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第48話 瑞穂国の妖怪

 次の日の朝、体中が痛くて重くて、蒼愛は起き上がれなかった。  空が白みがかるような時間まで紅優に愛されていたので、睡眠もほとんどとれていない。 (紅優、お腹空いてたのかな。いつもよりいっぱい食べられた……)  蒼愛も、いつもより沢山紅優の妖力を喰った。  最近は紅優の妖力で空腹が満たされるので、人間のような食事の頻度が減った。 (人じゃなくなるって、こういう感じなのかな。日美子様にも、人と同じように成長しないし、する必要がないって言われたけど)  自分が人間という存在であり続けることに執着はない。  そもそもが人間の扱いを受けずにきた命だ。 (ご飯を食べられなくなるのは、ちょっと悲しいかも。美味しいもの食べると幸せな気持ちになれるし)  空腹だからこそ、飯が上手い。  そういう美味しいを感じられなくなるのは、勿体ない気もする。 (この発想自体が贅沢だ。空腹を満たせなくて飢えていた頃だってあったのに)  あの頃は、腹なんか空かなければ良いのにと思っていた。 (僕、どんどん贅沢になってる気がする。そのうち贅沢だとも思わなくなるのかな。それはちょっと、怖いな)  今の幸せに慣れて、どんどん贅沢になる自分を想像したら、怖くなった。  大切な何かを見失ってしまう気がした。 「蒼愛、大丈夫かぁ」  声と同時に扉が開いて、火産霊が入ってきた。 「火産霊様、すみません。いつまでも寝ていて……」  起き上がろうとする蒼愛を火産霊が止めた。 「寝ていて構わねぇよ。紅優がやり過ぎたって言っていたからなぁ。今日は一日、寝ていろよ」 「やり……」  かっと顔が熱くなった。  何でも話せる仲良し兄弟なのかもしれないが、そういう話はできれば内緒にしてほしい。 「蒼愛が佐久夜を一緒に愛そうって言ってくれたのが、嬉しかったんだってよ。俺も嬉しかったぜ。前の番にまで愛情を向けるなんてなぁ、そうできるもんじゃねぇ。佐久夜を大事に思ってくれて、ありがとうな」  火産霊が蒼愛の頭を豪快に撫でた。 「僕はそんな、大層なことは……」 「充分、大層なことだぜ。けどな、気を遣う必要はねぇ。今の紅優の番は蒼愛なんだ。自分を一番に考えていいんだぜ。佐久夜に遠慮はすんなよ」  火産霊の顔がいつになく真剣で、蒼愛は黙って頷いた。   「そんでまぁ、そんな蒼愛が可愛くて愛おしくて止まれなかったんだってよ。喰われまくって腹、減ってんじゃねぇかと思ってな。なんか喰いたいもん、あるか?」  昨日の話は紅優の心に響いたのかもしれない。  佐久夜の兄である火産霊に話したのは、本当に嬉しかったからなんだろう。  その流れで、一晩中抱いていた話をしたんだろうなと想像がついた。 「えっと、僕も紅優の妖力をたくさん食べたので、今はお腹は空いていないです。お気遣い、ありがとうございます」  見上げた火産霊が、ふぅんと鼻を鳴らした。 「蒼愛も少しずつ、半妖になってきてんだな。けど、全く必要ねぇわけでもねぇだろ。飯が食いたくなったら、遠慮なく言えよ。俺はもう蒼愛の兄貴で、火ノ宮は蒼愛の家みてぇなもんだからな」  乱れた蒼愛の髪を丁寧に直しながらそう語る火産霊の顔は、まるで弟でも愛でるような顔だった。 「ありがとうございます……。あの、紅優は?」  紅優ではなく火産霊が様子を見に来たのが、気になった。 「書庫で調べ物してるよ。アイツに見付かると、うるせぇからな。蒼愛に絡むなら今の内だ」 「書庫! 火ノ宮にも、書庫があるんですか?」  書庫という単語で、他の話は吹っ飛んだ。 「ああ、どの宮にも大抵はあるぜ。気になるのか?」  蒼愛は全力で頷いた。 「僕も本が読みたいです。後で、入ってもいいですか?」 「構わねぇよ。読みたい本があるなら持ってきてやろうか?」  火産霊の申し出に、蒼愛は勢いを失くして布団に顔を半分隠した。 「どんな本があるかわからないし、それに、僕……。知らない漢字ばかりで一人で読める本は少ない……、ほとんどないかもしれません」  おずおずと答える蒼愛の頭を、火産霊が撫でた。 「そんなら、俺が漢字を教えてやるよ。勉強になりそうな本を持ってきてやるから、待ってろ。今日は寝所で読書しようぜ」  良い笑顔を残して、火産霊が部屋を出ていった。  やっぱり優しい神様だと思った。 「本が読める。漢字、教えてもらえる」  ワクワクして、自然と笑みがこぼれた。    