁ?」 「たらたらと文句を言うな、私まで嫌になってくる」  やがてはっきり姿が見えると、その足音の正体である男女二人が静蘭をじっと見つめる。 「あの……」  その視線と沈黙の気まずさに耐えかねた静蘭が口を開く。 「すっごい美人さん!あれ、もしかして人間?こんな美人鬼でも見た事無いのに!」 「こら、はしゃぐな。お前、人間だな?こんな所で何をしている」  顎下で切りそろえた短い髪に鮮やかな色の漢服を来ている女は静蘭を見るなり目を輝かせて駆け寄り、ぺたぺたと触り始めた。一方男の方は女とは違い黒と白の質素な漢服を着ていて、表情を一切変えずに静蘭にそう問いた。 「えっと……」  この二人が誰なのかも分からず、女の方には一方的にべたべたと触られて困惑する。  すると男の方が花嫁衣裳に気が付いたようだ。 「成程、貴方が新しい生贄……しかもその格好は花嫁……」  はぁ、と男が溜息をつくと自己紹介を始めた。 「私は鬼王・黒花状元(こっかじょうげん)の配下、権玉(シュエンユー)と申します。こちらは同じく黎月(リーユエ)」 「えぇー?自己紹介なんてする必要ある?どうせまた鬼王様にお目にかからず追い出されるだけじゃん」  黒花状元の配下ならこの二人も鬼なのだろう。男鬼の方は丁寧に挨拶をしてくれたが、女鬼の方は静蘭の腕を掴んで横で文句を垂れている。  そして女鬼は追い討ちをかけるように更に恐ろしい事を言う。 「ねぇ、鬼王がこの女を要らないって言ったらさぁ、私が貰ってもいいかな?!この顔、私の所蔵品に増やしたいのよね、とっても素敵なお顔!」  可愛らしい顔で何と恐ろしい事を言うのだろうか。所蔵品なんて言っているが、権玉の表情が若干引いているためろくな物では無いのだろう。 「あんな趣味の悪い所蔵品の話なんてするな。申し訳ありません、気にしないでください」  権玉はそう言ったが、気にしない方が凄いと思う。 「とりあえず、鬼王にお会いして頂かねば」 「あの、ここは何処なのでしょうか?鬼界には近いのですか?」  鬼である二人がここを歩いていたという事は鬼界は近いのだろう。 「何を仰います、ここはもう鬼界ですよ。と言っても入口付近ではありますが」  何だって?静蘭は驚いた。鬼界への道というのはかなり複雑で、山道を辿って行けば鬼界に辿り着く、という訳では無い。鬼王の許可、もしくは案内人さえ居ればすんなりと入れるものの、今回の静蘭はその二つの条件に当てはまっていない。  とは言え黒花状元の生贄は今まで生還していない。きっと黒花状元が喰らったのか気に入った者がいれば傍に置いているかのどちらかと思っていた訳で、この山道さえ歩いていれば鬼界への案内人が迎えに来るものだと皆が思っていた。  しかしこの二人の反応を見る限りそうでは無さそうだ。 「あの、月雨国(げつうこく)の人間がここに来ませんでしたか?」 「ええ、沢山来ていましたよ」  やはり前に送られた生贄達は鬼界へ辿り着いている。 「彼らはどうなったのですか?」 「あの生贄達は鬼王が全員殺してあげたよ!あのまま鬼界へ辿り着けず路頭に迷って死ぬよりも殺して解放してあげた方がいいでしょ?」  黎月の言葉に再びゾッとする。かなりの人数が今まで送られて来ていたはずだ。それを全員殺したのか?  「その通りです。正直頼んでもいないのに次から次へと生贄だの何だの送られて来て鬼王もお怒りというか。それは鬼王の優しさでもあるのです、どうかご理解を」  分かっている。勝手に生贄を送って満足しようとしていた月雨国側に百の非がある。しかし、生贄を送るような羽目になった原因は蘇寧(スーニン)であり、生贄を送るという事だけで許しを得ようとしていた今の月雨国のせいで生贄として差し出された国民がそのような末路を送らねばならないなんて。  その事に何とも言えず、ただ俯き黙りながら歩くしか無かった。  少し話は逸れるが、一体何故静蘭だけが鬼王や案内人の手を借りずに鬼界へ入り込む事が出来たのだろうか。  それは今日が中元節(中国のお盆)であったからだ。