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第86話 手を繋ぐ約束

 身支度をして、蒼愛は紅優と部屋を出た。  紅優の神力を喰って腹は膨れたが、用意してもらった食事もちゃんと食べた。  自分のためにとわざわざ志那津が持ってきてくれたのが嬉しかったし、食事を残すなんて考えられなかった。 「蒼愛!」  広間に入ると、綺麗な女の人に名前を呼ばれて抱き付かれた。 「えっと、あの……」 「日ノ神の日美子様だよ。蒼愛はもう何回も会ってる。加護もいただいているよ」  困っていると、紅優が教えてくれた。 「本当に、忘れちまったんだね」  とても悲しい顔をされて、胸が苦しくなった。 「すみません……。早く思い出せるように、努力します」  今の蒼愛にはそれしか言えない。 「無理する必要はないさ。きっと思い出せるよ」  肩を叩いてくれた黒髪の男性が微笑んでくれた。  きっとこの神様にも、会っているんだろう。 「暗ノ神の月詠見様だよ。日美子様と番でね。御二人にはお菓子やプレゼントもいただいて、蒼愛はとても可愛がってもらっているんだよ」  お菓子とかプレゼントという単語に、驚いて目を見開いてしまった。 「そう、なんですか……。お菓子なんて食べたことないし、プレゼントなんて、物語の中でしか知らないです。あの、たくさん良くしていただいて、ありがとうございます」  蒼愛の姿に、月詠見が眉を下げている。  日美子が蒼愛を抱きしめた。 「お菓子もプレゼントもケーキもまた持っていくよ。思い出せなくても、思い出はまた作ればいいさ。蒼愛が元気なら、それでいい」  日美子の言葉が優しくて、目が潤んだ。 (優しいって、胸が締まる。苦しい。嬉しいのに、辛い。どうしてだろう)  ポロポロ流れる涙を、日美子が拭ってくれた。 「皆さん、とても優しいのに、僕は何も思い出せなくて、何もできなくて、ごめんなさい。ごめんなさい……」  どうしてこんなに親切にしてもらえるのか、わからない。  今の自分には、何もできなくて、それが何より辛い。 「謝らなくていいんだよ。蒼愛が悪いわけじゃない。少しずつ、取り戻せばいいさ」  笑いかけてくれる日美子の顔に安堵する。  こんな人がお母さんだったら、幸せだろうと思った。 「今の所、具体的な手段はないんだろ? どうするんだい?」  月詠見が紅優に問う。 「とりあえず、家に帰ろうかと思います。蒼愛にとって一番、思い出が詰まった場所だから、きっかけになるかもしれません」  家、という言葉に、蒼愛は顔を上げた。 「僕にも、家があるんですか?」 「勿論、あるよ。俺と一緒に暮らしている家だよ」 「そっか、紅優のお家ですね」  理研以外に住んだ場所がない蒼愛にとって、自分の家があるのは不思議な感覚だ。 (紅優には家があって当然だよね。買われた僕がそこに住んでいるのも、当たり前だ) 「俺の家じゃなくて、俺と蒼愛の家だよ」  紅優が蒼愛の鼻の頭を指でちょんと突いた。 「僕の、家……」  蒼愛の呟きに、紅優が頷く。 「帰れる家があるって、ちょっと不思議な感覚だけど、嬉しいんですね」  くすぐったい気持ちになって、自然と笑んだ。 「やっと笑うようになったね。まだちょっとだけど」  顔を覗き込まれて、言葉に詰まる。  紅優の方が嬉しそうな顔をして見えて、安心した。 「こんな時にする話じゃないんだが、伝えない訳にもいかないから、話しておくよ」  遠巻きに眺めていた志那津が紅優に声をかけた。  志那津が霧疾に目を向けた。 「結論から言って、白狼の全滅は回避できた。白狼の里は無事だ。狼も誰一人大蛇に殺されていないし、真も元気だ。他の歴史も今の所、変わっている様子はねぇよ。真が二人に会いたがってたぜ」  霧疾が蒼愛に気の毒そうな目を向けた。 「真……」  その名前が、何故かとても引っ掛かった。  頭の中に、像が結ぶ。  木の根に隠れた洞。大量の大蛇。広い里に吹き流れた突風と竜巻。空の上に立っている、白髪で紅眼の神様。 (なんだろう、この風景。