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1)再 会〈2〉

 約束した土曜。大学から電車で十五分。  秋良は地図アプリを確認しながら、最寄駅から十分ほど歩く。  駅前の商店街を通り抜け、閑静な住宅街を郊外のほうへ向かっていると、妙に開けた場所にぽつんと二階建ての小さな一軒家が鎮座していた。 「……ここ、かな?」  一軒家の右隣には『売地』の看板の置かれた空き地があり、左隣には小さな駐車場のような空間を挟んで隣家。  こぢんまりとした門柱の表札には『紺藤』と書かれている。ここに間違いはないようだ。  インターホンが玄関扉の横にしかないようで、恐る恐る門扉を開けて中に入り、ボタンを押す。ピーンポーン、と甲高い音が鳴るも、誰かが出てくる気配はない。  何気なく門柱近くの木の生えた先へ視線を向けると、奥に小さな庭が見えた。何も干されていない物干し台の先が少しだけ覗いている。その手前の壁にはまる窓は、カーテンがぴったりと閉じられていて、人の気配がしない。 「あれ?」  応答がないのでもう一度押したが、チャイムの音が同様に鳴り響くだけだった。  留守だろうか? 約束より少し早く着いてしまったので、出掛けているのかもしれない。  どうしようか、と考えていると、門のほうから声がした。 「もしかして、秋良くん?」  振り返ると、手にコンビニのビニール袋をもった、背の高い男の人。 「……清詞、さん?」 「ああ、やっぱり秋良くんだ。久しぶり、大きくなったねぇ」  懐かしい声と、記憶より少し老けているが、笑った顔は変わっていなかった。  鼻筋の通った端正な顔立ちに、少し垂れぎみの目がふんわりと甘くて、優しい印象を与える人。笑うと少し目尻に皺が寄るところも、変わっていない。  初めて、好きになった人。  ──か、カッコいい……!  心臓をギュッと握られているようで、何も言えずに動けないでいると、清詞がニコニコと笑いながら近づいてきて、大きな手でわしゃわしゃと癖っ毛の頭を撫でられた。  一気に昔に引き戻されたような気がする。 「さぁ、上がって。暑かっただろう? 冷たい飲み物でもどうだい」  玄関を開けてくれた清詞の左手薬指には、銀色の指輪が当たり前のように嵌められていて、反射した光が眩しかった。 「……お邪魔します」  中に入ると、外観のイメージに反してとても開放的な空間だった。シューズクロークのある広い玄関に、廊下もゆったりしているからだろうか。  連れられるまま廊下を歩いていくと二階へ続く階段があり、その横の扉を開けると、リビングダイニング。カウンターキッチン、ダイニングテーブルが並び、大きなソファが二つL字に並んだ奥には大きな窓があって、レースカーテンの向こうに玄関からも見えた物干し台がいた。  そしてリビングダイングの右手側に洋風の襖があって、開いたままのその中は、畳の敷かれた和室になっている。 「まぁ、適当に座って」 「あ、はい……」  清詞はソファの前のテーブルにビニール袋を置くと、秋良にそう声を掛けた。秋良がとりあえずソファに座ると、清詞は和室の方に入っていく。  そっと様子を窺うと、和室には亡くなった奥さんの仏壇があるようで、軽く手を合わせて小さく「ただいま」とだけ告げ、清詞はすぐに出てくると襖を閉めた。 「アパートが火事になったんだって? 災難だったねぇ。ケガとかはしてないかい?」  清詞はそう言いながらもう一つのソファに腰を下ろす。そう言ってコンビニ袋から飲み物を取り出すと、はいどうぞ、と渡してきた。  ここにきた理由については、母親がほぼ話してあるのだろう。 「あ、はい。ちょうどバイトに行ってる間だったんで、オレ自身は、特に」 「そっかそっか。でも、ショックだったよね」 「はい……」  秋良はそう答えて項垂(うなだ)れた。今でもあの、一年ちょっととはいえ、初めて一人暮らしをした場所が黒い柱と瓦礫の山になってしまった光景は、脳裏に焼き付いていて、悪い夢のように思える。 「通ってるのって鹿倉大だっけ?」 「はい、そうです」 「うちからなら電車でそんなにかからない距離だね。秋良くんさえよければ、ここから通ってくれても構わないよ」  清詞があまりにあっさり言うので、秋良はただただ驚いた。  数年ぶりに会ったばかりの、従甥(いとこおい)を信用しすぎではないだろうか。 「い、いいんですか?」 「うん。僕はこの通り、一人暮らしだし、部屋も余っているから、何も問題はないよ」  にっこりと笑う顔が、本当に昔と変わっていなくて、胸がぎゅっと締め付けられる。 「あんなに小さかった秋良くんが立派になって、そして困っているんだもの。僕なんかでよければ、手助けさせて欲しいな」  その『僕でよければ』とどこか(へりくだ)る言い方も、昔のままだ。