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第十六章 エモーショナル・クライシス③
間接照明のライトだけが、この冷え切ったリビングを暖かく灯していた。
佳嘉の、二ノ宮の互いの眼鏡のレンズにそのオレンジ色が揺れる。
「本当は君も彼が中学生ではないことに気付いていたのだろう?」
カウチから腰を上げ、床に落ちたペットボトルを拾った佳嘉は、それを持って姿勢を正すと二ノ宮から向けられた言葉に頭を悩ませる。
「ああ、まあ……未成年じゃないなってことは割と初めのときから気付いてましたね」
「それは何故だい?」
再びキャップを開けて水を飲む。そのペットボトルとキャップを並べてローテーブルの上に置いた。
何故と問われれば思い浮かぶ節などたくさんある。それでも最初に真生が未成年ではないと気付いたのは、顔合わせのときの「ヴェルディ」という発言だろう。
「言葉の端々から受け取る印象が、十代というより僕に近かったんですよね。今の十代なんて僕たちから見たら宇宙人みたいなものじゃないですか」
今でも明確に佳嘉は覚えている。真生は一度でも自分から〝中学生である〟と名乗ったことはない。
「ははっ、確かに!」
佳嘉が告げた最後の一言に、二ノ宮は両手を叩いて笑い出す。
白々しい、と二ノ宮へ視線を送った佳嘉は内心毒づく。
「それでも予防線を貼りました。パパ活と割り切って、真生とそういう関係にならないように」
その結果、再び愛する人を傷付けてしまった。
佳嘉はキャップが開いたままのペットボトルを指で押して倒す。
「だけど、それをあなたが壊した」
倒れたペットボトルは水を零しながらローテーブルの上を転がり、やがて床に落ちる。
激しい熱を宿した視線を佳嘉から向けられた二ノ宮は眼鏡の位置を整えながらニヤリと笑う。
「私は、君が彼に貢ぐ金を稼ぐために、その都度私に身体を拓くというシステムそのものは嫌いではなかったよ」
真生との月極五十万円の契約、蓄えがないほうではなかったが、真生との関係を続けるにあたって確実に直面するであろう壁が資産の問題だった。
どこから話を聞きつけたのか、二ノ宮が久々に現れた。
――金に困っているのなら、望むだけの援助をしよう、と。
企みがあることは初めから分かっていた。しかし背に腹は代えられない状況であることも事実だった。お手当てを真生に渡せないということだけは何としてでも回避しなければならなかった。
佳嘉は小さく拳を握る。
「お互いに納得した上での契約だったんですから、それで良かったじゃないですか」
なのに何故、真生の前で関係をバラすなどということをしたのか。
「だって、面白いじゃないか」
二ノ宮の無慈悲な言葉が佳嘉の怒りに火を付ける。
初めから、この男の誘いに乗らなければ。もっと違う道もあったかもしれない。
「二ノ宮さん、あなたとももう二度と会いません」
それは佳嘉から二ノ宮に対する決別の宣言だった。
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