知らない……、本当に、知らない? あの風は、僕が……。あの神様は、紅優?)  頭の中に浮かんだ景色が徐々に黒く塗りつぶされる。  その向こうから、知らない男の顔が浮かんだ。 (あれは、誰? 知らない。僕を、見てる。ずっと、幽世に来た時から、ずっと)  蛇のような鬼灯の目は濁って、気持ちが悪い。  紅優の紅くて綺麗な宝石の瞳とは、まるで違う。  死の匂いがこびり付いた、濁った赤だ。 「大蛇の、八俣……?」  声に出して呟いたら、視界が歪んだ。  頭の中も視界もグラグラして、立っていられない。 「蒼愛! どうしたの? 何か、思い出したの?」  後ろに倒れかけた蒼愛の背中を、紅優が抱き止めた。  震える手で、蒼愛は紅優の着物を握り締めた。 『敵になってはいけない。かどわかされては、いけない。真実を、知れ』  いつか、どこかで聞いた言葉だ。  頭の中に同じ言葉が木霊する。 「真実って、何? 誰の敵になっちゃ、いけないの? 誰が僕を、騙すの?」  蒼愛の呟きに、紅優が顔を引き攣らせた。  霧疾が駆け寄って、蒼愛の頭に手を当てる。  利荔が全身を確認しているようだった。 「蒼愛、俺の声が聞こえる? 俺がわかる?」  耳元で、紅優の声がする。  安心するのに、その声を信じていいのか、わからなくなる。 「蛇が、怖い。ずっと、僕を見てる。誰の、何を、信じたら、いいの? わかんない」  体の中に、何かが流れ込んできた。  さっき、紅優と繋がった時に流れ込んできた優しくて温かい神力だ。  気が付いたら、紅優の唇が蒼愛の唇を塞いで神力を流し込んでくれていた。 「ぁ……、はぁ……」  顎が上がって、やっと息ができたような気持になった。 「真に、会いに、行きたい。僕と紅優を守ってくれる真を、早く僕らの側に、紅優の側に、連れてこなきゃ……」 「蒼愛? 蒼愛! 思い出したの? 一緒に白狼の里を救ったの、真を助けたの、思い出したの?」  紅優の必死の呼びかけが、やけに遠くに聞こえる。  段々と頭の中がすっきりして、落ち着いてきた。 「蒼愛、蒼愛!」  頬を叩かれて、目を開ける。  自分が目を閉じていたのだと、開けて気が付いた。 「……紅優? あれ? 僕、何で……」  さっきまで立っていたはずなのに、紅優に座って抱えられている。  霧疾や利荔がやけに蒼愛の体を調べている。  志那津や日美子や月詠見が心配そうな顔をしている。  何より紅優が泣きそうな顔をしている。 「ごめんなさい、紅優。僕はまた何か、心配をかけるようなこと、してしまいましたか?」  心配そうな顔に手を伸ばす。  また皆に迷惑をかけてしまったのかと思うと、申し訳ない。  紅優が安心したよな残念なような、複雑な顔で蒼愛の手を握った。 「何もしていないよ。蒼愛が謝るようなことは、何もないよ」  そう話す紅優の顔は、明らかに何かあった表情だ。 「呪詛も妖術も種も見当たらないね」  蒼愛の体に触れていた利荔が顔を上げた。 「頭の方も何もねぇなぁ。記憶障害も、もしかしたらと思ったけど、八俣のせいじゃぁなさそうだぜ」 「八俣って、誰ですか?」  霧疾の言葉に問いかけたら、全員の視線が蒼愛に向いた。  びっくりして思わず紅優の着物に隠れた。 「さっき自分で、大蛇の八俣って言ってたのは、覚えていないのか?」  志那津に問われて、蒼愛は首を振った。 「ごめんなさい、わりません……」  志那津が月詠見と顔を見合わせた。 「だとすると、さっきの言葉は無意識か。大蛇の呪詛はない。けど蒼愛は、ずっと見られているといった」  月詠見の言葉に志那津が息を飲んだ。 「三か月前の、白狼の里を救った一件。あの時から八俣は蒼愛を探していたのかもしれないな」  志那津の言葉に、紅優が顔色を変えた。 「じゃぁ、俺たちが時空の穴を使って白狼の里を救ったから、蒼愛は執拗に大蛇に付け狙われる羽目になっているんですか」 「可能性は高い。白狼の里の一件は、風の森に住まう妖怪の間では噂になっていた。瑞穂ノ神が現れた、とな。救われた白狼は霧疾から事情を聴いていたから沈黙を守った。