話しているだけで懐かしさが込み上げてくる。 「……ありがとうございます。お金貯めて、いい場所見つかるまでお世話になります」  秋良はソファに座ったまま、深々と頭を下げた。渡りに船とはまさにこのこと。 「卒業するまでいてくれてもいいんだよ?」 「そ、そんな! そこまでご迷惑をかけるわけにはっ」 「迷惑なんて思ってないよ。遠慮なく『清詞兄ちゃん』を頼ってよ。ね?」 「……はい」  ニコニコと笑って言う清詞の声は、やはり優しい。  久しぶりに会えたことよりも、これでもう住む場所を必死に探さなくていいのだと、なんだかようやくホッとできた気がした。  そう思ったら、不意に秋良の目から涙がぽろりと溢れていた。 「……あ、え?」  自分でも全くの予想外だったので、秋良は慌てて涙を拭く。 「す、すみません。なんか、急に……」  拭いても拭いても、涙が溢れて止まらない。 「あれ、どうしたんだろう……」  一生懸命、手の甲で涙を拭いていると、清詞が隣に座り、そっと肩を引き寄せ、抱きしめてくれた。 「大変だったんだね。もう、泣いても大丈夫だよ」 「……すみません」 「辛かった分、ちゃんと泣きなさい。この家には今、君と僕しかいないから」 「──うぅ……」  言われて、秋良は清詞の腕に顔を埋めて咽び泣いた。  アパートが焼けてショックだったことと、いざとなったら頼れると思っていた蘇芳の裏切りに、自分は思いの外ダメージを受けていたらしい。  その後の後始末による忙しさで、家がないことへの不安を紛らわせ、気を張っていたのが一気になくなって、今になって反動がきたようだ。  しゃくりあげる背中をトントンと優しく叩かれているうちに、なんだか小さい頃に戻ったような気持ちになる。 「……なんか、懐かしい」  鼻をすすりながら秋良がポツリと呟くと、清詞がふふふと楽しそうに笑った。 「そういえば、実家に君が遊びに来てた時は、君のお昼寝の寝かしつけを僕がやっていたもんねぇ」  秋良が三〜四歳の頃、清詞の実家でもある田舎の紺藤家によく遊びに行っていた。夏のお盆の時期は親類で集まることが多く、その当時二十歳くらいで大学生だった清詞は、夏休みを持て余す暇な学生なのだから、と子守を押し付けられていたと思われる。  特に秋良は清詞によく懐いていたということもあって、秋良の相手は専ら清詞がしていた。 「清詞さんのほうが先に寝ちゃってましたよね」 「ふふ、だって君、ぜんぜん寝ないんだもん」  清詞が困った顔で口を尖らせる。  ──あの頃は、清詞さんと一緒にいられるのが嬉しくて、寝るのが惜しかったんだよなぁ。  遠い昔のことだけど、清詞との色んなことはいつだって思い出せる。  でも、今頃なかなか寝なかった理由を話しても、きっと困らせるだけだ。 「しかし、あの小さくて可愛かった秋良くんが、もう二十歳かぁ。僕も歳をとるわけだね」  懐かしそうに笑う清詞が、秋良の頭を優しく撫でる。  ──そう、オレはもう『大人』になったんだから。  異性と結婚した人に、無邪気に好きと言えるような『子ども』ではなくなった。  秋良はグッと奥歯を噛み締める。 「さ、君の部屋を案内しようか」 「はい」  清詞がゆっくり立ち上がり、リビングダイニングのドアのほうへと向かった。それを見て秋良も続いて立ち上がると、思い切って声を上げる。  子どもではないのだから、ちゃんとしないといけない。 「……あ、あの!」 「なに?」 「オレも、その。奥さんに挨拶しても、いいですか? これからお世話になるので」 「……ああ、もちろん」  驚いた顔をしていた清詞が、優しく目尻に皺を寄せた。それから洋風の襖を開け、リビングの隣にある和室へと入る。  四畳半ほどの畳敷きの部屋に、襖の閉じた押し入れがあり、その奥隣に立派な仏壇が鎮座していた。金の装飾で彩られた扉が左右に開き、奥には黒い位牌、その手前には花や蝋燭などの仏具が並べられ、一番手前に優しく微笑む女性の写真が飾られている。  結婚式の時に一度だけ見た、奥さんの写真だ。  仏前に正座した清詞は、そっと手を合わせて写真に語りかける。 「梨英(りえ)さん、あの小さかった秋良くんが大きくなってね、うちに来てくれたんだよ。これから一緒に住むことになったんだ、よろしくね」  清詞に倣って隣に正座した秋良は、同じように手を合わせた。 「しばらく、お世話になります! よろしくお願いします!」  写真に向かって元気にそう言うと、深々と頭を下げる。 「静かだったこの家も、なんだか賑やかになりそうだね」  そう言う清詞の声音は、どこか少し楽しそうだった。  朱嶺秋良、二十歳と二ヶ月。  この度オレは、初恋だった叔父さんと、同居することになりました。

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