しばらくして、火産霊が数冊の本と紙と筆を持って戻ってきた。 「色々持って来たぞ。蒼愛はどれがいい?」  火産霊が見せてくれたのは、現世にもある昔話の簡単な本から、ちょっと難しそうな幽世の本まで色々あった。  その中の一冊に、蒼愛は手を伸ばした。 「これ、瑞穂国のお話ですか?」  タイトルには『瑞穂国創世記』と書いてある。 「ああ、そうだ。瑞穂国ができた時の話だ。漢字が多いから勉強にもなるぞ」 「これが良いです! 漢字、覚えたいです!」  蒼愛はぴょんと起き上がった。  途端に体中が痛くて、隣に腰掛ける火産霊の膝にぱたりと倒れた。 「無理して起き上がんな。横になって読もうぜ。うつ伏せになれば、読めんだろ。漢字も書ける」  火産霊が笑いながら横たわった。  ちょっと行儀が悪い気もしたが、神様が良いというのだから、と思って蒼愛も横になった。 「神様の名前も沢山出てくるから、そうだな。先に俺らの名前を書けるように練習するか」 「火産霊様の? この本には、火産霊様も出てくるんですか?」 「当然だろ。この国を作った時の話だぜ。今の神々は皆、出てくるよ」  蒼愛は、呆然とした。  言われてみればその通りなのだろうが。  ぽやっとしている蒼愛の額を、火産霊が突いた。 「急にぼうっとして、どうした?」 「だって、現世じゃ、国を作った神様には普通、会えないし。会ったことのある相手が神話に出てくるとか、感覚がよくわからないというか」 「瑞穂国でだって、普通はそうそう会えるモンじゃねぇぞ」  火産霊の言葉が余計に理解できなかった。 「蒼愛は色彩の宝石で、紅優の番だから神様に会ってるだけだ。普通に地上に住んでる妖怪は、生きてる間に会う機会もねぇ。下手したら神様の存在すら信じてねぇとか知らねぇ奴もいるんじゃねぇか」  火産霊の説明には違和感しかなかった。 「え? え? でも、紅優も黒曜様も普通に神様に会っているし。蛇々だって、神様の宮にわざわざ僕の話をしに来ていたんですよね?」    蒼愛の蒼玉の質や色彩の宝石である可能性について、神々に噂を流したのは蛇々だと、皆が口を揃えて話していた。 「黒曜は国の統治者で、紅優は均衡を保つって重要な役割がある。蛇々に関しちゃ、ちょっと特殊だが、大蛇の一族はそもそもが神に近しいんだ。それも神話に書いてあるけどな。蒼愛の周りには、神に近い妖怪しかいねぇんだよ」  あんぐりと口を開いてしまった。  呆気に取られて何も言えない。 「普通の妖怪は紅優みてぇに千年も生きねぇし、番を作ったとして精々数百年てとこだ。現世の人間と、暮らし方はそう変わらねぇんじゃねぇか。俺は今の現世には詳しくねぇから、よくわからねぇが」 「そう、なんですね……」  薄々感じてはいたが、どうやら自分はかなり恵まれた相手に売られたらしい。  買ってくれた相手が紅優でなかったら、きっと今の蒼愛はなかった。 「あの、現世から人間を買うのは、割と皆してるんですか?」 「個人で人間を買えるのは、一部の許可を得た妖怪だけだなぁ。紅優は役割上の優遇もあったな。それ以外の妖怪は現世で狩りをする。まぁ、今の瑞穂国では番を作る場合が多いから、人間を喰う妖怪の方が少ねぇけどな」  現世で狩り、と聞いてドキリとした。  現代の現世でも、妖怪が人間を喰うために狩る事態があるのだ。 (手形があれば現世に行って幽世に戻って来れるって話だし、狩りをして戻ってくる妖怪がいても不思議じゃない。黒曜様に売られてくる人間を卸してるって話もしてた)  人喰のシステムが構築されているのは当然だが、やはり実際、耳にすると怖いと思うし違和感は拭えない。 「妖怪の全部が全部、人間を喰う訳じゃねぇ。人と同じ食事をする妖怪もいりゃ、別の決まったモンを喰ってる奴らもいる。実際、人喰は妖怪の中じゃ少ねぇんだぜ。全体の二割もいねぇんじゃねぇか」  慰めるように、火産霊が蒼愛の頭を撫でた。 「そうなんですか……」 「だから、瑞穂国にも畑があって田んぼがある。街じゃぁ、市が立って食料の売り買いが成されている。蒼愛の喰う食事をすぐに揃えられんのも、その為だ」  火産霊がにっかりと笑った。  その笑みに、少しだけ安堵した。 「安心できたんなら、神様の名前、練習するか」 「はい!」  蒼愛が納得できるまで話に付き合ってくれる火産霊は、やっぱり優しいと思った。

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