噂を流したのは大蛇だろう」  志那津の言葉に、紅優が息を飲んだ。 「噂の段階では俺たちも眉唾だと思っていたけどね。紅優が俺たちの元に蒼愛を連れてきた。あの時点で、確信はあったよ。紅優が瑞穂ノ神なんだろうってね。蒼愛は案の定、本物の色彩の宝石だったからね」  月詠見の言葉に、紅優が絶句している。 「だから月詠見様は、あの時……。俺の番だから蒼愛が色彩の宝石だと、そう話された、んですか? 今思えばですけど、まるで蒼愛が聞いた幽世の声と同じだ」 「瑞穂国創世記を読んだ者なら誰もが考えるだろうね。執筆した利荔や志那津は疑いもしなかったろう?」  月詠見に振られて、志那津と利荔が当然と頷いていた。 「だから誰も、俺が瑞穂ノ神である事実に疑問を持たなかったんですか」  全員が肯定の顔をしている。  紅優が何も言えなくなている。 「疑問を持たなかったのは俺たちだけじゃない。むしろ、最初に確信を得たのは大蛇の八俣だったんだろう。俺たちは八俣が土ノ神の地位を狙っているんだと思っていた。だが、蒼愛への尋常じゃない執着を見ると、狙っているのは瑞穂ノ神の地位、欲しがっているのは色彩の宝石と考えて、間違いないだろう」  志那津の話に、皆が納得している様子だ。  蒼愛には、志那津の話が全く分からない。  ただ、自分も危険なのだと、ぼんやりと理解できた。 「白狼の真を、早く側仕にした方がよさそうだね」 「けど、紅優も蒼愛も、今は迎えに行くどころじゃないだろ」  月詠見の言葉に、日美子が苦言を漏らした。 「俺が行こう。風ノ神が、自ら守護する森に住まう妖怪を天上に迎えるなら、問題ないだろう」  志那津が霧疾に目を向けた。 「そうね。俺が一緒に行けば話が早いし、そのまま瑞穂ノ宮に連れて行ってやれるぜ」 「よろしいんですか、志那津様、霧疾さん」  恐縮する紅優に、霧疾が申し訳なさそうに笑った。 「蒼愛がこんな風になっちゃったの、俺のせいだしね。せめて何か、お詫びさせてよ。志那津様は蒼愛が大好きみてぇだし、なんかしてやりたいんでしょ?」  ニヤリとした目を向けられて、志那津が照れ顔を背けた。 「側仕の不手際は俺の責任だ。霧疾の責任を取るだけだ。それに、あの時、時の回廊の封印を解く判断をしたのは俺だ。蒼愛をこうしてしまった責任は、俺にもあるよ」  紅優がフルフルと首を振った。 「志那津様のせいでも、霧疾さんのせいでもありません。蒼愛はこの国が大好きで、忘れたくない思い出だから仕舞い込んだんです。誰のせいでもないし、誰も悪くない」  腕の中の蒼愛を、紅優が見下ろす。  悲しく笑んだ顔に、切なくなる。 (紅優が悲しい顔をすると、胸が切ない。紅優に、笑ってほしいって、僕は思ってるんだ)  気が付いたら、紅優の頬を撫でていた。 「側仕なら、前に話していた霧疾の提案はアリだね。どうだい、紅優。もう一人、慣れてるの側仕にしてみる?」  月詠見にされた提案に、紅優が頷いた。 「本気で考えなければいけないと、思っていました。淤加美様にご相談に行こうかと」 「だよねぇ。だからもう、相談しておいたよ。紅優の許可を得たよって、淤加美に報せておくから」  月詠見が普通に流した会話に、紅優が驚いた。 「え? どういうことですか? なんで、そういう話に? いつの間に?」 「ほら、私ら、蒼愛の浄化で毎日、風ノ宮に来ていただろ? それで霧疾に側仕の話を聞いてさ。早めがいいだろうって、淤加美んとこの縷々に見繕ってもらっといたのさ」  日美子の解説に、紅優があんぐりと口を開いている。 「紅優が要らないって言ったら、断る気だったよぉ。けど、居た方がいいし、早い方がいい。もっと言うと、強くて使えて、大蛇対策になる、蒼愛を可愛がってくれそうなのが、いいよね」  月詠見が良い笑顔を向けている。  紅優の顔があからさまに曇った。 「まさかですけど、|井光《いひか》さんじゃないですよね?」 「正解~。よくわかったねぇ、さすが瑞穂ノ神様だ」  月詠見が拍手している。   「待ってください、流石に気まずいですよ。