中元節には鬼界と下界(人間界)の境界があやふやになり、時折二つの領域が混在してしまう事があるという。  それが正しく静蘭の歩いている山道で起こり、気が付けば鬼界へ入り込んでいたのだ。幸運なのか不運なのかは分からないが、なる様に身を委ねるしかない。  二人の鬼に両脇を挟まれ歩いていると、やがて辿り着いたのは下界の城下町と変わらぬ景色の町だった。  若干花町のような雰囲気はあるが、そういう所も大して下界と変わらないだろう。  初めての場所に柄にも無く好奇心を抱き、ちらちらと横目で様子を見る。  時折変な店もあるが、普通の茶屋や酒屋のような店から呉服屋まである。 「気になりますか?」  静蘭の様子に気が付いた権玉が静蘭に話を振ってくれる。 「あまり下界と雰囲気は変わらないみたいだなと」 「あはは、人間さん可愛いねェ。ここは下界を模して作られた場所だからね、黒花領域(こっかりょういき)で下界に一番近いのがこの町なんだ」  黎月が静蘭の事を人間さん、と呼んだ事で気が付いた。そういえば静蘭はまだ名乗っていなかったのだ。  今から自分を殺すであろう鬼の配下に名乗った所で何だという話だが、彼らは先に名乗ってくれたのだ。 「申し遅れました、魏静蘭(ウェイジンラン)と申します」  静蘭が名乗った途端、隣の権玉が少し反応した。が、直ぐに何事も無かったかのように澄ました顔に戻った。  自分の事を知っているのか、と思ったが、元々一国の公主であり、下界では悪名高いらしいので彼が情報通ならば名前を聞いた事があるのかもしれない。  それならば特に気にする事も無いだろう、自意識過剰だ。 「そういえばなんですけど、私は今鬼王閣下の所に連れて行かれているのですよね?」 「はい、まずは鬼王にお会いして頂かねば私達も対応しかねますので」  権玉は随分と忠実な配下のようだ。左脇の黎月とはまるで月と太陽かのように性格が相対しているようだ。  黎月はと言うと道行く鬼に話しかけられても柔軟に対応……と言うよりもまるで遊びに来ているかのように道草を食っている。  黎月のせいで何度か立ち止まりながらも何とか進み、とある角を曲がった所で再び立ち止まった。  そこは行き止まりで、目の前には壁があり、どう考えてもその先へは行けない。そこで権玉は懐から一枚の札を取ると、壁に叩きつけて何やら唱え始めた。  すると信じられない事に行き止まりだった壁が鏡になった。いや、鏡では無い。写しているのは目の前の静蘭達では無く、花畑にぽつんと位置している大きな城だった。 「行きましょう、こちらです」  信じられない光景に静蘭がぽかんとしていると、権玉が手を差し伸べる。その時には黎月は隣から姿を消していて、既に壁の中を通ったようだ。  権玉の手を取って壁の中へ足を進めると、次に目を開けた時には壁に写し出されていた景色と同じ場所に来ていた。  城を中心とするように広がっている花畑の他には何も無い。孤独でどこか寂しい。 「い、今のは……?」 「縮地(しゅくち)の術です。さぁ、鬼王は中でお待ちです」  軽々しく縮地の術と言われたが、静蘭はこの手の術を見るのは初めてだった。いや、そもそも普通の人間ならば一生目に掛かることは無いだろう。そう言った仙術は天界の神仙達が使う物だ。鬼も使えるとは知らなかった。  もしかしたら仙術に似た別の何かかもしれないが。  言われるがまま権玉の後を着いていくと、城門には門番も誰も居なかった。  鬼界に辿り着いてから、さっきの町を見て下界と変わらないと思っていたがここはどうやら違うみたいだ。  しかし内部にまで入り込むと女官達がせっせと動いては権玉と黎月を見るなり頭を下げる。  周囲の反応を見る限りこの二人はこの城でも高位な役職にいるらしい。  ただ、人間の静蘭を見ると驚いたような反応を見せるか、怪訝な顔をされるかのどちらかだ。どうやら鬼界では人間はあまりよく思われていないらしい。  ……彼らも元は人間であるはずなのに。  しかしこの城は本当に広い。