佐久夜の側仕だった時の同僚、いやもう大先輩の井光さんに側仕をさせるなんて、俺の方が畏縮します」  紅優が顔を手で覆っている。  こういう姿の紅優を見ているのは何故か安心するなと思った。 「でもさぁ、ベテランの側仕で誰にも仕えてなくて、強くて気が利くって、なかなかいないよぉ。誰かが持ってく前に取っちゃった方がいいって」 「モノじゃないんだからっ!」  月詠見の押し売りに、紅優が顔を覆ったままフルフルしている。  可愛いなと思った。 「まぁまぁ、冗談はこれくらいにして、ちゃんと本気で考えておきなよ。返事は淤加美か縷々に直接でいいからさ。蒼愛を守ってやれるのは、紅優だけなんだ。八俣は蒼愛を奪って紅優を殺したい。神殺しの法則が瑞穂ノ神にも通用するなら、そう考える。紅優自身も、身を守らなきゃいけないよ」  物騒な言葉が聞こえて、蒼愛は身を起こした。 「神殺しって、何ですか? 大蛇は紅優を殺したいんですか?」  蒼愛の慌てた問いかけに、月詠見の顔から笑みが消えた。 「神を殺した者が次の神になる。って、この国の天上の法則があってね。瑞穂ノ神の番は色彩の宝石。だから紅優を殺し、蒼愛を番にすれば、八俣は瑞穂ノ神になれる」 「だから大蛇は僕を欲しがるんですか?」 「そうだよ。色彩の宝石は神に愛され国に喰われる。俺たち六柱の神々が守るべき存在、それが蒼愛なんだよ」  月詠見の話に、蒼愛は言葉が出なかった。  自分にそんな価値はない。神様に守られるほどの存在ではない。 (けど、きっとこの話は前にも聞いてるんだ。あんまり、驚きがない。それよりも、大蛇が紅優を殺す方が、ずっと許せない)  自分の中に、理由の分からない怒りが湧く。  大蛇をこのままにしてはいけないと、本能が知っている。 「八俣を、殺さなきゃ。僕がこの手で、幽世の秩序を守らなきゃ」  口から勝手に言葉が零れた。 「ダメだよ、蒼愛。そんな危険な真似、させないよ」  腕を強く抱かれて、我に返った。 「……え? あれ? 僕また、なにか、言ったんですか?」  紅優が困惑した表情をしている。  遠巻きに蒼愛を眺めていた利荔が重い口を開いた。 「記憶を封じてから、色彩の宝石の質が無意識に表出されているように見えるね。今までは蒼愛の自我に隠れていた部分が出てきているというか。もしかしてこれも、幽世の意志なのかな」  紅優が不安げな顔を上げた。 「蒼愛の記憶を封じて、自我を抑えてまで、蒼愛は色彩の宝石になろうとしているっていうんですか?」 「わからないけど、しばらくは目を離さない方がいいね」  紅優が納得いかない顔を、下げた。 「蒼愛が蒼愛で無くなるなら、俺は、神でなんかなくても。色彩の宝石でなんかなくても、いいのに」  紅優の泣き出しそうな顔が、悲しかった。  同じ言葉を最近、どこかで聞いた気がした。 「僕は、紅優を悲しませたくないから、貴方を泣かせないために出来ることは、全部やろうと思います」  宝石のように綺麗な瞳から涙の雫が零れないように。  自分がこの瞳の笑みを守ろうと思った。  紅優が泣きそうな顔で笑うのが辛くて、蒼愛は手を握った。 「僕が手を繋いだら、悲しくないですか?」  紅優の手がピクリと震えた。  透明な雫が、手の上にぽたぽたと落ちる。 「ごめんなさい。悲しませないために、握ったのに」  驚いて離そうとした手を、紅優が強く握った。  蒼愛の手を強く握り返して、首を横に振った。 「約束、したね。悲しい時は手を繋ぐって。俺が悲しくないようにずっと手を繋いでいたいから番になりたいって、蒼愛は俺に言ってくれたんだよ」  失くした記憶の中の蒼愛が紅優と交わした約束。  覚えていないのに、悲しい顔の紅優を見たら、手を繋ぎたくなった。 「思い出せそうな、気がします。約束は、覚えていなかったけど、僕は紅優と手を繋ぎたくなりました。これからも僕が隣で、紅優の手を握るから、ずっと手を繋いでいるから、だから、泣かないで」  紅優の顔を胸に抱く。  握った手は温かくて、優しくて、切なかった。

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