何度も角を曲がっては何度も橋を渡り、時には先程の縮地の術を使って移動したり。初めから縮地の術を使って黒花状元のいる場所まで行けたりしないのか、と聞きたかったが、何となくこの城で雑談をする気にはなれずに口を噤んだ。  気が付けば隣にいたはずの黎月は姿を消している。城に入った時までは一緒にいたのに。  だが気まぐれそうな彼女の事だ、きっと知り合いの女官でも居たのだろう。あまり気にする事は無い。  そしてまた縮地の術を使い、出た先で一度立ち止まる。  そこは大きな大部屋のようで、金の帘幕で中は絶妙に見えない様になっている。 「鬼王、権玉です。また墓道門(ぼどうもん)付近に人間の……」 「棄てろ。俺はもうこれ以上手を焼くのは御免だ」  権玉が話し始めると、 帘幕(れんまく)(カーテンのようなもの)の中から面倒そうな声が聞こえてきた。  権玉の雰囲気も一気に引き締まったように感じる。いや、元々引き締まってはいたのだが更にだ。権玉が鬼王と呼んでいるし、恐らく中にいるのは黒花状元。あの最恐と言われる鬼王がすぐそこにいると思うと何故か静蘭まで身が引き締まる。 「しかし今回ばかりはそんな無下には出来ません。彼女は月雨国の元公主です」 「……ほう、月雨国師が公主の使い道をここに決めたのか」  静蘭は驚いた。国師一族しか知らない静蘭が生きているという事実を既に黒花状元は知っていたからだ。 「だがそれがどうした。何故この俺が元月雨皇族を気遣わねばならない?」  先程と同じようにまるで興味が無いと言わんばかりにそう言い返した。権玉もこれ以上は何も言えないようで、黙っている。  数秒間の沈黙が流れた。たった数秒間であったはずなのに、とても長い時間に感じ、その空気感は気まずい。居てもたってもいられない。  しかしその沈黙を破ったのは他でも無い静蘭だった。 「鬼王閣下、私は月雨国元公主、魏静蘭と申します。身の程知らずは百も承知でお願いがございます。」  帘幕の奥にいるであろう黒花状元に向かって跪き、続ける。 「どうか月雨国へのお怒りを鎮めては頂けないでしょうか」  黒花状元は失笑するかのように答える。 「ほう、ほんとうに身の程知らずと来た。先に手を出したのは月雨国主だ。恨むなら自国の国主が馬鹿だった事を恨むんだな。あの自身の感情すら制御出来ぬ愚か者を」  本当にその通りだ。しかしここで諦めるわけにはいかない。  他人の心配をしている場合じゃないだとか、国師に言われていた事も自分を良いように使われる事に内心腹を立てて真剣に向き合うつもりは無かったが、ここに来るまでの悲惨な町を見て考えががらりと変わった。  国主でも太子でも無く、ただの公主だった。謀反後もただの妃の一人であり、その上民に悪女だの何だの罵られた。それでも自分の民であった事には変わりない。  自分に出来る事があるかもしれないのに、見て見ぬふりをするのは忍びなかった。そもそも彼らは何も悪くない、全ては蘇寧達が引き起こした事。 「全ての非が月雨国側にある事は重々承知であり、我らの国主が愚かであった事も重く受け止めております。しかし民には罪がございません。今や国内の宮観は全て焼き尽くされ、神の恵みも届かず、枯れ果てた国となってしまいました。当然作物も育たず、既に大きな被害が出ております。このままだと大勢の民がこれから来る冬を乗り越えられないでしょう」  黒花状元からは何の反応も無いが、隣で説得する静蘭の姿を見ていた権玉は内心とても驚いていた。  あの鬼王を前に、しかも人間が臆せずに懇願を言い切るなんて。 「言っただろう、恨むなら愚か者の国主を恨めと」  しかし返ってきた言葉は冷たく無慈悲な物であった。 「しかし……!」  静蘭が言い返そうとした時、急に目の前に何かが現れたと思いきや、小さな顎を掴まれ上に持ち上げられる。 「しかしだと?お前は今すぐ死にたいのか。俺はお前など殺す価値も無いと最初に言ったつもりだったが」

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